じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

トロンハイキャンプへ No.17

2014-01-04 09:09:48 | ネパール旅日記 2013
 
 11月21日 木曜日 快晴

 トイレの隣でバタンバタンとドアの音が煩くて眠れない宿の朝は、序でにゴミ焼きの煙で燻される最悪の寝覚めだった。

 朝、ドルジに「今日はトロンハイキャンプに一番乗りするぞ」と告げた。
ドルジ曰く「お前の頑張り次第だから好きにしてくれ」と、どこまでも小癪な奴だった。

 7時30分リダー(4200m)の宿を出発。
 メモには、結構キツかった事と、野生のヤクと山羊を発見と記されていた。
山羊は間違いなく野生だろうがヤクが野生かどうかは定かでは無い。
しかしヤクはとんでもない崖の上に居て、とても人が管理しているとは思えない場所だった。
転げ落ちそうな斜面に道が切られていて、所によっては「地滑り注意」や「落石注意」の立て札も在った。
もしも足を滑らせたら、1000mは転がって激流のコンフォラ川へドボンと落ちて、確実にあの世行きだ。
また立て札には「山羊に注意」と言うのがあって、頭上の崖に山羊が居た場合は、山羊が走り回って岩など落として来ないかを確かめながら素早く通過せよ、と書かれている。

 距離感も縮尺も日本の山とは桁が違う巨大な山脈がどういう経緯で8000mも盛り上がったのかは知らないが、それを削って絶景を創り出す雨や風や雪も大したものだと感心する。
何万年掛かって絶壁や谷が創られたのか想像もつかないが、ここでは確かに地球の鼓動を感じる。

 自分は完全に高度順化が為されていて快調だった。
ピサンピークアタックで悲惨な思いをした高度にも関わらず、何の苦もなく相当な早さで歩けた。
だから、知らず知らずのうちに自分らを抜いて行った全員を抜き返し、密かにほくそ笑んだ。

 トロンフェディ(4550m)に10時着。

 トロンフェディに泊まって高度順化に備える人も多く、まだ10時だと言うのにチェックインする人もいた。
ひょっとすると上を目指したのだが体調不良や高度順化が出来ていなくて戻ってきたのかも知れない。

 マナンから先、下って行く人も多かった。
これらの人がトロン・ラ・パスを越えて逆回りで周回している確率は低い。
逆の周回では5416mの峠まで標高差1600m以上を一気に登らなければならず、その間には標高4800m辺りに茶店が一カ所在るだけで相当に過酷な登りとなる。
もっとも三軒ある茶店では宿泊可能な店も在るらしく、そこを足場に区切って登る手も考えられるが。

 10時過ぎではまだ昼飯と言う時間ではなかったが休憩に入った店の雰囲気が良かったので食べて行く事にした。
しかし、雰囲気の良さは食べ物には反映されていず、また喰えない米が出された。
仕方が無いのでゆで卵とオニオンスープで昼食にした。

 トロンフェディを11時に出発し12時にトロンベースキャンプに着いた。
流石に5000mの高地は雪に覆われ、強い風が吹き付け、眩しい陽射しとは裏腹に昼間から寒かった。

 トロンベースキャンプは巨大な一軒宿で、数棟の宿泊施設に大きなダイニング、ポーターやガイド専用の宿泊施設もあった。
特徴的なのは宿の建物のすべてが平屋であった。
恐らく荒れた時の強風が強過ぎて平屋しか立てられないのだと思う。

 トロンベースキャンプの標高は4925mなので本日歩いた地図上の標高差は725mほどだ。
しかし、途中の小刻みな登り返しを加えると実質1000mは登ったと思われる。
標高5000mを目指し、距離7キロで1000mを登るのはかなり厳しい。
自分のように高度順化していても辛いのだから順応が出来ていない人は地獄の苦しみになる。
辛そうに喘ぎながら登っている人を見て思ったのだが、何の得にもならないトレッキングに高い金を払ってまでどうしてやって来るのか、と。
自分も紛れも無く其の独りなのだがその答えは持っていなかった。

 トロンフェディで昼飯休息をとっている間にナーランが先行して宿の部屋を確保していた。
この日は満員で遅く来たトレッカーは相部屋だったり大部屋で雑魚寝と言う人も居たらしい。
この辺がドルジのガイドとしての腕の凄いところなのだが、トロンフェディで拾った情報をもとにナーランを先行させたようだ。
これで小銭をくすねようとするのと、客を馬鹿にした態度を改めれば超一級のガイドとして絶賛されるのに残念な奴だった。
しかし、この話しにも落ちがあって、ガイドは専用の部屋で雑魚寝のはずなのだが、余りにも混雑しているのを嫌い、ちゃっかりと同室を決め込んで隣のベットに潜り込んできたのだった。
ナーランは一番下の遠くの小屋でポーターどうし折り重なって寝たとの事だった。

 夕食時にダイニングに行くと大きなテーブルに10人以上もが相席だった。
自分はどうせ食べられない米を見越してフリーズドライの赤飯を持ち込み、フライドエッグとオニオンスープとお湯を注文してあった。

 自分のフリーズドライの袋を見たフランス人が話しかけてきて、昨年富士山に登った時に日本のフリーズドライを食べた話しをした。
味はどうだったと訊くと、とても美味かったと言い、このトレッキングにそれを持って来るのは良いアイディアだと褒めてくれた。
それは、このトレッキングルートの飯は総じて不味いと言う意味かと問うと、テーブルに居たドイツ人、カナダ人の全員がYESと言った。
さらに「日本人が食べている米は殊の外美味いからな」と言ったのでドイツ人とカナダ人に日本の米を食べた事があるのかと訊くと、全員が日本に来た事があるとの事で驚いた。

 やがて日本の話題も尽き、てんでに国別の会話になったのを潮時に、ミルクコーヒーを持って部屋に戻った。

 日が暮れてからの寒さは尋常ではなかったが、やはり6000mを経験して来たばかりなだけに対処も心得ていた。
毛布が無かったので出来る限りの厚着をし、残してあった最後のホッカイロも使った。

 6時少し過ぎ、日記をつけているとドルジが部屋に来て寝袋に入り、明日の朝は早出をするので五時半起床と言って寝入った。
OKと言って程なくして自分もヘッドライトを消して寝た。
 


コメント
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