天地わたる手帖

ほがらかに、おおらかに

鷹11月号小川軽舟を読む

2019-10-28 04:14:33 | 俳句



「鉄道唱歌」と題して鷹11月号に小川軽舟が発表した12句を合評します。相手は山野月読。○が山野、●が天地。

秋風やボナールの絵の黄に満ちて
●ボナール、よく知らないので調べたよ。黄色いのもあるがそうでないのもあってこの句にはそう惹かれないなあ。
○私も、ボナールだったよな的に何点かの絵が思い浮かぶ程度です。この句のような言い回しは、黄色を用いた絵があれば成立するわけで、黄色によってイメージされる画家である必要はないですよね。ボナールの黄色は、日常の中の何気ない光の明るさのイメージが私的にはあるので、この句における「黄」の用い方も納得できます。
●八割がた黄色中心の絵を描いてくれないとぼくは納得できない。
○確認ですが、ボナールの絵が今、ここにあるわけではないですよね? この句。
●いやあ、眼前にボナールの絵があると読みたい。
○だとしたら、八割の考えも理解できます。
  ボナールの絵

白象の来る風吹くや芙蓉咲く
○「白象」は実物が今そこにいるわけではないですよね? 芙蓉が配された句の中の「白象」となると、お釈迦様の話と結び付いて縁起物のイメージであり、それが来る風というのは吉兆ということと思えるのですが、そういう解釈だと、面白い句だと思えないです(笑)
●今月いちばん不思議な句。象がそこにいるわけでなく風が来てその向こうから白い象が来るという予感……いやあ、待てよ、実際にむこうに白い象がいると読まないと変。動物園でむこうに白い象が見えて風と共に来そう、ということだろうね。
○そうなんですかね。風上に象がいると、あの独特の匂いがしてきそうです。

白芙蓉花芯みどりに絞りけり
●この花、中心も白っぽい。花粉が散って黄色っぽくなる。なぜみどりなのかわからない。
○白芙蓉の中心部分って、黄色というよりも薄黄緑じゃないですか?あの色は結構好きな色ですが。「絞り」とあるので、初めは浴衣や着物の柄かと思いました。芙蓉のあの白さの中に、「みどり」が生まれることの不思議と感銘を「絞り」という言葉で表現したのでは。
●きみの言う通りの色だとすればぼくが無知。「絞りけり」はそこに緑色が集中しているという意味の和語の洗練された表現技法なのだ。これはわかってほしいところ。
○なるほど、「絞り」が肝ですね。

鈴虫や妻の包丁研いでやる
○鈴虫が身近な台所というのは一軒家ですね、マンションではなく。夫婦の関係性が感じられ、私は嫌いではありません。ジェンダー的社会性の観点から何か言う人いるのかな?
●作者得意の妻俳句。べたべたしないのでぼくも好感を持った。刃の尖り具合に鈴虫の音色は合うね。ジェンダーうんぬんで社会性に持って行きたくない。この感覚を受け止めればいい。
○全く同感です。

夜の駅を発つ出張やつづれさせ

●わかりやすい。夜発って朝着くやつか8時に発って11時に着くやつかは知らないが季語が効いている。
○「つづれさせ」と言う言い方をする人にまだ会ったことないです。明朝の東京本社での会議に備え、前夜の内に立つ状況とかを思いますが、新大阪までもそこそこ時間がかかるような地域、和歌山とか兵庫とかの地方都市からの出発かも。
●どこから発ってもいいけれど、「つづれさせ」くらい一線級の俳人は使うよ。
○そうなんでしょうね。しかし、作者がこの句で例えば「ちちろ虫」とはせずに、「つづれさせ」を斡旋した機微にこそ興味があります。
●「つづれさせ」と「ちちろ虫」とはすこし種類が違うけどね。

秋晴の鉄道唱歌どこまでも
●能天気な句だね。前の句と同様わかりやすいと思っていて待てよとなったのは、歌は誰が歌っているのかということ。いい大人の作者が歌っているとしたら奇異。同じ客車に小さい子どもの集団がいたのか。あるいは作者の心象か。
○声を出して歌ってはいるのではなく、列車での旅の途中か、ふと思い出された鉄道唱歌を頭の中で追っているように思います。下五「どこまでも」は、線路は続くよ「どこまでも」ですね。「いつまでも」だと、つまらない。
●頭の中で歌を追っているという解釈は悪くないね。

