ぽっぴんハウスでひとやすみ~★

奈良でチョークアート教室と手描きPOP教室をしているUピー(ゆーぴー)です!横にお茶でも置いてお付合い下さいませ。 

天声人語に・・・★

2011-01-11 16:30:15 | ダイアリー

こんばんは、Uピーです寒いですね~奈良は昨日2時頃雪がちらつきました
ふわふわきれいでした・受験生だった頃を思い出します
2~3日前の朝刊の「天声人語」に ちょっとおもしろいことが載ってました
「絵は音楽に負ける」・・・というものです。
「音楽に涙する人は多いけれど、絵で泣いた話はめったに聞かない」と。
なるほど・・・そういわれれば、そうです。

路上ミュージシャンの演奏に涙する多くの若者や
ライブ・ミュージカルでのこみ上げる感動や、
夜中に目を閉じて聞く音楽に感極まって涙ひとすじ・・・はありえますが、どんな有名ですばらしくて、「おぉ~!!」という作品の前に立っても涙している人は、まずいません・・・
ましてや、同時に多くの人が涙することはありえない?かと思われます。
(中には そんな人もいるかも・・・ですが)

POP広告の勉強で「情報のほとんどは 視覚からです」と習いました。
聴覚・嗅覚はほんの少しの量です。
でもよく考えてみると、昔のことを思い出すのは
夏の夕立のあとの土くさい草の匂いや 朝通学途中の金木犀・沈丁花の香りだったり、おばぁちゃんちの玄関を開けたときの独特の匂いだったりしますよね?
おとうふ屋さんのぱ~ふ~ぱ~ふ~という音や、風鈴の音だったり
焼き芋やさんのや~きいも~だったり、
祖母が私を呼ぶ声だったり・・・

特に「匂い」は なんだか一気に昔の私に引き戻されるように思います。
もちろん、幼い頃自分が描いた絵を見れば 
テレくささの中にもなつかしさが溢れてきますが・・・

これがどうしてなのか、どういうことと関係があるのか、
心理学的(脳医学的?)なことは 私にはさっぱりわかりませんが、頭にインプットされる情報が少ない嗅覚・聴覚のほうが心の奥深く残っていくのでしょうか??
そんな気がしました。

一度にた~くさんの人に感動の涙を流させるような絵を描くぞ!・・・などという
大それたことは 到底口が裂けても言えませんが
見た、その一瞬でも胸に響く作品を描けたらうれしいな・・・と思いました。

この記事の続きですが・・・
どんなに心を癒す旋律も、例えばひどく落込んだ時、
落胆の理由までは消し去ってはくれない。
<心がうらぶれたときは 音楽を聞くな>という鮮烈な詩がある。
では、そんなときはどうするか・・・
<空気と水と石ころぐらいしかない所へ そっと沈黙を食べに行け! 
遠くから生きるための言葉がこだまして来るから>
逃げずに挫折や傷心と向き合えば、再起の手がかりが降臨する。
心のささくれが絶えぬ現代人には、そうした「無音の恵み」こそ良薬なのかもしれない。

・・・となっていました。
「まぎらわす」のではなく、「向き合う」・・・
「逃げる」のが得意な私だけどたしかに これは大事な言葉です。
だけどね、「沈黙を食べられる場所」を捜すのがむつかしいよね?? うん・・・
あ、今日は長くなっちゃいました~

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