地球市民点描・麻川明(黙雷)      大衆欺瞞の弁証法から大衆啓蒙の弁証法へ 自然権なき市民法は無効である

無知の状態においておくことは可能であろうが

見ない以前の無知にすることは不可能である

「沈みいく国への覚書:日本の現状と前途についての私的考察」

2013-03-30 22:24:55 | 日記
(注:切り取り張付け写真ですので、動画は
    ユーチューブで直接ご覧なさって下さい)


Published on Mar 27, 2013


Mure Dickie, Former Tokyo Bureau Chief for the Financial Times
フィナンシャル・タイムズの

ミュア・ディッキー前東京支局長

(現スコットランド特派員­)が

「沈みいく国への覚書:日本の現状と前途についての私的考察」

と題して話した。


冒頭、沈みいく日本のイメージは以前に読んだ、小松左京の

『日本沈没』からきているこ­とを明らかにした。


東日本大震災もあり、これを4年間の滞在中、よく想起した、

という­


取材のエピソードを交えながら、以下の項目を中心に取り上げた。


①東日本大震災の被災者や日本人が示した自己規律の高さ、尊厳、ストイシズム


②政府、東電の福島原発事故に対する処理能力の欠如と信用の失墜


③「安全神話」を長く見直さなかった主流メディアの怠慢


④日本の政治・経済の停滞


⑤中国の台頭と日本の相対的な影響力低下


⑥尖閣諸島をめぐる日中関係の悪化


⑦日本経済再生への提案


ゲストにお願いしている、

ゲストブックの揮毫は、

スピーチタイトルとは異なり、"Do­n't sink Japan"と書きそえた。


司会 石川洋 日本記者クラブ企画部長
通訳 澄田美都子(サイマル・インターナショナル)
日本記者クラブホームページ
http://www.jnpc.or.jp/activities/news...

▼:付記

米国人元戦争捕虜 U.S. ex-POW 2012.10.16


ソフトバンクのスプリント買収 「機器購入監視を承認条件に」

2013-03-30 11:17:17 | 日記

ソフトバンクのスプリント買収
機器購入監視を承認条件に=WSJ
2013年 03月 29日 02:56 JST


3月28日、米政府は、
ソフトバンクによる200億ドルの米スプリント・ネクステル買収計画について
ネットワーク機器の購入監視を買収承認の条件とする
ことを求めている。

写真は都内のソフトバンク支店前で2012年10月撮影(2013年 ロイター/Yuriko Nakao)


[28日 ロイター] 

米政府は、ソフトバンク(9984.T: 株価, ニュース, レポート)による

200億ドルの米スプリント・ネクステル(S.N: 株価, 企業情報, レポート)

買収計画について、ネットワーク機器の購入監視を買収承認の条件とする

ことを求めている。


米紙ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)が関係筋の話として

報じた。


中核ネットワークの機器購入に関する報告、

および国家安全保障や市民の安全に関する問題が生じた際には

協力することを義務付ける見通しという。


中国通信機器大手の華為技術HWT.ULおよび、

中国携帯電話メーカーの中興通訊(ZTE)

(0763.HK: 株価, 企業情報, レポート)
(000063.SZ: 株価, 企業情報, レポート)

は、国家安全保障上の懸念を理由に

米国市場での事業拡大が阻まれている。


米下院情報委員会は昨年10月、

中国当局が両社製品を通じてスパイ行為を行い、

安全保障上の脅威となる恐れがあるとして、

米通信会社に両社との取引解消を促した。


WSJによると、

スプリントとソフトバンクは

米国の中核ネットワークで

両社製品の使用を控える意向。


華為技術の広報担当、

ウィリアム・プラマー氏はWSJに対し、

「そのような方針が採用されれば、市場を歪める政治的、

もしくは保護主義的な行為同然に見える」

と述べた。


ZTEは

ロイターの取材に対し、コメントを差し控えた。


スプリント、ソフトバンク、華為技術の米国オフィスの

コメントは現時点で得られていない。

最高裁の裏金 : by 生田暉雄 (元高裁判事)←2010年

2013-03-30 10:50:25 | 日記


★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK100 > 798.html  

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最高裁の裏金 :
「日本国民は、犯罪者集団に裁かれているのです」
by 生田暉雄 (元高裁判事) 画像修整版 日々坦々
http://www.asyura2.com/10/senkyo100/msg/798.html
投稿者 行雲流水 日時 2010 年 11 月 30 日 21:21:03: CcbUdNyBAG7Z2

