天地わたる手帖

ほがらかに、おおらかに

小川軽舟句集『朝晩』を読み合う

2019-08-06 00:22:35 | 俳句


小川軽舟の第5句集『朝晩』を読んだ杉村有紀からその感想のコメントが寄せられた。その分量はコメントとして多量であった。それに応えたくなり合評することにした。杉村有紀と天地わたるの応酬により、この作者の俳句の魅力をさらに享受してもらえたら幸いである。

妻来たる一泊二日石蕗の花 
有紀 この句をわたるさんは「 気取りのない日常」といいましたが、「妻来たる」というのは 単身赴任の身分だからこそ出来た句ではあるけれど、ある意味特別な出来事と思います。 それゆえ単身赴任中の象徴的なこととして自選一句目にしたようにも感じます。
ちなみに私は花が出てくると花言葉を調べるのですが「石路の花」は謙譲、困難に負けないの意味があります。作者が花言葉まで考えて詠んだかはわかりませんが、冬のあまり色のない時期に石路の花のあのでしゃばらない黄色の花の佇まいと相俟って、明るく静かな二人の時間を想像させます。
わたる 特別な出来事で作者は初夜のように嬉しかったと思いますよ。しかし照紅葉とか菊の花とかはつけない(笑)。男は花言葉で季語をつけないと思いますが、この時期考えられるもっともいい季語でしょうね。
有紀 そうですね、無作為に選んで結果として花言葉とも響き合うというのは、天性の選択の資質のなせるわざとも思います。
わたる 無作為じゃなくてきっちり計算しています。季語の選択には死力をふるうものです。

七夕や向き合つて乗る観覧車
有紀 向き合って乗るのは当然とわたるさんはおっしゃいましたが当然でもないと思います。恋愛中の男女ならたぶん隣合わせに座るでしょう(笑)。
わたる ええっ、恋愛中の男女は隣合わせなの? それはそれぞれのカップルの好みや事情でしょう。
有紀 向き合って座った時にできる相手との隙間を天の川と見ることも出来ます。なかなか会えない奥様との関係を表しているかもしれません。
わたる 会えない妻との関係を言っているのはわかるけど、やはりこの句は甘さはそう好きじゃないなあ。ハイティーンで終えて欲しい情趣だよ。
有紀 いえいえ、作者の境遇を知らない人が読むのであれば一般的なロマンチックさを感じさせてくれると思いますよ。主宰があとがきで作中人物=作者ではないという主旨のことを書いていますし、私は作中人物に作者を重ねすぎるのはあまり好きではありません。


有紀 何気ない動作やしぐさをしっかり言葉に出来て、しかも季語によりその何気なさがふくよかな景になっているのが魅力的ですね。
そういう句はほかにも、次のような句があります。

バスタオル胸に取り込む躑躅かな
洗面所水散らかして秋の朝
夕桜傘差しかけて投函す

有紀 「バスタオル」の句、夏近い空の下、さぞかしお日様のいい匂いがしたことでしょう。
「洗面所」の句、秋という季節と水には親和性があります。ほかの季節の朝では成り立たない。「夕桜」一日かけて書いたのかもしれません、親しい人に出すのに濡らさないようにする手紙。
わたる 濡らさないための「傘差しかけて」という中七の細やかさ。小技で心の陰翳を出すのがすごくうまい書き手なのです。

晩春や人の手首に時間見て
有紀 「晩春や」物憂さもピークになる頃、気だるく他人の腕時計に目が行った感じ。
わたる 「人の手首に時間見て」は言われてはっとしました。経験はあるけど自分は句にできなくてまさにコロンブスの卵……「晩春」を持ってきたのもうまさの極致。

薫風や傾けて引く棚の本
有紀 「薫風や」傾けて引くは、言えそうで言えません。
わたる ぼくには本を取り出すときのこんな繊細さがなくて唖然としました(笑)。これくらい普段の所作に細やかさがないと秀句は書けないんだと反省しきり。
有紀 わたるさんにはわたるさんの繊細さがあるから大丈夫です(笑)

手にゆるく包む画鋲や秋はじめ
有紀 「手にゆるく」確かに!握れませんね。そっと持つ感じが秋はじめと響き合います
わたる この場合、「包む」しかないでしょうね。チクチクを感じながらそっと持っている……それが秋のはじめ。体感と季節感を併せる資質は天性なのか、感嘆するのみです。
有紀 はい、この句はすごくよいと思います。


