じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

南風の便り 2

2020-02-10 11:06:02 | 南風の便り

本文とは無関係かも・・・


南の島の話 携帯電話

世界中にインターネット網が張り巡らされ世界は狭くなって地球は小さくなった・・・か、なぁ〜?

 ドゥマゲッティーで携帯電話を買った。
初めに買ったのは「エリクソン」の物で4000ペソ(10000円)ほどだった。
店に並ぶ物の中ではまん中くらいの価格だったと思う。
携帯はプリペードカード方式の通話料先払いである。
プリペイドカードの方式は日本のKDDの物などと違ってスクラッチカード買って数字をインプットして使う。
私は時々日本にかけるので常に1500ペソ=3800円分のカードを買って電話に登録している。
500ペソのカードが最高額らしいが、一度も買えたためしが無く常に200ペソのカードを買っている。
この街が田舎だからと思っていたのだが、セブシティーのアヤラセンター(高級デパート)にも置いて無かったので、多分どこにも売っていないのだと思う。

携帯の機種を選んだら次は接続会社を選んでシムカードを買う。
スマートだとかグローブだとか、またはスマートのセカンダリーでなんとかだとかいろいろ有るらしい。
日本でも海の上ではJホンが良いとか言われているので、会社によって接続の状況に差が有るのはどこの国でもいっしよのようだ。
それは通常の通話には支障が無く、何かの時にどちらかが多少有利と言う話だと私は解釈していた。
だから携帯が街中で通じない事が有るなどとは考えもしなかった。

そういえば、4~5年ほども前だったか、デジタル携帯が出てすぐの頃、夜7時頃に繋がりにくい時間帯と言うのが仙台市内でもあった。

さて、ドゥマゲッティーで買った私の携帯はいつも繋がらないのである。
当然エリア外ではないのに回線が塞がっていると言うアナウンスが流れるのみなのである。
ひどい時には丸一日ほとんど繋がらない事があった。
いろいろ試したが電話会社の問い合わせ番号にも繋がらなかった。
電話会社の機械の故障では無いかと言う人がいたが真相は分らない。

もう一つ問題があった。
私が住んでいるのはドゥマゲッティー市内ではなく隣村のBUNTISと言う村である。
ここは携帯のメインエリアではなくて、セカンダリーエリアらしかった。
電波の状態が最良ではない地域らしかったが、日本ならアンテナ棒1本立てばさほど変わり無く通話できるので繋がるのが奇跡的な場所だとは思っていなかった。

電話をかけようと思ったら携帯を片手に庭に出て歩き回らなくてはならない。
高く掲げたり角度を変えたり、色々試してアンテナの棒の立つ場所を探すのだ。
そしてアンテナが立ったら即接続にトライである。
ぼやぼやしているとアンテナ棒が消えてしまう事が多いのだ。
そうやって努力しても繋がらない時にはほとんど繋がらない。
これを電話と呼んで良いのだろうかと疑問に思った。
当然日本からの緊急時の着信もできていなかった。

私が四苦八苦している時に友だちの携帯に着信があった。
えっ、あれれれっと思ってその携帯を見ると「NOKIA」であった。
その電話はいつでも使えるのかと尋ねると当たり前だと言われてしまった。
おまけに、アポ島からでも掛けられると言う。
私はその電話を借りて日本の自宅をコールしたらすぐに呼び出し音が鳴った。
携帯の機種によってこれ程違いが有るのかと驚区と同時にキャリアの違いであることに気がついた。
安い携帯と安いキャリアの組み合わせが繋がりにくいのは当たり前なのである。

「NOKIA」は高かった。
シムカードは別で6300ペソ=16000円である。
街中で若者が携帯を持っている姿も見られるが、安い機種で1800ペソ=4500円程度のものが多かった。

余談だが、ドゥマゲッティーの若者が携帯で会話する事はほとんど無い。
使うのは1通話4ペソのメールのやり取りで、仮に話したとしても実に短い。
私もそうしたいが英単語を打つのが覚束ないないので使えない。

ドゥマゲッティーで携帯を見かけるようになったのは4~5年前だと思う。
海峡を挟んだ向い側のセブ島のリロアンにアンテナが立っていてそこの電波を利用していると聞いた。
その当時は今よりもずっと繋がりにくく、私の住む村では当然全く使い物にならなかった。
今はネグロス島側にもアンテナが有るのだが、日本のように広範囲をカバーしているわけでは無いようだ。
取り敢えず私も「NOKIA」を手に入れてなんとか繋がってはいるが、夕方が繋がりにくい。

ちなみに有線の電話を引くのは結構な金持ちである。
固定費がかかる上に設備も携帯より高い。
しかも、家の近所に電話線が来ているのは街場だけであり幹線道路沿いと言えども電話線が来ていない場所は多い。
流石に有線の電話は安定していてFAXの受信や国際電話の通話も安定している。
だが、その回線にパソコンを繋いでみるとびっくりする。
通信速度は最高でも9600がやっとであり、画像のやり取りや重たい目のソフトのやり取りなんてとんでもないことだった。

この春、私の友人が繋いでいたプロバイダーが突然繋がらなくなったと思ったら、夜逃げしていたと言う。
地球は狭く小さくなり世界はネットで繋がっていて情報のやり取りは瞬時であると言う。
そこには一言付け加えてほしいと思うのだ・・・「その環境にある人たちの間では」と。