(回答先: 最高裁の裏金 : 「日本国民は、犯罪者集団に裁かれているのです」 by 生田暉雄 (元高裁判事) 日々坦々 投稿者 行雲流水 日時 2010 年 11 月 30 日 21:17:11)

http://etc8.blog83.fc2.com/blog-entry-770.html
2010⁄11⁄30(火) 20:11


ほとんど全ての自治体、企業を含め組織の中には必ず、プール金、隠し金という、いわゆる裏金がある。


企業は自らの収益が原資になっているが、役所は国民の血税が裏金となっているところから、その質は全く違う。


三井環氏が暴露した検察の裏金でもわかるように、その使途は遊興費ともいえる自組織中心的な享楽に使われている場合が一番の巨悪ある。


それらは徐々に可視化してきてはいるが、そのほとんどが組織側としては認めていない。


今年の5月に元高裁判事で最高裁裏金問題を追及している生田弁護士が、司法行政文書の情報公開請求をしたところ拒否されたので、処分取消を求めて提訴した。


先日の11月12日東京地裁705法廷にて結審となり、次回12月10日判決ということだ。(最高裁情報) (http://www.saikousai.info/2010/11/post-4.html)


この最高裁判所裏金問題は、

裁判官の人事評価をごまかす手口で年に10億円が裏金に回り、

50年間も同じことを続けてきたというから驚きである。


Amazon.co.jpより


詳しい内容は下記やリンクを参照いただくとして、この国は、犯罪者集団に監視され(警察)、起訴され(検察)、裁かれる(裁判所)、という犯罪国家なのだ。


その生田弁護士も以前、警察権力から不当逮捕されそうになったことがあるそうだ。


生田暉雄弁護士不当逮捕準備を許さない集会等の報告(不当逮捕を許さない会・えひめ)薔薇、または陽だまりの猫(http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/fbf14d1df87fd90bc37a6663835f1979)

最高裁裏がね問題のわかり易いJANJANの記事を転載させていただく。(http://www.news.janjan.jp/living/0907/0907227533/1.php)

********** **********

≪最高裁にも裏金疑惑、

元高裁判事が指摘 情報開示請求に最高裁はナシのつぶて(JANJAN:小倉文三 2009/07/23)


■最高裁に裏金疑惑


弁 護士の生田暉雄さんとは、7月12日に高知市で開かれた「仙波敏郎・講演会」の会場で会いました。生田弁護士は最近、「高知白バイ事件」の民事裁判の弁護 を引き受けたのです。警察相手となると、尻込みする弁護士がほとんどなので、香川県の弁護士に依頼することになったようです。「22年間、大阪高等裁判所 などで判事をしていた」ということですが、堅苦しくないお人柄で、すぐ打ち解けて対等に話すことができました。


私が、「警察も裁判所もムチャク チャですね」と切り出すと、「最高裁にも裏金があったりしますからね」という言葉が返ってきました。「知ってますよ。誰か本に書いてるらしいですね」と言 うと、「これですよ」と1冊の本を出してこられました。見ると、『裁判が日本を変える!』(生田暉雄 日本評論社)とありました。著者が、目の前にいたの です。「しかし、このタイトル、インパクトがないですね」と思ったままを言うと、「そうですか? 本屋にこれがいいと言われたもので・・・」と、反権力の わりに、素直でいらっしゃいました。


警察の捜査段階で「高知白バイ事件」裁判は終わっていた!?


警察から上がって来た刑事訴訟の 99.9パーセントが、有罪なのだそうです。これは、裁判で無罪になる確率は1000分の1、ということです。ですから、実際には警察の取調べが刑事裁判 の方向を左右していると言えます。「民事不介入」という警察のポリシーがありますが、警察は、分不相応に、刑事事件の判決に介入し過ぎています。「高知白 バイ事件」は、その典型的な例で、警察のご都合主義的な主張が3審制のどこにも引っかかることなく、ベルトコンベアーに乗ったかのように流れていきまし た。


