もう九時か? 未だ九時か?
まっ、どーだっていいじゃネェかそんな事は、ですけどね。
中古のキーボードを買ったんだけれども・・・いや、新品でも良いんだけれどもこの型番の物は新品は無いみたいでし方が無いから物が1500円に運賃1200円も払って買った訳です。
いや、中古に文句言うなよな、では在りますが、そこそこ使い込まれていまして・・・しかも前任者はローマ字使いだったようでアルファベットの部分と特定のキーだけがテカってます。
昼間は気がつかないんですけど夜になって机の電気をつけるとテカり出すんですよね・・・まっ、文字は消えていないんでそこまで使い込んでは無いんでしょうけど。
議論で「負け」が運命付けられている思考方法30パターン
突然ですが議論は好きですか? 強いですか? 私は無類の議論好きでして、どちらかというと延々と議論し続けるのを好む方です。
いや、議論そのものを楽しむんで結論なんかどーでも良いんです。
なので私はほとんど議論に負けるという事が在りません・・・議論の勝ち方にはいろいろ在って、正論を貫けば勝てるというのは間違い、と言いますか、甘い考えだと私は思います。
で、私の持久戦法を早めに察した聡明な人は「議論が噛み合ない」とか言って時間の無駄を省こうとしたりしますが、その時には「逃げるのか?」と言ってやれば今までどんな頓珍漢な事を宣っていたとしても「私の勝ち」になっちまう訳であります。
この辺ですよね・・・言葉の戦いも拳の戦いも全く同じでありまして、本人が負けたと思うかどうかが肝でありまして、地べたに転がされて立つ事も出来なくても「今日の所は勘弁しといてやるわぁ」とか言って負けを認めないのと同じ構図であります。
なので随分前から誰も議論の相手になってくれなくなってしまったと言うのも否めない事実なんですが。
しかし、上記の記事を読みますと・・・はじめから想定した答えに同意を求めるように尋ねる論法。・・・なんてのは丸め込む時の常套手段じゃないんですかぃ?
まっ、議論と言いますか、アレです・・・商談なんかで中々決められない人を相手にしている時には良く使う手で在りました。
答えを準備せずに問いを投げかけると空白になっちまうと言いますか、話が進まなくなっちまうんですね・・・なので選択肢をいくつか出して、それの中の意図する物に持ち込むというのは商売の話では常套手段だと思いますけど。
で、そうやって絞っていくと相手の本音が浮き彫りになるんで、ああ、時間の無駄だな、とか、攻め方変えようとか、また展開が変わると思うんですがね。
・・・自分の主張にとって都合のよいデータや事実だけを集めて、それ以外の不都合なものを無視すること。・・・これもアレでしょ? 議論するという事は反論される訳だから、言わば言葉の戦いですから自分に有利な展開に持ち込むには、不利な言葉は極力出さないのが当たり前と思うんですけど?
商売上の話では当然の事と言いますか、嘘は言わないが不利になる事実も言わないのはインチキではないと信じてやってましたけどね。
そもそも、議論って同じ意見なら議論にならないですから、お互いが信じる答えは違う訳です。
相手の言っている事が間違っていて自分が正しいと思うから議論になる訳ですから思い込みの無い議論なんて存在しないと思うのはダメですかぃ?
議論して言葉で詰みに持ち込んでも大概の人は納得していないですよね。
まっ、算数の方程式の間違いを正したんなら納得させられますけど・・・アベノミクスは成功か失敗かを議論してみても答えなど出ませんもんね。
まっ、どーだっていいじゃネェかそんな事は、ですけどね。
中古のキーボードを買ったんだけれども・・・いや、新品でも良いんだけれどもこの型番の物は新品は無いみたいでし方が無いから物が1500円に運賃1200円も払って買った訳です。
いや、中古に文句言うなよな、では在りますが、そこそこ使い込まれていまして・・・しかも前任者はローマ字使いだったようでアルファベットの部分と特定のキーだけがテカってます。
昼間は気がつかないんですけど夜になって机の電気をつけるとテカり出すんですよね・・・まっ、文字は消えていないんでそこまで使い込んでは無いんでしょうけど。
議論で「負け」が運命付けられている思考方法30パターン
突然ですが議論は好きですか? 強いですか? 私は無類の議論好きでして、どちらかというと延々と議論し続けるのを好む方です。
いや、議論そのものを楽しむんで結論なんかどーでも良いんです。
なので私はほとんど議論に負けるという事が在りません・・・議論の勝ち方にはいろいろ在って、正論を貫けば勝てるというのは間違い、と言いますか、甘い考えだと私は思います。
で、私の持久戦法を早めに察した聡明な人は「議論が噛み合ない」とか言って時間の無駄を省こうとしたりしますが、その時には「逃げるのか?」と言ってやれば今までどんな頓珍漢な事を宣っていたとしても「私の勝ち」になっちまう訳であります。
この辺ですよね・・・言葉の戦いも拳の戦いも全く同じでありまして、本人が負けたと思うかどうかが肝でありまして、地べたに転がされて立つ事も出来なくても「今日の所は勘弁しといてやるわぁ」とか言って負けを認めないのと同じ構図であります。
なので随分前から誰も議論の相手になってくれなくなってしまったと言うのも否めない事実なんですが。
しかし、上記の記事を読みますと・・・はじめから想定した答えに同意を求めるように尋ねる論法。・・・なんてのは丸め込む時の常套手段じゃないんですかぃ?
まっ、議論と言いますか、アレです・・・商談なんかで中々決められない人を相手にしている時には良く使う手で在りました。
答えを準備せずに問いを投げかけると空白になっちまうと言いますか、話が進まなくなっちまうんですね・・・なので選択肢をいくつか出して、それの中の意図する物に持ち込むというのは商売の話では常套手段だと思いますけど。
で、そうやって絞っていくと相手の本音が浮き彫りになるんで、ああ、時間の無駄だな、とか、攻め方変えようとか、また展開が変わると思うんですがね。
・・・自分の主張にとって都合のよいデータや事実だけを集めて、それ以外の不都合なものを無視すること。・・・これもアレでしょ? 議論するという事は反論される訳だから、言わば言葉の戦いですから自分に有利な展開に持ち込むには、不利な言葉は極力出さないのが当たり前と思うんですけど?
商売上の話では当然の事と言いますか、嘘は言わないが不利になる事実も言わないのはインチキではないと信じてやってましたけどね。
そもそも、議論って同じ意見なら議論にならないですから、お互いが信じる答えは違う訳です。
相手の言っている事が間違っていて自分が正しいと思うから議論になる訳ですから思い込みの無い議論なんて存在しないと思うのはダメですかぃ?
議論して言葉で詰みに持ち込んでも大概の人は納得していないですよね。
まっ、算数の方程式の間違いを正したんなら納得させられますけど・・・アベノミクスは成功か失敗かを議論してみても答えなど出ませんもんね。