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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

福音の道しるべ 52

2013年07月13日 | 日記

 

 52

しばらく隠れていたら、門をドンドンとたたく音が聞こえてきた。藪の隙間からのぞいてみると、門の外には、私にけがを負わされた女性が立っていた。彼女の周りには、さっきまで私といっしょに遊んでいた近所の男の子たちがいた。彼らは私の母に向かって、「デイビッドが、このおばさんにけがをさせたんだよ!やったのはデイビッドだよ!」と、口々に叫んでいた。私の母は救急箱を持ち出してきて、その女性に傷薬をぬっていた。私はやぶの後ろに隠れたまま、その様子を見ていた。あのときの惨めな気持ちは、大人になった今でも忘れることができない。父親から罰せられることを考えると、いっそう恐怖心が募った。母は、けがをした女性を病院へ連れて行き、しばらくたってから家に戻ってきた。後になって聞いたのだが、けがをした女性は額を五針も縫い、母が治療費といくらかの賠償金を払ったそうである。母は、病院から戻っても、私を捜さなかった。そして、何事もなかったかのように、洗濯やその他の家事をこなしていた。私はますます不安になった。

さらに時間が経過し、太陽は西の山に沈みかけていた。突然母が、私の隠れていた藪のそばまでやってきて、穏やかな声で、「デイビッド、おいで、夕飯の時間だよ」と語りかけた。彼女はずっと、私がそこに隠れていたことを知っていたのである。恥ずかしさのあまり、穴があったら入りたいと思った。私はうなだれながら、黙って母について家の中に入った。食卓には、いつもとは違ってご馳走が並んでいた。食べ始めてすぐに、父が帰宅した。再び、私の心に緊張が走った。夕飯の席についてから、父が、「今日は、何も変わったことはなかったかね?」と尋ねた。

 

説教集 : 受ける愛、与える愛 4 「よかった」探し

高崎さんの詩の中に、彼女が神様を知ったとき、まわりに数多くの恵みが満ちていることに気がついた、という言葉があります。これが「愛される」ということを考えるときに、忘れてはならないもう一つのことです。時々私たちは、自分など、いてもいなくても同じだという無価値観にとらわれることがあります。また、どうせ自分など誰もわかってくれる人などいないんだ、という孤独感に襲われる人もいます。あるいは親の愛情を十分受けてこなかった、親から疎まれて育ってきたという被害者意識を持ち続けている人もいます。

しかし実のところ、私たちがよく目を開き、心を開いてまわりを見るなら、そこにはたくさんの恵みが満ちているのです。あるアメリカの宗教教育家は、「神は天にも地にも、数えきれぬほどの愛のしるしをまき散らして、私どもの心をご自分に結びつけたまいました」、と言っています。私たちが見ようとするなら、私たちのまわりのあたりまえと思っていることの中にも、愛の証拠は数多くあるのです。

 高橋さんは、自分を世界一不幸な人間と考え、そこに閉じこもることもできたでしょう。しかし彼女は、自分の不幸にではなく、自分のまわりにある愛、感謝に目を注ぎ、それによって明るく生きるようになりました。そして自分の失ったものや、できないことを嘆くのでなく、いまあるもの、できることを喜ぶようにしているのです。これが私たちの人生を力強く生きる秘訣です。

 以前テレビで、「愛少女ポリアンナ」というアニメが放映されました。この物語の主人公は、小さいときに親をなくし、いじ悪な叔母さんに育てられるのですが、どんな時にも、何か「よかった」と言えることを探していきます。苦しめられ、いじめられても、見方を変えると、どこかに「よかった」と言える事がある、それを探していくことによって、次第に周囲を明るくしていく、そんなストーリーでした。これはもちろん小説ですが、私たちにとっても大切な考え方だと思います。

 讃美歌にも、「数えてみよ、主の恵み」という歌がありますが、私たちが愛されていないと不平を言う前に、これまでの人生で楽しかったこと、喜びで心が一杯になったことを考えてみると、いつの間にか暗い思いは消えていくのです。 


福音の道しるべ 51

2013年07月13日 | 日記

  