仮に、警察が身内大切で、無実の片岡さんを犯人に仕立て上げたとしても、裁判所が「おい、ちょっと待て!その話おかしいじゃないか? そん なブレーキ痕なんかつくわけないだろ? バスに乗っていた人たちの証言はいったいどうなってるんだ?」と常識的な審理をしてくれれば、片岡さんは刑務所に 行かずにすんだのです。最終的には、(裁判所が白黒をつけてくれるはずだ)と、無実の片岡さんは信じていたのです。しかし、どの裁判所も、そのようには機 能しませんでした。


「高知白バイ事件」は、冤罪事件の氷山の一角で、同様のことは、日本国では日常的に起こってきたし、現に起こっているし、今 後も起こっていくものと想像されます。獄中の片岡さんに代って、裁判所に申し上げたい。「人手が足りないなら、1回だけでいいから、まともに審理してくだ さい。3審制は理想ですが、書類が移動するだけの形式的な3審制なら、時間とカネの無駄遣いです」、と。
「日本の裁判は、異常です」と生田弁護士


大 阪高等裁判所の判事にまでなっていた生田弁護士は、こう言いました。「日本の裁判は、世界的に見て、異常です。建前は民主主義なのに、官僚裁判官の支配す る人権無視の裁判が横行しています。私は、裁判員制度の本当の目的は何かというと、国家権力の恐ろしさを国民に思い知らせることなのではないか、と考えて いるのです。どうして、刑事事件に市民感覚が必要で、民事事件には市民感覚が必要でないのですか?」


■ヒラメ裁判官が大量発生する理由
2004 年10月18日、最高裁長官は新任裁判官の辞令交付式で、「上級審の動向や裁判長の顔色ばかりをうかがうヒラメ裁判官がいるといわれるが、私は少なくとも そんな人は全く歓迎していない」と訓示を垂れたそうです。いかにヒラメ裁判官が多いか、を問わず語りに明かしたエピソードだと思います。しかし、生田さん は、裁判官はヒラメにならざるを得ないカラクリになっている、というのです。講演会での生田さんの説明によると、こういうことです。


「裁判官は、 司法試験を通ってなるのですが、報酬月額は、判事補の時代に、12号(225,300円)から1号(430,000円)と上がっていきます。判事になって からは、8号(503,000円)から1号(1,211,000円)と上がっていきます。判事の4号までは、だいたい20年かかりますが、皆同じように上 がっていくのです」。


「しかし、4号から3号に上がるときには、60名中20名しか上がれません。40名は落とされるのです。年間所得で言うと、 期末手当5.2ケ月分、都市手当0.12ケ月分があるので、4号地方都市勤務と3号大都市勤務の間には、約400万円の差があります(H18・4・1実 施)。さらに、3号にならなければ、裁判長にはなれません。裁判官になったからは、誰しも裁判長になりたいのです。しかし、その当落の基準は、全く示され ていないのです。つまり、4号になってから最高裁や行政の顔色を窺っても、もう遅いということです」。


「裁判官になってから20年というのは、子 供が高校生や大学生になっている頃で、地方勤務か大都市勤務かということも家族にとっては切実な問題です。地方勤務だと多くの場合、単身赴任になってしま います。

4号か3号かの違いは、裁判官の家族全員の運命を左右する事柄なのです。3号になれなければ、2号、1号にもなれませんし、1号になれなければ、 所長にはなれないのです。中には、65歳の定年まで4号のままの裁判官もいるのです。このように、裁判官がヒラメ裁判官にならざるを得ないような昇給・昇 進のカラクリになっているのです」。


■最高裁の裏金作りのトリック
「最高裁は、60名のうち20名しか4号から3号に上げないにも かかわらず、給与のほうは、全員3号として予算配布を受けているのです。だから、400万円の40人分が裏金になるのです。そのような手口で、

年に10 億、サンフランシスコ条約以来、かれこれ50年そういうことをやっているのでしょうから、500億円にはなっている、と私は試算しています」。


「も しそれより少なければ、警察と同じように幹部が着服していたということになりますが、最高裁には、仙波さんのような人がいませんから、

真相は闇の中です。 警察の裏金は400億円くらいですから、

最高裁のほうが上ですね。
私は、現在、最高裁に情報の開示請求をしていますが、最高裁からは、何の返事もありませ ん。最高裁は、私を無視し続けています」。


「警察では、情報提供者に捜査協力費を支払ったことにして、ニセ領収書を作成して裏金にしています。検 察では、行っていない調査活動を行っているかのように装って、経費を計上して裏金にしています。最高裁では、架空の予算配布を受けて、裏金にしています。 いま、この国の警察・司法は、恐ろしいことになっているのです」。


