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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

福音の道しるべ 43

2013年07月05日 | 日記

   

 43

十字架上であれほど速やかにキリストを絶命させたのは、肉体的苦痛ではなかった。それは、世の罪の重さに圧倒され、天父の怒りを痛感したためであった。天父の栄光とご臨在が彼から離れ去り、暗黒の圧倒的重みに押しつぶされて絶望し、その青ざめた、震える唇から悲痛な叫びが絞り出された。「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」・・・

 死に瀕しておられる神の御子は、疑いの念にも激しく襲われた。彼は、墓の入口から先を、見通すことができなかった。ご自分が征服者として墓から出てこられることや、彼の犠牲が天父に受け入れられるといった、明るい希望は与えられなかった。世の罪が、そのおぞましさと共に、神の御子により極限まで感じられた。この驚くべき暗黒の中で、彼が実感できたのは、罪に対する天父の不興とその刑罰、すなわち死だけであった。罪は神の御目にあまりにも忌まわしいものであるから、御子と和解することはおできにならないであろうとの恐怖心に、彼はさいなまれた。実の父が自分を永久に見捨てたとのすさまじい誘惑が、十字架からのあの悲痛な叫びをあげさせた。・・・

 神の怒りの鉢が注がれるときの、罪人らの心境を、キリストは実感なさった。死の棺に入れられたような暗黒の絶望が罪人らの魂に群がり、そのとき彼らは、罪の深さをその極みまで悟るであろう。

 

 

   説教集 : 愛と赦し 1

 愛の誓い

 純白のウェディングドレスに身を包み、厳かに神の前で愛を誓う、そのようなキリスト教式の結婚式にあこがれを感じる若い女性は多いようです。最近、キリスト教信者ではなくても、教会で結婚式を挙げる人がふえてきています。

ところで、この教会の結婚式で、私が一番感動する場面があります。それは牧師の前に立つ二人が、結婚の誓約をするところです。牧師がまず男性に向かって尋ねます。「あなたは、あなたのかたわらにいる女性を妻として、順境の時も逆境の時も、健やかな時も病むときも、これを愛しいたわり、その命のある限り、固く節操を守ることを誓いますか」。もちろん男性は「ハイ」と答え、女性もまた同じように答えます。

生まれも、育った環境も、物の見方、感じ方も違う二人が、この誓いによって生涯を共にするというのですから、これは大変な決心です。人生の大きな選択が、この誓いによってなされるのです。

しかし現実には、この誓いはしばしば破られています。日本では結婚した五組に一組は離婚する時代になってきましたし、外面的にはともかくも、内面的には、この誓いが何の意味も持たなくなっている夫婦もたくさんあるといいます。

神の前で、人々の前で誓っても別れていくカップル。そこには、いくら決心しても、その決心に忠実でありえない、人間のどうしようもない現実、弱さというべきものがあります。

まさか、「この人とはいつか別れることになるかも知れない」などと思いながら誓う人はいないでしょうから、その時は真実だったのです。しかし、現実には、多くの人が離婚しているのですから、人間の誓いや決心ほど、あてにならないものはない、といえるかもしれません。