南の島と言っても、地球的に北の方に住んでいる私に取って憧れの地なだけであって、現地で生まれて育ち、日常がすべてこの島で完結している人に取っては、どうと言う事のない日常なのです。
だからか、見るもの聞くものすべてに反応し驚く私は、島では「変な人」であるらしかった。
アポ島のおみやげシスターズが豊かになった事を以前、違うページに書いた。
ダイビングの合間の休息でコゴンビーチに上がって休んでいると顔見知りのおみやげおばさんが近寄ってきた。
ダイビングの合間の休息でコゴンビーチに上がって休んでいると顔見知りのおみやげおばさんが近寄ってきた。
私にTシャツを売るはずも無いし、と思っていたら、袋入りのクッキーを差し出してくれた。
7~8年前の彼女は洗いすぎて穴の開いたTシャツを着ながら、必死におみやげのTシャツを売っていたのだが、今はあの真剣さは無かった。
彼女等が豊かになったその理由は、沢山やってくるダイバーにおみやげのTシャツが売れるからだとばかり思っていたが、どうやら違っていた。
確かにそれも理由の一つではあろうが、村に仕事ができたことが最大の理由だった。
彼女等が豊かになったその理由は、沢山やってくるダイバーにおみやげのTシャツが売れるからだとばかり思っていたが、どうやら違っていた。
確かにそれも理由の一つではあろうが、村に仕事ができたことが最大の理由だった。
仕事とは、新しいリゾートの増築にからむ工事やリゾートでの雑用などである。(リゾートと言っても、シパダンなどのダイビングリゾートと同じ程度の小規模なもの)
そして、何よりも確実なのが、ダイバーが落とす入海料である。
カメラ無しでも50ぺソも取られ、カメラ持ち込みはさらにプラス100ぺソと高い。
50ぺソとはどの位のパワーを持つ金かと言うと、例えば、コーラは6ぺソでビールは13ぺソ。
チキンバーべーキュー(鶏モモの串焼)を屋台で食べると35ぺソである。
賃金で言えば、バンカーボートにたくさん乗っているクルーの中で、雑用とシケの時の重り代わりに乗っている男の賃金は1日80ぺソだ。
金持ちの家で洗濯や掃除をしている近所のおばちゃんや田舎から出てきて住み込みのベビーシッターの1月の給料は食事付きだが1000ぺソ程度である。
賃金で言えば、バンカーボートにたくさん乗っているクルーの中で、雑用とシケの時の重り代わりに乗っている男の賃金は1日80ぺソだ。
金持ちの家で洗濯や掃除をしている近所のおばちゃんや田舎から出てきて住み込みのベビーシッターの1月の給料は食事付きだが1000ぺソ程度である。
私の考える水準では、相当に安いと思うが、仕事そのものが少ないので、働き手は多い。
自分が口座を開いた銀行の支店長の給料が15000ぺソ(38000円位)であると聞いた時には、その安さに驚いた。
自分が口座を開いた銀行の支店長の給料が15000ぺソ(38000円位)であると聞いた時には、その安さに驚いた。
支店長で思い出したが、銀行に口座を作っても、普通は通帳はくれなでATMのカードだけである。
通帳をもらって、小切手を降り出せる口座も作れるが、面倒で時間がかかるらしいので私は、ATMカードだけにした。
通帳をもらって、小切手を降り出せる口座も作れるが、面倒で時間がかかるらしいので私は、ATMカードだけにした。
そして、火曜日に金を振り込んで、毎日ATM機に通ったが、金が引き出せるようになったのは、入金が有ってからちょうど1週間後の火曜日であった。
その間、何度か銀行の窓口へ行って、俺の金はどうした、と聞いたが、いつも、明日はOKだと言うばかりだった。
多分、細かく説明してもこいつには分らないだろうと言うので、適当にあしらわれていたのだと思う。
多分、細かく説明してもこいつには分らないだろうと言うので、適当にあしらわれていたのだと思う。
この街には信号が無い・・・電気が不安定なので設置しても用をなさないのだ。
子供が下校の時間帯などは、おまわりさんが交通整理をするが、おまわりさんの手信号は絶対では無く、隙あらば突っ込もうとするバイクが後を断たない。
さながら交通無法地帯のようで有るが、しかし無秩序では無いのがおかしい。
人々には暗黙のルールが有るのだが、それはおまわりさんの手信号とは一致しないのだった。
街でフェスタ(市民祭り?)などがある場合は、バリケードを張って交通を遮断して、州警察が交通整理をする。
街でフェスタ(市民祭り?)などがある場合は、バリケードを張って交通を遮断して、州警察が交通整理をする。
この時は流石に誰もが指示に従うのが不思議だ。
多分、逆らうと撃たれるのか?・・・いや、勝手な想像で見たわけでは無いが。
ハイウェイと呼ばれるメインの道路でもほとんど白線などは無い。
道路の中心は、走っている人が勝手に決めるのだ。
だから大抵は大きい車や高そうな車がはばを利かしている。
反対車線をクラクションを鳴らし続けて走ってくる車を危うくかわすなどはしょっちゅうであった。
南の島の印象が少しは変わったでしょうか。
車も無い南の島は、時間が止まったままだった・・・と、のんびりした雰囲気で書きたいのは山々ですが、如何せん事実は、街の人の日常生活が日の出とともにけたたましく始まり、日没となってもなお喧噪と騒音と排気ガスの臭いが渦巻くのです。
そんな南の島も有るのですが・・・興醒めでしょうか。
では、また。
(2001年9月13日に記しました)