 この記事は7月12日の「仙波敏郎・講演会」で、生田弁護士が話した内容を中 心にまとめたものです。正確を期すために、数字などは『裁判が日本を変える!』(生田暉雄、日本評論社)の第5章「裁判官の統制」から引用しました。「最 高裁の裏金」についてもその第5章に書かれています。


まとめ


 2年ほど前、大阪から高知に帰郷した娘を駅まで迎えに行ったことがあ ります。そのとき、車の中で「お父さん、最高裁が裏金作ってるって、知ってる?」と娘が唐突に聞くのです。「知らん。そら、どこの会社でも役所でも、多少 は裏金を作っとるやろ」と、私が言うと、「それが、多少じゃないみたいよ。ネタ元は、元大阪高裁判事よ。本に書いてる」と娘が言いました。
 いまにして思えば、娘は帰郷の途中に香川に立ち寄り、生田弁護士の出版記念パーティーに出席し、直接、生田さんから「最高裁の裏金作り」の実態を聞いていたのでした。私は、娘がそのとき見せてくれた出版物の名前も弁護士の名前もすっかり忘れていました。


   私にとっては、「高知白バイ事件」の延長線上に、その生田暉雄弁護士が登場したのです。警察の不正を追及しているうちに、芋づる式に、最高裁の不正が出 てきたのです。生田さんは、ある雑誌にこう書いたそうです。「日本国民は、犯罪者集団に裁かれているのです」と。すると、親しい法律家たちに、「オマエ、 名誉毀損で訴えられるぞ」と注意されたそうです。生田さんは、「それは、私の望むところです。そうしたら、最高裁に証拠を出させて、法廷で戦えばいいので す」と意気軒昂でした。
しかし、ヒラメ裁判官に最高裁が裁けるものなのでしょうか?≫

人権が蹂躙され、国民生活に影響がある国家権力、裁判所・検察・警察の「裏ガネ三兄弟」による裏金問題の解明は重要である。


12月5日には、三井環氏のデモ&日比谷公会堂のウォルフレン教授の講演会が行われる。

ウォルフレン氏の新刊も会場で買えるそうだ。

参照:
最高裁のウラ金-正常な司法なくして、正常な社会の発展は無い-生田暉雄
・PDF:http://www.saikousai.info/saikousainouragane.pdf
・阿修羅掲示板:http://www.asyura2.com/10/senkyo100/msg/404.html

-大スクープ! コレが「最高裁の裏金」捻出のカラクリだ!-(古川利明の同時代ウォッチング)(http://toshiaki.exblog.jp/6248809/)

ウォルフレン関連エントリー
ウォルフレン論文「日本政治再生を巡る権力闘争の謎」*保存用(長文)(http://etc8.blog83.fc2.com/blog-entry-371.html)
 

◉▶:TPPでどうか?

マリ共和国からシリアまで、誇張される宗教対立

2013-03-29 10:12:28 | 日記



紛争の「世俗的理解」を試みる

ジョルジュ・コルム

元レバノン財務大臣

『紛争の「世俗的」理解をめざして』(未邦訳)著者
Georges Corm, Pour une lecture profane des conflits,
La Découverte, Paris, 2012.

訳:仙石愛子 ル・モンド

 広大なサハラ砂漠に住んでいる部族民の困難な生活ぶりに

思いをはせないで、マリでの戦争を理解できるだろうか? 


反徒の旗がイスラム過激派の旗に 立て替えられても、

それで何も変わらない。世俗的、経済的、社会的、さらに

政治的な現実は従来のままであり、そうした現実が

レバノン、イラク、イラン、あ るいはパレスチナ同様、

この地にもただ対立と危機の土壌を形成している

のである。[フランス語版編集部]

« 原文 »


