天地わたる手帖

ほがらかに、おおらかに

平忠盛の青葉の笛

2019-07-17 05:03:03 | 俳句
ユーチューブより


句会は何が飛び出すかわかないからおもしろい。
先日のひこばえ句会に、

青葉の笛公達かくや梅雨明ける

という句が出た。
採った人がいて明るみに出たが、ぼくは何のことかさっぱりわからなかった。やむなく作者に聞くと、中七は「公達もこのように吹いたのか」というなことを言いたかったらしい。さらにぼくは「青葉の笛」を知らず恥ずかしいことに、「草笛」「麦笛」のたぐいかとイメージしていた。
あとで調べてみてこの句の出どころは明治39年の文部省唱歌「青葉の笛」であった。ぼくの歌える歌は、昭和13年「旅の夜風」、昭和9年の「国境の町」あたりが限界。

大和田建樹が作詞した「青葉の笛」の一番は、

一の谷の 軍(いくさ)破れ
討たれし平家の 公達あわれ
暁寒き 須磨の嵐に
聞こえしはこれか 青葉の笛


平敦盛(あつもり)が源氏の熊谷直実に討たれる場面。一の谷の合戦で、海上に逃れようとした敦盛は熊谷直実に呼び戻される。 若干14歳の敦盛を逃がそうとしたが、敦盛は断りそのまま討たれた。その時腰に携えていた名笛が「小枝」あるいは「青葉」と呼ばれた。
祖父・平忠盛が鳥羽院より賜った笛を敦盛は譲り受けていたのである。

平家物語のこのくだりを知らなかったのは落ち度であったが、句会にいた誰もが知らなかった。本人がこういうときは申告してくれていいのだが発言しなかった。やれやれ。
いずれにしても、「青葉の笛」で句にしようとするのは無理だろう。

いわくのある笛の名称は無理ゆえ、敦盛が笛を吹いたことで詠むしかないだろう。敦盛という人名ならば笛より効く。
夕東風や敦盛いかに笛吹きしか
みたいに。平敦盛の命日は元暦元年2月7日(1184年3月20日)ということだから春の句にしてもいい。
作者の意図からずいぶん離れたがそれは添削も何もかも無理だったことのあかしである。

こういうとき「公達」なる抽象ではだめで「敦盛」でなくてはならない。武将の名前を入れて詠んだ句では、
向日葵や信長の首斬り落とす 角川春樹
家康公逃げ廻りたる冬田打つ 富安風生
が双璧であると思う。

さて、ひこばえ句会といやさか句会で次回、「人名を入れて句を詠む」をテーマにしてみるか。
瓢箪から駒である。

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