「松下幸之助」最後の光芒:新潮45
1):幸之助は時代の流れに逆らうかのようにアナログ技術にこだわった
接触型のビデオディスクはデジタル技術による非接触型で規格統一され
幸之助の開発は中止となった
中止の決定は1980年1月幸之助の口から伝えられた
幸之助が松下電器の経営に口出ししなくなったのは
このときからである
2):孫正幸を米国の名門ビジネススクールから呼び戻した
「馬鹿者!小中高大学と16年も勉強したら十分や
すぐに大学辞めさせて実業の勉強させろ」←裏目に出た
3):「尾上縫」事件
1991年9月に発覚した
子会社ナショナル・リースの不正融資事件
「北浜」の料亭の女将で「天才女相場師」の異名を取った「尾上縫」
にナショナル・リースの一介の融資担当者が500億円も融資し
その全額を焦げ付かせたという信じられない事件であった
このときオーナー幸之助家に尾上と親しい人物が居たから
ここまで貸し込んだ
との見方が広がっている
また翌年には冷蔵庫の不良品問題が発生し
修理や交換などの費用約400億円の支出を余儀なくされた
同時期
グループの不動産部門を担っていた松下興産の経営破綻が
ほぼ確実になっている
関係者によれば
松下興産の負債総額は約8300億円に膨らんでおり
会社を閉めるにあたって
松下家でも千数百億円を供出させられた
孫の正幸はそのうち約200億円を負担したという
3):幸之助の戦略ミス
1964年のコンピューター事業からの撤退
4):1980年4月開塾の「松下政経塾」私財70億円拠出
最終面接官を勤めた幸之助
合否の基準はどこを見て選ぶのですか?
「そりゃ君 運と愛嬌やな」
にやっと笑いながら
「君はなかなか運は良さそうやな」と質問者につぶやいた
5):1989年の政経塾入学式から約3週間後の4月27日94才で永眠した
「その様子は 悟り済みましたといったものとはほど遠いものでした
死にたくないもっと生きたいと必死の思いが形相に表れていました」
その顔に安息の表情は見られなかった
:新潮45(December2010)P261~270