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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

14万4千人 第 18回

2014年07月22日 | 日記

   

 14万4千人 第 18回

信仰とは?

多くの人は聖書を読んでも、今までの先入観を捨てきれずに色眼鏡で読んでしまいます。彼らは、幼子のような心で聖書を読むことが出来なくなっています。様々な神学の教え、歪められた先入観、そのようなもので汚染されているのですね。聖書の単純な聖句を読んでも、そこから神様を人間的に分析して、色んな理由付けをしようとします。私たちは神様の声をどのように聞くかということを学ばなくてはいけません。

聖書にこのように書かれていますね。「はじめに神は天と地とを創造された」と。聖書に「私は神である、私のほかに神はない」とあります。「私は昨日も今日もいつまでも変わることはない」と言われます。「あなたを生かしているのは私である」と神様は言われます。日々、「私はあなたを愛している」と神様は言われます。こういった単純な神様の言葉を読む時に、その神様の言葉を素直に受け入れる必要があります。私たちは色んな神学者、教育者、牧師の手で、余計な教育を受けてしまって、いろんなゴミがまだ私たちの頭の中に残っているのです。その結果、多くの人たちがイエス様に対して単純な信仰を失った状態にあります。

  主の日は盗人のように  第15回

しかし、思いもかけない時、盗人のように来られる、だから皆さん目を覚まして備えていなさい、と勧められています。それでは、盗人のように来るとは何を指して言っているのでしょうか。マタイ24章では、思いもかけない時に来られるとありましたが、25章の十人のおとめの箇所を読んでみると、その意味が分かります。マタイ25章の1節から7節ですけれども、皆さんはこのたとえをよく知っていますよね。「さあ、花婿だ、迎えに出よう」と言って迎えますね。しかし思慮の浅い者たちは何を持っていませんでしたか?彼女たちは、油を持っていませんでした。思慮の浅い者たちは、油を分けて下さいと願ったのですが、その油は、分けてあげられるものではありませんでした。その油は何を指していますか?これは聖霊を象徴していました。聖書の中で、み業を起こしてくださるみ霊です。この聖霊がみ言葉をもって私たちの心に燃え上がるならば、私たちの行いにどのように現れますか?何よりも、私たちの品性の変化をもたらします。この聖霊の働きは人に貸すことはできないのです。これをどうやって人に貸すことが出来るでしょう。これは個人の経験です。夫が妻に、また親が子供たちに分けることができないものです。他人に分けてあげることのできない、本当に個人的な経験です。主が私に臨まれ、私を悟らせ、導いて、すべてのことを主が成し遂げて下さる、その私個人に与えて下さった主の働きを、どのように他人に分けてあげることができるでしょうか。