東西冷戦に替わる紛争

 時代が変わった。

西側ではソヴィエト連邦に煽られる共産革命が非難され、

東側では階級闘争と反帝国主義が賞賛されていた時代は終わり、

これを引き 継いだのは、

宗教的、民族的、さらには部族的なグループ同士の対立を

引き起こす時代である。


このような新しいものの見方が

特別な影響力を持つようになった のは、アメリカの政治学者

サミュエル・ハンティントンが20年以上前に《文明の衝突》

という概念を広めてからである。


彼は、

数多くの危機の根底には文化 的、宗教的そして道徳的な

価値観の違いがある、と説明した。


しかし、それは以前からあった人種主義的二分法に息を

吹き返らせたにすぎない
。19世紀にこの 理論を広めたのは


エルネスト・ルナンである。彼はアーリア人の世界は

文明化して洗練されていると考え、


セム族の世界は

無政府主義的で粗暴とみなし、両者の 対比を説くものであった。

 このように、「価値観」に依拠することは、

原初的アイデンティティへの回帰を促すことになった。


原初的なアイデンティティは、

相次ぐ近代化の大波 によって後退していたが、グローバル化や、

生活・消費形態の画一化、新自由主義によって

引き起こされた大きな社会変動、その犠牲になった幅広い階層の

人々、こういったもののおかげで逆説的にも蘇ってきた。


このように特定の価値観に依拠することは、

紛争当事者のいずれかに有利な国際世論の動員が可能とな る。


言ってみれば、植民地主義的思想を受け継ぎ文化本質主義

[特定の国、地域の文化は変わることがないという考え方――訳注]

の影響を受けて永続する大学 の伝統に、

強力に後押しされるのである。

 ヨーロッパ風の非宗教的リベラリズムと社会主義思想は、

ヨーロッパ外に伝播した挙げ句、

両方とも消え去ったように思われる。


紛争は人類学的、文化 的次元のものに限られてきている。


今や古典政治学的な分析手法を維持するジャーナリストや学者は

ほとんどいない。しかしこの学問は、

人口統計学、経済、地 理、社会、政治、歴史そして地政学に

関わる要因を考察対象に加えているだけではなく、


指導者の野心、世界の新帝国主義的構造、

そして影響力拡大をめざす地 域権力の思惑をも、

考慮に入れている。

ありきたりの空虚な議論

 概して、紛争について説明するにあたって、

その勃発に数多くの要素が絡んでいるということが考慮に

入れられない。ただ《善人》と《悪人》を分け、

問題点を単純化するだけで終る。


主役たちは、民族、宗教あるいは地域共同体つながりで

グループ分けされる。ご指名を受けたグループ内部では

意見や行動が皆 同じはずだ、ということになる。

 この種の分析方法の兆しは、冷戦末期には既に現れていた。


1975年から1990年までの長期にわたるレバノン内戦では、

多様な当事者たちが「キ リスト教徒」か「イスラム教徒」か

で分類された。前者は


全員が《レバノン軍団》という名の再編成グループ

もしくはキリスト教右派の《ファランジスト党》の 支持者とみなされ、


後者は

《パレスチナ進歩党》、後に《イスラム進歩党》と改名した連合グループ

にまとめられてしまった。こういった漫画的な分類で


想像す らされなかったことがある。それは、

数多くのキリスト教徒が反帝国主義と反イスラエルの連合グループに

属していたこと、パレスチナ人の対イスラエル作戦を

レバノンから指揮する権利をキリスト教徒が支持していたこと


一方、多くのイスラム教徒はそれに反対していたことである。


さらに、武装パレスチナ・グルー プがレバノンに駐留したこと、

それに対しイスラエルが激烈で大規模な報復攻撃を行なって

民間人に被害が及んだこと。このような事件を通して


レバノンにもた らされた問題は、

宗教とは全く関係のない性質のものであり、

レバノン内の諸グループの出自とも全く無縁のものだった。

 同じ時代に、

宗教的アイデンティティに対して別の作為が行なわれたが、

これを批判した専門家アナリスト、マス・メディアは全くいなかった。


1979年12月のソ連侵略によって引き起こされたアフガニスタン戦争

でのことである。この時こそ、


無神論者の侵略に反発する「イスラム教徒」を大動員 し、

国家レベルでの抵抗を隠蔽することとなった。


アラブ諸国をはじめ様々な国籍の若きイスラム教徒たちが、

アメリカ、サウジアラビア、パキスタンで

訓練を 受け先鋭化していた。


イスラム聖戦主義のインターナショナルが永続的に発展する

ための有利な状況はこのようにして創り上げられたのである。

欧米列強の大誤算

 さらに、1979年1月から2月にかけてのイラン革命は、

重大な地政学的誤解の端緒となった。西側列強が考えたことは、


イラン国王失脚後の新政府 を、

ブルジョワ民族主義、社会主義、あるいは

反帝国主義に染めさせないための最善策は

(1950年代初頭にモハンマド・モサッデクが

もたらした苦い経験に 学んで)

