天地わたる手帖

ほがらかに、おおらかに

飯島晴子の思い出

2019-03-31 06:33:46 | 俳句

76歳の飯島晴子(富士見書房『飯島晴子読本』より)


鷹俳句会宮城支部の依頼で「鷹みやぎ」4月1日へ以下の文を寄稿した。


ああ、晴子さん
これから登場する鷹の大物二人、湘子を呼び捨てにして晴子さんに敬称をつけるのは妙ではあるが、そういうぼくの心理ゆえ許されたし。
その晴子さんだが、ぼくが鷹へ入った平成二年のころ吉祥寺で東京西支部句会の指導をなさっていた。五句ほど持ち寄る五十人ほどの指導句会。
晴子さんは採らなかった句についても一人一人に「これはどういう気持ちでお作りになったのですか」とまるで皇后様が被災地の方を労わるようにお尋ねになった。
それが気の毒でいたたまれなかった。優しさを演出して務める晴子さんは本当の晴子さんではないと思った。
晴子さんと湘子は基本的に資質が違う。
その最たるものは湘子が三橋敏雄に「教え魔」と呼ばれたほど指導者の資質を発揮したのに対し、晴子さんは一人で句を得る孤高をよしとしていた。
俳句は教えられるものじゃなくて自分で勉強するもの、という発言を聞いたこともある。けれど鷹において自分は湘子に次ぐ立場であるという自覚とわきまえのある方であった。
それが指導に当たらせていたとぼくは推察する。
優しい晴子さんがぼくにお尋ねになる時が近づいてくる……どうしよう、だめな句について作者が発言する意味があるのか。
何も言いたくない。
意を決して「だめな句は何も聞かずに捨ててください」と言おうと腹をくくった。えらく立腹するだろうな、と爆弾の炸裂に心の備えもした。
案の定、晴子さんは怒った。それは予定通りであったからいいが、残念なことに、このとき晴子さんが発した言葉を一つも覚えていない。
このときぼくは現役の編集者であったがメモを取っていなかった。なんという愚かな編集者であったことか。あれからだったかもしれない。
ぼくが賞賛、叱責に関わらず人の発言の要諦をすぐさま書き留めるようになったのは。


以上が今回「鷹みやぎ」に書いたことだが、もうひとつ、晴子さんが激昂したことについてかつて「天地わたるブログ」(2012.06.04)に書いていた。



錦帯橋
晴子さんが「錦帯橋」という言葉に対して激怒したのをよく覚えている。
それはぼくの句ではなかったが、晴子さんはその句に遭遇したとき、突如「キンタイキョウ? こんな言葉が俳句に入って来られるんですか!」と絶叫した。
その瞬間、会場全体が水を打ったように静まりかえった。みんなあっけにとられていた。晴子さんが何のことをいっているのか、なぜ激怒しているのかさっぱりわからないという風情である。
俳句初心者のぼくにとって「こんな言葉が俳句に入って来られるんですか」は新鮮だった。
地球の裏側が見えたような衝撃だった。
俳句に入って来られる言葉、入って来られない言葉がある、という考えがそのときぼくにはなかった。それを考えている人がいることにびっくりしたのであった。


【ぼくの好きな飯島晴子の句】

一月の畳ひかりて鯉衰ふ
寒晴やあはれ舞子の背の高き
さつきから夕立の端にゐるらしき


これ着ると梟が啼く盲縞
紅梅であつたかもしれぬ荒地の橋


氷水東の塔のおそろしく
鶯に蔵をつめたくしておかむ

旅客機閉ざす秋風のアラブ服が最後

八頭いづこより刃を入るるとも


孔子一行衣服で赭い梨を拭き

百合鷗少年をさし出しにゆく
大雪にぽつかりと吾八十歳

天網は冬の菫の匂かな

白髪のかわく早さよ小鳥来る

蛍の夜老い放題に老いんとす

月光の象番にならぬかといふ



左、20歳の晴子(富士見書房『飯島晴子読本』より)


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3 コメント

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Unknown (シロウ)
2019-03-31 08:30:55
「錦帯橋」がなぜ俳句に入ってきてはいけない言葉なのかは流浪の俳句詠みには一生わからないと思います。
錦帯橋へ行って考えました (わたる)
2019-03-31 08:40:35
錦帯橋はいい橋でした。ぼくが行ったのは夏。高台に城が見える景勝地でした。流れる水も清浄ですがすがしい気分でした。
さて「錦帯橋」を詠もうとしましたができませんでした。説明しがたいのですがこの6音が五七五に陣取ると、やりにくいのは実感しました。
晴子さんのいいたいのは別にあると思います。
Unknown (シロウ)
2019-03-31 10:39:37
指摘された一句そのものを読まずには判断し難いですね。その一句を読んでもやはり一生わからないかもしれません。

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