有紀 わたるさんは触れませんでしたが、社会性を持つ句も派手さはないですが印象的です。
レタス買へば毎朝レタスわが四月
冷奴電気が高くなりにけり

有紀 「レタス買へば」「冷奴」ともに主婦感覚があります、単身赴任ゆえに気づいた庶民の思いが表れています。
わたる 主婦感覚でありやもめ男の生きざまです。この生活感はいいです。電気の高額に冷奴をつけたセンスは秀逸。

人それぞれ時計を信ず息白く
有紀 人それぞれに刻む人生の時間。「息白く」が生きているということは呼吸することという思いも感じさせます。
わたる 通勤途上を感じます。時計ってすべてがぴったり標準時を指していません。だから「信ず」るわけで、切実でいいです。時計の背後に自分自身の経てきた膨大な時間を信じているのかもしれず、それが奥行になっています。

海底の朝礼台も桜待つ
海底(うなぞこ)の真つ暗闇も年歩む

有紀 両句とも3月11日の震災のその後を詠んだものでしょう。生者ではなく死者側に立って詠んでいるところが印象的。
わたる 「海底の朝礼台」の凄みに圧倒されました。見えますよ。震災関連句では逸品じゃないかなあ。
「海底(うなぞこ)の真つ暗闇」は震災のことかどうかは疑問です。ぼくは震災と関係なくどこの海底でも成立する情趣だと感じました。
有紀 いえ、どこの海底でも毎年があるわけだから、それを敢えて句にしたのは震災があったからこそ思い至ったことじゃないでしょうか。


働き蟻足跡ひとつ残さざる
蟻めきぬ蟻の巣めきし地下街に

有紀 サラリーマンですかね、蟻は。悲哀を述べたかったのではなく、外側から冷静に見ている感じでしょうか。
わたる いや、冷静に見ることで悲哀を象徴化しています。たしかに蟻に足跡はありませんね。でも敢えてこう言うことは悲哀以外の何物でもないでしょう。「蟻めきぬ」は自嘲からくるユーモアがあって少し救いがあります。

身に入むやぶつかつて来し中国語
有紀 まさに近年の日本です。
わたる 英語やフランス語じゃなくて中国語がいいですね。漢民族は世界中に散らばっていてけっして上品じゃない。べちゃくちゃ喋って傍若無人。まさに「身に入む」ですよ。

城のごとき村の斎場蛙鳴く
有紀 ずいぶん立派なんでしょう、村に似つかわしくない。のどかな蛙の鳴き声がさらにギャップを生みます。
わたる 若者が減って年寄ばかりで生産性のないさびれた村で斎場だけが「城のごとき」は今の日本です。

有紀 他に、印象的だった句として、
筍のまんまと背丈伸ばしたり
有紀 比喩ではありますが、この句を詠んではたと気づいたことがあります。小川軽舟という俳人は対象物にすっと入って、そのものになることが出来るのではないかと。そう考えると腑に落ちる句が多い。
わたる これは比喩ではなくて筍そのものを書いた一物です。筍は人が伸びないうちに掘られて食べられちゃうもの。人の目をかいくぐって食えない丈によく伸びたなあというエールを送ったのです。「まんまと」がうまい。
有紀 なるほど一物ですか。人間に喰われなかったぜ!という筍のドヤ顔も見えるようです(笑)

有紀 小川軽舟という俳人は、わたるさんの言うように句の振り幅の大きさが並はずれています、それが一番の特長と思います。
そして大袈裟をよしとしない俳人なのですね。
わたる オールラウンドプレーヤーですね。

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9 コメント

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瓢箪から駒 (わたる)
2019-08-06 04:56:00
ぼくがこのブログへのコメントについて注文を出したとたん、鮎子さんは宿題を忘れた生徒みたいに頑張り、有紀さんはべらぼうの分量を書いた。
有紀さんの分量が凄いので表へ出すことにして合評へと発展した。
有紀さんの尽力により小川軽舟のほかの句に言葉を与えることになった。後味のよいこと。
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Unknown (鮎子)
2019-08-07 23:11:34
結社の主宰の句は、すごく格調高くて知性溢れる句が多いのかなと勝手に想像していました。小川軽舟様は、知、情、意のバランスが最高のオールラウンドプレーヤーなのですね。