権力の座には宗教指導者を就かせる、

ということだった。というのは、


非常に宗教色の強いサウジアラビアとパキスタンの2か国が

アメリカと密接な 同盟関係にあったので、

イランもまた断固たる反共国家になり、

自分たちの忠実なパートナーになるだろうと踏んでいた。

  それ以降、政治とメディアは一斉に、

イラン、イラク、シリアそしてレバノンのヒズボラがつくった

「シーア派」の三日月危険地帯を引き合いに出す ようになった。


こうした国々・グループはスンニ派の不安定化をはかり、

テロを起こし、イスラエル国家を殲滅しようとしているという

のだ。


一部のイラン人が イスラム教シーア派に転向したのは

やっと16世紀のことであることを誰も指摘しようとはしない。


それはオスマン帝国の膨張主義に対してもっと強く抵抗する

ためにサファヴィー朝が促したものだった(注2)。


イランが常に主要大国であることや、

その体制は新たな虚飾で飾り立てて、「偉大なシャー」政策を

ひたす ら追い求めていたことなどは、

誰も触れない。


シャーは

自らペルシャ湾の憲兵になることを願い、

フランスに刺激されて核兵器に強い関心を持っていた。


宗教と は関係のない

こういった歴史的な事実があるにもかかわらず、以降、

中近東ではすべてのことが「スンニ派とシーア派」という発想で

分析されている。

理解されないイスラム組織

 2011年初頭にアラブ世界で民衆の怒りが爆発して以降も、

単純化の動きは続いている。


バーレーンでは、

デモ参加者は「シーア派」であり、

スンニ 派支配に反対するイランが操っていると言われている。


これは反体制派の主張に共感するスンニ派市民がいるだけではなく、

現政権を支持するシーア派市民がい ることをも無視する行為

である。


イエメンでは、この国を長きに渡り支配した王朝の支持党派の流れ

を汲むホウシー派の反乱(注3)があったが、これは

「シー ア派」的現象、すなわち専らイランの影響としてしか

見られていない。

 レバノンでは、《ヒズボラ》が、シーア派内部で対立を起こしたり

あるいは逆に数多くのキリスト教徒やスンニ派を含め様々な宗派の

イスラム教徒の 間で支持を集めてきた。


にもかかわらずこの組織は、

イランの野心に操られる単なる道具とみなされているのだ。


レバノンは1978年から2000年までの 間、

住民の大半がシーア派である南部の広大な土地をイスラエルに占領

されていて、ヒズボラがこれに抵抗して生まれた組織だという

ことが忘れ去られている。


確かにこの占領は、ヒズボラの執拗な抵抗がなければ

長く続いたことだろう。

 反面、ガザの《ハマス》は純粋に「スンニ派」の所産であり

《ムスリム同胞団》パレスチナ支部を母体として結成されたのだが、


「中道」スンニ派支持 のアナリストたちの中に

このことを気にかけるものはあまりいない。

このハマスが

彼らからみて批判されるべきなのは、

武器を供給しているのがイランだからで あり、

その武器でイスラエルによる領地封鎖を破ろうとしている

からである。

 要するに、いたるところ微妙な差異は無視されている。

社会経済的な抑圧や疎外状況は故意に伏せられる。


諸党派の権力闘争も存在しないことになって おり、

善の力と悪の力が存在しているだけなのだ。


多様な意見を持ち多様な行動をとる社会共同体は、

空虚な人類学的理論とステレオタイプ化した文化本質主義 の助けを

借りて性格規定されている。


そういった共同体は

何世紀にも渡り、社会・経済・文化の強い相互影響の下で

生きてきたのだ。

 

