じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

セブランのこと

2015-07-27 19:13:55 | 2015 フィリピンの旅
自分が初めてセブランからバンカーボートでリロアンに渡った時、港は無かった。
ただ砂浜に掘建て小屋が有り、そこにベニヤに書き込んだ時刻表などが書いてあった。
一昨日乗ったときの料金が55ペソだったが、その当時は20ペソであったと記憶している。
港が無くて砂浜に船を付けるので波の高いときなどは相当難儀して、腰まで水に浸かる覚悟じゃないと乗れない日も有った。
しかし、そんな日は浜の男たちの小遣い稼ぎの人でもあり、濡れたく無い人を10ペソ程度で肩車して岸まで運んでくれる。
自分は重いダイビング機材を担いで貰っていたのだが、あのうねりに煽られても不安定にもなら無い足腰の強さには感服した物だった。
その後間もなく木製の桟橋が出来、そして今のコンクリートの立派な桟橋になったのだが、まだ10年は経っていないと思う。


10分前にパムボート・ボーディングと声が掛かる


サカヤン二艘で追い込み漁をする漁師


エアコンの有るターミナル 待つのが楽になった


手すりの有るブリッジで安心になった


いつからなのだろう?ライフジャケット必着用は


遠ざかるセブラン 50人くらい乗っている


リロアンの海 遠くに見える船はダイビング用


船の名前はジェフリー1 昔からボロだった


セブランのハイウェーのバス停

今は出船前にコーストガードが乗員の数を数えている。その時、全員がライフジャケットを来ていた。
が、係員が立ち去って船が桟橋を離れたら殆ど全員が脱いだ・・・そう言う事なのである。

自分が自前の船でダイビングをしていた時、そもそもの登録が漁船だったのでコーストガードと良くもめた。
そんなことが起きるようになったのも僅かに10年前の事で、フィリピン人の安全への意識やルールの確立が一気に始まったのがその頃だと思う。

船に乗り込むブリッジがこんな立派な物になったのもそう古くは無くて、やはりターミナルの完成と同時の7~8年前だと思う。
それ以前は幅30センチ程の板を渡し、男が二人竹竿を押さえて手摺にしていた。
怖がる小さな子供は船員の男が抱えていた。

ああ、この桟橋ターミナルを作る前、船に乗る度に5ペソの寄付を取られていたっけ。

ジェフリー1は古い船だがキールが良いのか未だにびくともしない。
両側にアウトリガーを出したこの船の船体はアメンボウのように細い。
船の速力は水線長が長い程出るので、意外と小さなエンジンでも速力は有る。
たぶん、15~16ノットは出ていると思う。
キールの長さは12~13メートルは有ると思うのだが、それを一本の丸太を削って作ってある。
今はそんな大木も出難くなっているので配船からキールだけを取り出して新造する事も多い。

これは自分の推測なのだが、バンカーボートの原型は「縫合船」では無かったかと思うのだ。
縫合船とは、海を渡って反対側に行くには波が荒くて航海が難儀だったり距離が遠すぎる場合、船をばらして陸を運んで行った船の事なのだが、船形やらを思うとそんな気がするのだが。

セブに行くハイウェーは・・・ただの舗装道路で高速道路ではない。
しかし、この界隈では一番整備された道路で、皆してハイウェーと呼ぶ。

以前はアカシアの大木の木陰で待っていた物だったが、これが出来たときの記憶は無い。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 下町のアレコレ | トップ | おはようございます »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

2015 フィリピンの旅」カテゴリの最新記事