一読するだけで、自分の記憶の底にあるものが浮いてくるように脳に再生されてハッとさせられる句が多く、楽しかったです。

🔸手にゆるく包む画鋲や秋はじめ

この画鋲を包む感覚も甦り、読んだ瞬間、手の力がふわっと抜けて、でも少し緊張感があって、なんだか…ぞわぞわ…手のひらがこそばゆくなりました。

「経験はあるけど自分は句にできなくてまさにコロンブスの卵…」
おっしゃる通りですね✨
カメラに例えるとアングル、ピントの合わせ方が絶妙で圧倒されます…。
私は「うまくまとめよう」として独りよがりな句になりがちですが、小川軽舟様は読み手の記憶を上手に誘導するように、丁寧に言葉を選んでいらっしゃる印象でした。

取り合わせの距離感は、私にはまだまだ分かりません…😞💦
季語がよく理解できていないからです。
私も40~50年後には…空中ブランコで指と指が引っかかるような取り合わせで、快感を味わえる句が詠めたらいいなと思いました👵✨長生きします。

本当に贅沢な句集ですね。
有紀さんのおかげで、たくさんの句を読ませていただくことができました!
でもきっと、句を読む順番も、美しい表紙の余韻も…全部含めてたっぷり味わえるのが句集なのですね😃✨
やっぱり、1ページ目から1冊まるごと小川軽舟様にどっぷり浸かって楽しみたいと思いました。

有紀さんは、フラメンコもすごい迫力で、常に全力を出しきって踊られるのでしょうね💃✨✨
鷹に来てくださって、先生も嬉しくてきっとまた目がウルウルされているはずです✨

携帯電話の文字入力が大変で、なかなかコメントを書くことができない方もいらっしゃるかと思います。
先生と有紀さんの情熱は、皆さんにも伝わっていると思います😃
感想文が、こんなに長くなってしまって申し訳ありません…。
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Unknown (Tuki)
2019-08-07 23:50:17
冷奴電気が高くなりにけり

「電気が高くなる」という言い方をする人は稀なのでは?
「電気代が高くなる」という表現が一般的だとするなら、言葉足らずでは?
某句会にこの句が出たら、わたる大将が真っ先に指摘しそうなこと。
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Unknown (有紀)
2019-08-09 16:40:08
鮎子さん
感想ありがとう!
いつもどのコメントでも、鮎子さんが相手のことも考えつつ丁寧に言葉と心を尽くしていて、鮎子さんのオープンで澄んだ心を思います。

「詠むこと」と「読むこと」
俳句をやっている人には、どちらも大事、両輪、と思います。私はどちらかというと読むことが好きなので合評は楽しいです(エネルギー使って疲れるけど(笑))



Tukiさん
ご指摘の件、私も考えてみました。
結果から言うとそんなに重要な問題ではないと思われます。
「電気代が高く」もありえるけれど、電気代が高くなったのは自分が沢山使ったから、とも言えて、
「電気が高く」だと、電力会社が値上げした、という感じであります。
私はこの句を読んだ時点では何も違和感がなくて、Tukiさんの指摘を受けて、あらためて考えてみたことはいい体験でしたが、結果、違和感の無さは変わりませんでした。
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Unknown (Tuki)
2019-08-10 03:57:15
有紀さん、コメントありがとうございます。

市民感覚として、電気はその使用量に準拠しつつ使用料として電気料金(電気代)を支払っているのであり、それ故に基本料金があり、その点で、例えばレタスを買うのとは異なる。だから、「レタスが高くなる」のであって、そうした意味では「レタス代が高くなる」とは普通言わない。
一方で、電気はエネルギー(電力)として売買されるものでもあり、そうしたケースでは「電気代が高くなる」とは言わず、「電気が高くなる」という言い方がなされる。
こうしたような漠然とした理解と感覚を背景に、件の句を拝見し、電力売買の話かと一瞬思いつつも、季語「冷奴」はそうした解釈を否定するに十分なプレゼンスがあり、そうなると、ここで扱われているのは、売買される「電気」ではなく、使用される「電気」であり、そうであるならそれは「電気代」じゃんと思った次第。

正直、凄く瑣末なことという感覚はあります(笑)が、皆さんのように俳句を鑑賞するスキルと感性がないので、こうしたレベルの見方しかできない、という話です。
だから、有紀さんが違和感を感じないというのも十分理解できます。
また、この句の場合、作者が作者だけに、すべて思案の上、私のように感じる者よりも有紀さんのように評価する者の方が圧倒的に多くなるであろうところに、この句を着地させたのだろうな、とも思ったり。
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Unknown (Tuki)
2019-08-10 04:22:43
ついでの追記。