横たはる女身のごとき花野かな
○直喩としての「横たはる女身」をどう捉えるかですが、風にそよぐ花野の柔らかさのように感じました。構造的には「花野」の直喩として用いていますが、結果、この花野に現に女性が横たわっているようにも感じられ、そうした効果が面白く思えました。
●女身は裸だから白いと読み手に思わせるとこの比喩は失敗なのだが、生命力を持った香しきものと感じてもらうと成功。ぼくは後者のほうのエロティシズムを感じた。それが作者の意図するところだろう。大胆な比喩でぞくぞくした。
○そう手ですね、「女身」だから裸体を想うべきかも知れませんが、ボッティチェリの描くプリマヴェーラのような生命力ですね。

曼珠沙華感染症爆発(パンデミック)の静かなる
●今月いちばん驚いた句。中七に「感染症爆発(パンデミック)」を持ってくるとは。曼珠沙華という花のありよう、色とかで浮かんだのだろうが凄いのひとこと。
○これは、先月の「畦々に伝染るんですよ曼珠沙華」の句と同じモチーフですよね、どちらも「曼珠沙華」が季語ですし。表したいことは異なるように思いますが、先月の句よりも、今月の句の方がストレートで切れ味がよいかと。
●確かに「伝染るんですよ」の延長にある。ぼくはストレートなのは先月でこれはもっと奥行への広がりを意識していると思う。ミラ・ジョヴォヴィッチ主演の映画「バイオハザード」を想像させるなど物語性もあって俳句でここまでやっていいのかとうきうきした。
○とにかくスケールが大きいですね。ところで、この句での曼珠沙華は、救いの可能性としてあるのですよね?
●いやあ、救いとか破滅とか作者の頭にないのでは。純粋に、詩的に、言葉として到達したという達成感だろう。

コスモスや郵便拒むガムテープ
○封に用いたガムテープの一部が剥がれ、他に粘着してしまったのか、この句の状況がよくわかりませんでした。季語を思うと、郵便局に持ち込んでの状況なのかなあ?
●集合住宅で引っ越して出て行ったところは郵便を入れないでくださいと大家がこういう処置をする。または別荘で人が去ってような場合。コスモスという季語で野中の住居をイメージさせている。この句の作り方が従来のこの作者の路線。
「曼珠沙華」に「感染症爆発」を取り合せて詩を純化しようといったアクロバティックな仕掛けがなく実直そのもの。この2句の落差にぼくは酩酊してしまうよ(笑)
○そうかあ!ガムテープは、郵便物ではなく、ポストに貼ってあるわけですね!なるほど。確かによくある状況ですが、これを俳句に持ち込み、素材化するのが流石ですね。

こじ開けてやりぬ胡桃の独房を
●ぼくは胡桃をやっとこで挟んで金槌で叩き割るので「こじ開けてやりぬ」ではないがのめる。「独房」という比喩が効いている。
○この比喩は本当に冴えてますね。「独房」として、その中に閉じ込められた実部分を主役化させています。「こじ開けてやりぬ」とあれば、普通だったら、他の誰かに食べさせるための言い様なのですが、この句では、「独房」中のこの主役たる実を「独房」から出してやるための所作にもなっていて、楽しめる句です。

菊咲いて端(はした)の切手たまりたる
○封書などの郵便料金によって、それに見合う分の切手を貼るわけですが、複数枚の組み合わせによって対応していると、使い勝手の悪い切手があり、それを「端の切手」と手際よく表現して、なるほどなあです。ちなみに、昔よく見た菊の普通切手はいくらだったかな?と調べたら15円でした。
●消費税値上がりで封筒や葉書に貼る料金も変わってわからなくなっている人は多い。そういう世の中の事情を踏まえて1円切手、2円切手がごちゃごちゃあるという嘆きを感じた。「菊咲いて」という美しい季語をつけて面倒な世情を救済したという感じ。

観楓の盃浅く湯気淡し
○こうした風流に馴染みがないのですが、熱燗(ぬる燗?)ということでしょうか。紅葉を愛でながらの酒は旨そうです。
●漆の瀟洒な盃で朱のような気がする。紅葉とこの盃の色は照応していて白い湯気が薄っすら立っている。繊細な美意識のたまもの。
○今月も句の領域、バリエーションが「半端ねえ」感じで、楽しめましたね。

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16 コメント

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Unknown (Tuki)
2019-10-28 08:05:19
秋風やボナールの絵の黄に満ちて