新しい概念が諸言説のなかに進入してきている。

西欧では、

「ギリシャ=ローマ」時代の根底にあった無宗教性が

拠りどころにされていたが、その後

「ユダヤ=キリスト教的価値」がそれを継承した。


それと同様に、

世俗的発想を持つアラブ民族主義が主張する反帝国主義、社会主義、

「産業化優先」などが地 域の政治に長いあいだ影響を及ぼしてきた

が、これを継承したのが、

「イスラム主義的な価値、特性、慣習」すなわち

「アラブ=イスラム主義」だった。

相手が仏教徒でも……

 こうしたことから、オリエントの「家父長的あるいは部族」的な

総合価値観は

西欧社会が自認する個人主義、民主主義的価値観と相容れない

と考えられ るようになる。かつてヨーロッパの大社会学者たちは、


仏教社会は産業的資本主義に達することが決してないだろう、

と考えたことがあった。というのは、

産業 資本主義はプロテスタンティズムという固有の価値観を礎としていた

からだという。

 同じような着想から、

パレスチナ問題も、もはや民族解放をめぐる戦争として認識されてはいない。


この問題はパレスチナ解放機構(PLO)が長い間 要求してきたように

国を一つだけ建設し、そこで

ユダヤ教徒、キリスト教徒そしてイスラム教徒が対等に暮らすことで

解決できるはずだからである(注4)。


と ころがパレスチナ問題は今や、

ユダヤ人のパレスチナ居住に反対するアラブ=イスラム的拒絶

とみなされている。それゆえ、


多くの良識ある人々が、

PLOは処 罰すべき根強い反ユダヤ主義の象徴だと捉えているのだ。


それでも、少々の分別があれば理解できたであろうと思われるのは

たとえパレスチナを占領したのが 仏教徒だったとしても、


あるいは、

オスマン後のトルコがパレスチナを再征服しようとしたとしても、

抵抗運動は全く同じように恒常的かつ過激になっていただ ろう、

ということだ。

 チベット、新疆ウイグル自治区、フィリピンで、さらに

ロシア支配下のコーカサスで、その後ビルマで、

仏教徒である隣人と紛争を起こしていたイスラ ム教徒の存在が

最近明らかになった。また、


共同体と共同体の境界線に沿って分割された前ユーゴスラヴィア

(カトリック教のクロアチア、正教会のセルビア、

イスラム教のボスニア)でも、さらに

アイルランド(カトリックとプロテスタントに分割され)でも

……。こういった様々な宗教において、


紛争は本当に宗教的 価値観の衝突だと言えるだろうか? 

それとも逆に、紛争は宗教とは関係なく、

つまり社会的現実の中にその根源があるが、

誰もその力学を分析しようとはしな くなり、

その間に共同体の指導者を自認する多くの者たちが、

そこに野望実現の機会を見ているのではないだろうか?

 規模の差こそあれ、覇権争いにおいてアイデンティティを利用する
のは昔からの常套手段である。フランス革命以来、
政治の近代性と共和主義的信条は 世界中に広がり、
国際社会と外交に政教分離の理念を継続的に根づかせてきた……
と誰もが信じていた。ところが、

全然そういうふうにはならかなった。いくつ かの国が、
複数の国々にまたがる宗教を代表するのは自分の国だ
と主張する。そういう国が、特に3つの一神教
(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)に関し て、増えている。

権利の歪曲化

 こういった国々は宗教をつかみ、権力政治、影響力ある政治、
拡張政策に宗教を利用しようとする。国連の謳う人権という原理を遵守
していないことを これで正当化するのである。


欧米諸国が、
1967年以来パレスチナ人の土地が占領され続けていることを承認している一方で、

一部のイスラム大国は、鞭打ち 刑、投石刑、断手刑を容認している。


国際的人権侵害に適用される制裁は、これもまたばらばらである。

たとえば、

一部の国々(イラク、イラン、リビア、セル ビア他)では

「西欧諸国」が厳しい懲罰を科している一方で、

別のケース(イスラエルによる占領、米軍のグアンタナモ収容所における拘禁刑)では

戒告すら行 なわれていない。

 地域の紛争を収拾しようと望むならば、

特に中近東において緊急にやらなければならないことは、

宗教の手段化をやめさせ、紛争の非宗教的な実態を隠蔽する

単純な分析方法をやめさせることである。これが緊急に必要なのである。



(1)Seymour M. Hersch, «The redirection», The New Yorker, 5 mars 2007, http://www.newyorker.com
(2)サファヴィー朝は1501年から1736年までペルシャを統治した。初代君主のイスマーイール1世(1487年~1524年)は臣民のシーア派改宗に着手した。
(3)Pierre Bernin, «Les guerres cachées du Yémen», Le Monde diplomatique, octobre 2009.
(4)特に、1974年国際連合総会でヤセル・アラファトが演説し、ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒が一つの国に対等に暮らす意義を訴えたことは有名である。