以前のわたる大将&有紀さんの合評にて、旅先で爪は切らないといった観点からの指摘がありました。

旅に使ふ小さき爪切火取虫 軽舟

私が感じたのは、普通は切らない故に変、という読みではなく、普通は切らないのに切るということは長旅か、という読みをすべきなのでは?ということ。
そういう風に、まずは句に記されたことを前提にしないと、俳句の可能性は極めて限定的なものになってしまうし、それ以上に、俳句を読む楽しみが半減するのは?と思いました。
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Unknown (ヨミビトシラズ)
2019-08-10 06:28:08
あくまで私の直感ですけど、「電気が高くなる」と「電気代が高くなる」の違いは、「料金が確定していない/している」及び「実際に数字として出ていない/出ている」、ひいては「感覚的に漠然と感じている/ハッキリと感じている」の違いでは無いでしょうか。

「○○代・○○料」というのは「○○の対価としての代金・料金」の意味であり、「○○という品物やサービスを受ける代わりに発生するもの」という側面があると思います。つまり「電気代が高くなった」という言葉の場合、「電気代」という言葉が出ている段階で、「品物・サービスを受け取った結果の数字」を主観がハッキリと分かっている事になります。
これに対し「電気が高くなった」というのは、ニュースやネット等で電気代の話題を聞くなどして、「相場が高くなった」という事を具体的数字を介さずに漠然と感じている様子のように思えます。

どちらにしろ、今回の句の解釈に大きな違いは出てこないとは思いますが、ちょっと気になったので書き込ませてもらいました。「電気を使いにくい→冷奴で凌ぐ・冷奴で誤魔化す・暑いから冷奴が冷たく感じる(≒美味い)」等という読みの流れは変わらないような気がします。
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Unknown (ヨミビトシラズ)
2019-08-10 08:04:05
……書いたついでと言っては何ですが、私も一言二言。

【洗面所水散らかして秋の朝】
「ほかの季節の朝では成り立たない」とありましたが、春と冬はともかく「夏の朝」ならギリギリ成り立つ気がする。秋は大人だが夏は子供のイメージ。もっとも、夏の活発な雰囲気より、秋のしんみりした詩情の方が句としては勝るとは思うが。

【薫風や傾けて引く棚の本】
「忘れ去られた動作」の具現化。こんな事、日常で自分や皆が当たり前のようにやっている動作だったとしても、何気ない動作過ぎて気付けない。
また、気付いたとしても句にする勇気はなかなか持てない。動作そのものは当たり前でありふれている動作である(と思う)ので、季語を間違うと「それがどうした」で終わってしまう句に。

【海底の朝礼台も桜待つ】
普通なら「水底」「ダム底」辺りが精一杯であり、「海底」まで来ると説得力不足で(=現実世界ではあり得なさそうな景に思えて)大袈裟かつわざとらしく感じる。だが、それをわざとらしく感じないのは、我々に3.11の記憶が残っているからだろう。
私は三大悲劇(テロ・戦争・大災害)の句は基本的にあまり評価しないし自身でも書かないのだが、この句に関しては唸らされた。

【働き蟻足跡ひとつ残さざる】
書き手が実際の働き蟻を見てこの句を思い付いたのなら、「その場に存在しない蟻の足跡に想像を巡らせて句を書く事ができた」という意味で、すごい句。
書き手がサラリーマンの悲哀からこの句を思い付いたのなら、「自らの想いを、実際に存在するごく自然な景に無理なく押し込める事ができた」という意味で、すさまじい句。

「目の前の実景から句を作る」のは、注意深い観察力を持った上で、言葉の選び方さえ間違わなければ比較的簡単です。
しかし、「自らの想いから句を作る」のは至難です。大体、力みが入っておかしな景を書いたり変な表現を使ったりする事になります。……で、結局誰にも分かってもらえないという(^_^;)

テラス去る人や鈴虫なお叫び
成金の初夢を見る底歩かな
中空へ地を蹴る虫や藪からし

……以上、(多分)ダメな例。もちろん、恥ずかしながら全部拙句です。
それでも、「自らの想いから句を作る」というのは、私の究極の目標です。

……長いこと、失礼しました。
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Unknown (有紀)
2019-08-12 08:24:20
Tuki さん

「 まずは句に記されたことを前提にしないと」
いい言葉を頂きました。ありがとうございます。



ヨミビトシラズさん

句の読み、私の見地を広げてくれました。ありがとうございます。
俳句に対する姿勢や考え方がしっかりしてらっしゃる方だと感じたので、私が言うのも烏滸がましいですが、その資質を持ってしてよい句が作れるのではないかと思いました。
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