論点を明確にすると、「黄」に満ちるのは、「ボナールの絵」なのかどうか。
私は「ボナールの絵」のような「黄」が、「秋風」ひいては世界に「満ちて」いる状況をイメージしていました。
しかし、確かに、この絵はここにあるという読み(つまり「黄」に満ちた「ボナールの絵」)の方が面白いのかな。
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Unknown (深夜)
2019-10-28 19:38:35
秋風やボナールの絵の黄に満ちて

非常に散漫な印象しか残らない句。切れ字の「や」に検討の余地がありそうな。

鈴虫や妻の包丁研いでやる

発想はさすがです。しかし、鈴虫の鳴き声と包丁を研ぐ時の「シュッシュッ」という音の二つ聞こえてきて好みではない句。

秋晴の鉄道唱歌どこまでも

いつのまにか鉄道唱歌を口ずさんだり鼻歌の作者がふと我に返って詠んだ気がする。
こういう脱力感のある句は好きです。
童謡の「線路は続くよどこまでも」と「鉄道唱歌」は全く別物のはずだが作者の世代を考えると後者を知っているのは意外。どちらを意図したにしても「どこまでも」のフレーズは呼応する。
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Unknown (深夜)
2019-10-28 23:41:19
曼珠沙華感染症爆発(パンデミック)の静かなる

「黙」と「静か」は俳句における今年の流行語大賞を差し上げたい。しかし両方とも句を一気に安っぽくさせたり音数の帳尻合わせ的に感じさせる。
この句も例外ではないと思う。
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Unknown (Tuki)
2019-10-29 05:17:26
深夜さん、こんばんは。
俳句の流行語は知りませんでしたが、「静か」がそれだとして、この句ほど見事に流行を着こなした句はないのでは(笑)
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流行語も悪くない (わたる)
2019-10-29 06:24:25
芭蕉のいうように俳句は和歌の雅に対して俗で対抗してきている。よって雅語を嫌う伝統に立っている。流行り言葉を巧みに取り込んで栄養としてきているのである。それを伝統的な季語がどう締めるかという腕の見せ方がある。深夜くんだってそうとう流行り言葉を使って俺の句会へ出しているよ(笑)。もうすこし自分自身を見つめよ。
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Unknown (深夜)
2019-10-29 08:00:21
自分にはどううまく着こなしているのかさっぱりわかりまん。
俗な物は安っぽくてもいいという考えも理解し難いですね。
流行語も定番化してしまえば流行語ではないですし。
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「六本木ヒルズを虹の跨ぎけり」 (わたる)
2019-10-29 11:34:15
「六本木ヒルズを虹の跨ぎけり」
これは君が7月のひこばえ句会に出した句だよね。
この素材は俗だと感じたのだが君はそう思わなくて使ったのかい? 30年後にそこに立っているかどうか怪しい現代の風物。でも、それを取り込むのが俳句さ。
そう思って君は出したんじゃいのかなあ。ぼくは俗っぽさがおもしろいし現代を感じさせるので、「跨ぎけり」という大胆な擬人法こみでいただいたのだ。
そのへんの自分が見えずに他人の俗をうんうんしているのが僕には奇異に思えるのである。
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Unknown (深夜)
2019-10-29 12:12:33
確かに六本木ヒルズなんてのは百年持つ建物ではなさそうですね。
しかし自分はそもそも「安っぽくなる」とは申し上げましたが「俗」という言葉を最初に用いたのはわたるさんですが。
自分としては

曼珠沙華感染症爆発(パンデミック)の静かなる

に関しては「俗」であるから駄目だと否定しておりません。
こちらのコメントを再度読み返して頂ければ御理解頂けると思います。
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Unknown (深夜)
2019-10-29 13:43:59
それと自分はあくまで一読者として

曼珠沙華感染症爆発(パンデミック)の静かなる

読みました。しかし名前によって過去の作品を混じえて鑑賞の評をされるのでしたら今後こちらへのコメントは差し控えさせて頂きます。
実作者であっても名前に左右されない一読者の鑑賞であるとの考えに基づいておりますので。
それでは。
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君の物言いは鵺なのだ (わたる)
2019-10-29 14:09:01
賛成でも反対でもいいから、はっきりすればいい。
それを、俗と言った覚えはないだの、細かいことにこだわって、煙に巻くようなところがある。
批評などはズバッとi言えばいいのだ。それを俺はそういったのではない、というふうにかわすことに終始していてどうするのだ。もっとがちんと受けとめられないのか。
おおもとの覚悟が足りないことが君の最大の問題なのだ。要するにかわしたり、逃げたりするな、ということ。信用をなくよ。
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