(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2013年2月号)

皇室の守護神「楊貴妃」

2013-03-28 20:49:15 | 日記





泉涌寺 (せんにゅうじ)は、

京都市東山区泉涌寺山内(やまのうち)町にある真言宗泉涌寺派総本山の寺院。


山号は東山(とうざん)または泉山(せんざん)。


本尊は釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒如来の三世仏。


平安時代の草創と伝えるが、実質的な開基(創立者)は

鎌倉時代の月輪大師俊芿(がちりんだいししゅんじょう)である。


東山三十六峰の南端にあたる月輪山の山麓に広がる寺域内には、

鎌倉時代の後堀河天皇、四条天皇、江戸時代の後水尾天皇以下幕末に至る

歴代天皇の陵墓があり、


皇室の菩提寺として

「御寺(みてら)泉涌寺」
と呼ばれている。

◉▶付記

歴史年表


756:玄宗皇帝の唐滅亡=大和城滅亡

日本列島『大和国』757←大倭国747←大養徳国737←大倭国

出典:人物業書「藤原仲麻呂」岸俊男著 年表P436~443 吉川弘文館
   
世界史年表・地図←吉川弘文館
年表
745:玄宗、楊太眞を貴妃とす
756:安祿山、燕皇帝と称す。玄宗、西南に走る。
   楊国忠・楊貴妃(719~)殺される
。《年表P29》

地図
P18:大和城←北緯25度、経100度 南詔「7世紀後半のアジア」
P20:大和城←同上  「8世紀後半の世界」

中国史人物事典~雲南
ww1.enjoy.ne.jp/~nagaichi/chu834.html - キャッシュ共有
河蛮を逐い、大和城を取った。唐朝により帰義の名を賜った。六詔を統一し、吐蕃を破った。開元二十六年(738)、玄宗朝に入朝して、雲南王に封ぜられた。都を大和城においた。 異牟尋(755?~808) 南詔王。在位779~808。鳳迦異の子。閤羅鳳の孫にあたる ...
西[シ耳]河附近の南詔の城と通商路 - nifty
homepage2.nifty.com/i-love-turk/.../nanchaomap.ht... - キャッシュ
開元27年、皮羅閣が蒙舎川から移ってくるまでは長子の閣羅鳳が守っていた。これ以後、大和城が南詔の王都となる。 陽苴[口芋]城の造営(または整備、増築)は閣羅鳳代に始まったらしい。実際の遷都は、閣羅鳳を継いで南詔王となった孫の異牟尋によって行 ...
[PDF]
南詔国の都城について
ir.iwate-u.ac.jp/dspace/bitstream/10140/.../erar-v24n1p17-29.p...
ファイルタイプ: PDF/Adobe Acrobat - クイック ビュー
藤沢義美 著 - 1965
南詔国の都城については,明清時代に書かれた関係史書以来今日に至るまで,あるいは“大. 和域”と言い,あるいは“陽亘嘩城”と言い,又は“大理域”と言い,必ずしも明確ではなか. った。従来どちらかと言えば,大和城をもって南詔国の都城とみなす傾向があっ ...
玄宗皇帝--第38集南詔出兵の惨状~開元の治・繁栄と没落~
www.geocities.jp › ... › 玄宗皇帝 - キャッシュ
閤羅鳳は、これを大和城まで深く誘い入れ、城壁を閉じて戦わなかった。大和城は難攻不落で有名だった。 季節は夏。補給路を断たれ、李宓は兵糧が尽き、士卒は伝染病や飢えで七、八割が死に、退却を余儀なくされた。 南詔軍はこれを追撃した。そこに論綺里 ...
南詔徳化碑 - 旅行のクチコミサイト フォートラベル
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投稿: Yunnan
2011/09/13 – その後、902年に南詔国は滅亡したが、937年白族(ペー族)の 段思平(在937年 - 944年)が大理国を建て、1253年、フビライに滅ぼされるまで300年余繁栄した。 大理 写真. NO(01)大和城遺跡苑図。 次の写真へ. 大理 写真. NO(02)入り口 ...

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