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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

  14万4千人  16

2014年07月20日 | 日記

 

 14万4千人  16

忠実な私のミニストリーのために働いている多くの人たちが牢獄に投げ入られました。そして、4人の主な働き人が9年から10年の懲役刑、判決を受けて、今もなお刑務所におられます。しかし神様のみ業によって、彼らの犠牲もあって、神様の大いなるみ業が中国で成し遂げられています。

今月上旬に、中国支部の指導者がこのような報告をしてくれました。「カン先生、中国にさらに7つの支部を私たちは作ることが出来ました。すでに17の支部を立ち上げました」と。これを聞いた時、本当に神様のみ名を讃えました。

イエス様が近いうちに来られるのを、私はこの目で見たいんです。もうこの世界にこれ以上留まりたくありません。今日この場所には私の妻もおります。私がイエス様の再臨について、どのような気持ちを持っているか、私の家内も皆さんに証をすることが出来るでしょう。私はこのためだけに生きています。ですからイエス様に、本当にお出でになって頂かなくてはいけないのです。

    主の日は盗人のように 13

   盗人のように来るとは? 

マタイによる福音書24章42節から44節。「だから目を覚ましていなさい。いつの日にあなた方の主が来られるのかあなた方はわからないからである。このことをわきまえているがよい。家の主人は、盗賊がいつごろ来るかわかっているなら目を覚ましていて、自分の家に押し入ることを許さないであろう。だから、あなた方も用意をしていなさい。思いがけないときに人の子が来るからである」。50節、51節。「その僕の主人は、思いがけない日、気がつかない時に帰ってきて、彼を厳罰に処し、偽善者たちと同じ目に合わせるであろう。彼はそこで泣き叫んだり歯がみをしたりするであろう」。

人の子は盗賊のように、思いもかけない時来られるとあります。突然ですね。用意していない者は、偽善者のように罰せられると言われています。この偽善というのはなんでしょう。「主が来られる、来られる」と口で言っていても、自分の行動、自分の生涯はそのように向かっていないことですね。教会に通っている人々が、「イエス様は間もなく来られる」と口では言いながら、しかし勝手に生きていること、それこそが偽善です。第一テサロニケ5章1節から6節「兄弟たちよ。その時期と場合とについては、書き送る必要はない。あなたがた自身がよく知っている通り、主の日は盗人が夜くるように来る。人々が平和だ、無事だといっているその矢先に、ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むように、突如として滅びが彼らを襲ってくる。そして、それから逃れることは決してできない。しかし兄弟たちよ。あなたがたは暗やみの中にいないのだから、その日が、盗人のようにあなたがたを不意に襲うことはないであろう。あなたがたはみな光の子であり、昼の子なのである。わたしたちは、夜の者でもやみの者でもない。だから、ほかの人々のように眠っていないで、目を覚まして慎んでいよう」。