   51

私の心にこの概念を植えつけてくれた、子供のころのある経験を書きたいと思う。友だちと、お気に入りの戦争ごっこをしていたときのことであった。竹の棒を何本か切ってきて、剣や槍や矢をこしらえた。それからみんなで砂を高く盛って、要塞を築いた。さらに石を集め、弾薬として蓄えておいた。突撃の合図とともに、みんなで一斉に要塞を飛び出し、矢を放ったり剣で斬り合ったりした。また敵をめがけて、石の弾丸や大砲も撃ちまくった。ご想像の通り、これはとても危険な遊びで、誰かがけがをすることも珍しくはなく、どの親たちも、戦争ごっこには反対であった。私の両親も例外ではなかった。両親はなんども、戦争ごっこをしないようにと私を諭し、特に母は、私が石を投げることさえ禁じたのであった。ところが、近所の男の子たちが、ときの声をあげながら走り回っているのを見ると、いっしょに遊びたいという強烈な誘惑に襲われた。それに、参戦しなければ、臆病風に吹かれた裏切り者と思われるとの恐れも後押しした。

そしてある日、私は誘惑に負けた。戦闘中(無論ゲームであるが)、私は味方の陣地に接近してきた敵兵めがけて石を投げた。突然、女性の叫び声が聞こえた。私の投げた石が、通りを歩いていた行商人の額に当たったのだ。その場に倒れこんだ彼女の額からは、血が流れ出ていた。あたりは急に静まり返り、恐れと不安の空気がたちこめた。遊びの興奮と楽しさは、一瞬にして消え去った。私は、自分の不服従の結果を目の当たりにした。気がつけば、自責と後悔の念のみが、心に重くのしかかっていた。私は、倒れている女性に向かって、「おばさん、ごめんなさい!おばさん、ごめんなさい!」と、繰り返し呼び掛けた。恐怖心が先行して、どうしてよいか分からず、結局その場から逃げ出してしまった。自分の家の前にある庭まで走っていき、藪の後ろに身を隠した。

  

    説教集 : 受ける愛、与える愛 3  

このような神の愛と出会い、人生に生きる力と希望を持つようになった方が数多くおられます。

大阪府枚方市に住む高崎さんという方は、24時間介護が必要な障害者です。進行性筋ジストロフィー症のため、15歳で車イスの生活になりました。精神的にも肉体的にも、大きな苦しみを背負ってこられたと思うのですが、その高崎さんが、こんな詩を書いておられます。 

 

 私は今、こんな気持ちでいます

もし、私にもう一度

この人生をあげよう、と言われたら、

私は喜んで、アリガトウを言えるだろう。

そして、また同じこの道を歩くだろう。

すべてがバラ色だったのではない。

喜びだけで生きてきたのでもない。

十五で歩けなくなってしまったし、

死んでしまいたいと何回も考えた。

でも、どうしようもないとわかったとき、

私は、心の中までは

病気も襲っては来やしないことに気がついた。

心だけは健康でいたい。

誰よりも、元気で明るく、生き生きとしていたい。

そう思ったとき神が心に語りかけてくれた。

何が真実で、何が偽りか

神は、私にはっきり教えてくれた。

そして、感謝する喜びを

多くの恵みが私のまわりに満ちていることを

私だけを愛してくれる両親がいることを、

私を好きになってくれる友達を、

そして、そして、生きる喜びを、

この世の美しいものを

次々に思う心を教えてくれた。

痛みや、つらさからも、

人生の深い意味を

そして、もっともっと学ぶことを、

学ぶことの喜びを、生きがいを、

壁にぶつかることも、

それを乗り越えることも、

神は一つずつ新しいことを教えてくれた。

 

私は、私のこの人生を、

全く同じこの人生を

もう一度生きることに悔いはない。

神がいて下さるなら、

神が、いつも近くにいて下さるなら。

 

高崎さんは、ふとしたことで教会に通うようになり、クリスチャンになりました。彼女は、神の愛を見出すことにより、大きなハンデイ にもかかわらず、人生を肯定し、前向きに生きるようになったのです。私たちを限りなく愛して下さる、その神の愛を知るとき、私たちは失望させられるような経験をしても、裏切られても、希望をもって歩んでいくことができるのです。