銀閣寺の庭に圧倒され次に向かったのが仁和寺でありました。
地図で見ると仁和寺は銀閣寺から京都市内を真西に横切る感じで行くようで有ります。
私ゃ田舎者なので都市部の道を走るのは苦手でしてやや構えて走っていたわけですが、昨日から京都市内を走り回り気づいたのことがありました。
京都の道は縦横に整然としていて嫌味が無くとても走りやすいのであります。
都市部の道で緊張するのは広い道の右折なんですが碁盤の目になっている京都は、なんなら全部左折でも簡単に行けるんであります。
と、言うことで自分の京都に対する意識は大きく変わったのであります。
銀閣寺から仁和寺までの道すがらにも聞いたことの有りそうなお寺がたくさんありましてどこも魅力的なんですが、自分の勘では残された時間は迫っていたので大所、有名どころで基本を抑えることにした次第であります。
仁和寺は広大な敷地に大きな駐車場を併設し車やバイクで行くには好都合でありました、が・・・バイクと四輪車の料金が一緒というのは気になりましたが、まっ、いいでしょう。
御殿へ
仁和寺は真言宗のお寺なんですが随所に菊の御紋があるのに驚きつつ白い砂利の山道を進みました。
で、最初に見えたのが御殿でありまして高貴なお方のお住まいだったんだろうなと、なんの知識も持たずに拝観した次第であります。
へぇ これも台杉なんだろうなと吃驚
なんと申しましょうか、植木屋の修行中(下働き?)は何かにつけ京都の話が出たわけであります。
しかし、私ゃ実物に触れたことが無いので親方の話も話半分か六掛け程度と思っていたわけですが、この度いくつかの庭を拝見して東北の田舎とは次元が違いすぎると痛感した次第で有ります。
これは歴史と権力の成した技でして見事な庭と時の権力者は一対と感じるわけで有ります。
その時代に都であった奈良や京都周辺でこの手の文化が花開いたのは必然でして、決して民度の差では無いと思いたいんですが、長い年月培われた素養の落差は如何ともし難く、田舎の植木屋見習いは唯々頭を下げるばかりでありました。
何も言うことはありません
さて、御殿を拝観しつつ諸々の説明を読むと、御殿は明治以後の再建と言うことで、そう聞いてしまうと有り難さを割り引いてしまうのが自分の悪い癖でありましょう。
五重塔が見えると無条件で撮ります
シロートに毛の生えた程度のお前が言うんじゃ無い、と叱られそうですが、寺の樹木の全てに手が入っていた銀閣寺の後だからか、少し手入れが荒い部分が見える、なんてことを思ったんですが、じゃぁお前やってみろと言われても怖くて手は出せませんが。
五重塔で見つけた彫り物
仁和寺と東寺の五重塔は高さなどは違いますが仕掛けが一緒と言いますか、江戸期の塔として形その他が似ていると思いました。
まっ、どちらも真言宗なので塔の内部の曼荼羅なども一緒らしいのでそー言うことだと思います。
ちなみに東寺と仁和寺の塔はどちらも徳川家光の建立で時も全く一緒の兄弟なのであります。
いや、気になったのは仁和寺の塔の軒下に隠れていた白い彫り物の正体でありますがネットを頼りに調べて見ましたが情報は無く行き詰まりました。
五重塔が、天気は下り坂だぞと言いました
あれです、御殿と五重塔のある中門の内側は別料金でして入場券には「御室花まつり」となっているわけであります。
しかし、名勝 御室桜と謳われた桜並木は見事な葉桜のトンネルでして、これで桜祭りの券を売るのか、と思いましたが、まっ、いいでしょう。
で、五重塔を見上げると太陽が傘を被ってまして、ああいよいよ天気は崩れるのかと思った次第であります。
それと共に気になるのが大阪や京都に出されそうな緊急事態宣言でして、そろそろ潮時かと思ったのでありました。
仁和寺には御室会館と称する宿坊があり、そこでは精進料理も供されているわけです。
ちょうど昼飯時なのでお寺さんの本格的精進料理を味わうのも一興と思い「梵」という食堂に入り、精進料理のカツカレーを食したわけであります。
いや、これが本当に大豆のカツかと疑いたくなる味でして、唐辛子の効いたカレーはとても美味いものでありました。
あれです、仁和寺の感想としては随所で見受ける販売促進の姿勢が強く少し俗っぽ過ぎるとは思いましたが、流石に世界文化遺産でありまして見て損は無いと思います、なんちゃって。
次は龍安寺であります。
づづく
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