では また・・・。

(2001年 9月23日に記しました)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

酒と自己嫌悪

2020-02-10 09:33:57 | 日記
昨日は少し遅い新年会でありました。

いや、以前は同好の趣味のつながりで集まっていたんですがメンバーの高齢化が進み競技を続けているものはすでに1名となり、現在は年寄りの「寄り合い」と化している集団であります。

趣味はスポーツでして、水泳やマラソンや自転車や、それを引っくるめて競うトライアスロンなどがメインの人種の集まりでありました。

で、出かける前は軽く飲んで、楽しく会話などして、と肝に銘じていくんですが、酒が入ると固い誓いは徐々に緩み、重ねた杯の数も忘れる頃にはすっかり出来上がりまして、アーコリャコリャと良い気分になっちまうのであります。

あれです・・・自己嫌悪の理由は今日の予定が潰れたことであります。

今日はバイトなんですが勤務が夜なんで昼間はスキーに行く算段だった訳です。
しかし、I have a headacheでしてとても出かける気になれないのであります。

自称ヤングジジイなんですが、こうして出不精になって本格派のジジイに堕ちていくんでしょうね。

出不精=デブ症・・・説明不要の式でありましてこれで普通に食っていたら忌まわしいアレが溜まる訳であります。

忌まわしいアレ・・・内臓脂肪は死亡を内包する、なんちゃって。

こんな日はあの人の真似をして・・・

いや、小太りは健康に良いと宣う人もいるんですが私が太りたく無い理由は健康とは無関係なんであります。

しかしてその訳は・・・根本原因は「貧乏」でありました。

私の頭髪がまだ豊かだった時代・・・それはたぶんバブルの前の高度成長期でありました。
毎日せっせと働いていた自分ではありましたが「はたらけど はたらけど猶わが生活楽にならざり ぢっと手を見る」by啄木・・・を彷彿とさせる暮らしむきだったのであります。

私は訳あって中学も満足に出ていない低学歴人材でして昭和の時代の景気が良い中で、経済的には寂しく取り残されていた訳であります。

デザイナーズブランドなんてのが流行った時代・・・1980年頃でありましたが、私はといえば当時まだ健在であったニチイの紳士服売り場で買い求めた吊るしのスーツを着て仕事をしていた訳であります。
一着しか無いのを毎日着るもんですから元々の安物が一層くたびれてヨレヨレな訳であります。

その頃大流行りだったDCブランドは年齢的にもアレだったのでさして気にもしなかったんでありますが、次に訪れた海外ブランドの波は私の心に大きな傷を残したのでありました。

ジョルジオ・アルマーニ・・・ああ、なんとも忌まわしい響きであります。
アルマーニを着ていなければ男に非ず、とまで言われた時代があった訳ですが、そんな時でも私の背広はニチイか長崎屋の吊るしでありました。

例えば、意を決して慣れないディスコに出かけ、女性に声を掛けたいと思っても全身をブランド物で固めた男しか相手にされず、結局は壁際の席にポツンと座り「壁のシミ」と化していた訳であります。

ああ、ボディコン姿で素敵に踊るあの娘とお近づきになりたと欲しても彼女は私には目もくれない訳であります。

そんな訳で私の足は華やかな夜の街から遠ざかり、スーパーで買った吊るしの背広が似合う焼き鳥屋や煮込みのうまい立ち飲み屋に向かうになった訳であります。

そんなある日、いつものようにモツ煮を突き「盛っ切り」を舐めていると隣にえらく筋肉の盛り上がった男が二人で入って来た訳であります。
そのうちの一人が夏でも無いのにランニングシャツ(タンクトップでは無くグンゼのランニングだと思う)から太い腕を出していた訳であります。
当然胸も盛り上がり、首も極太でありました。

私は「かっこいい」と唸ってしまいました。
いや、筋肉隆々の体がかっこいいと思ったのでありません。
グンゼのランニングシャツ一枚で酒を飲んでいる雰囲気が凄いと思ったのでありました。

隣り合わせになったのも何かの縁と思い私はその人に話しかけてみた訳であります。
「筋肉凄いですがボディービルとかプロレス関係者ですか」と。
そしたら彼答えて曰く「スポーツジムのイントラです」とのことでありました。

さらに詳しく聞いていくと、筋トレ半分の水泳半分で体を作っているなどのことを教えてくれた訳であります。

私ゃ話を聞いて「これだぁ〜」と思ったのであります。
俺はアルマーニは着られないが筋肉なら纏える、と閃いたのでありました。
そしてそれは安価で見てくれが良く、たぶん「もてる」と確信したのでありました。

私ゃ翌日、最近自分の行動範囲に出来たばかりのスポーツクラブに印鑑と写真と通帳を持って入会申し込みに行った訳であります。

あれは29歳の秋のことでありました。
そしてあれから35年、相変わらずアルマーニを羽織る甲斐性はありませんが、年の割にはなんぼか見られる筋肉を維持している訳であります。

いや「もてる」はずの目論見は惨憺たる結果ではありましたが、それを切っ掛けにはじめたスポーツが主体の生活は私の人生を豊かなものにしたことは間違いない訳であります。

と、いうことで、そこのスポーツクラブで知り合った仲間の飲み会が昨夜あったという、そういうことでありました。










コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする