天皇人脈「雄略の娘婿『仁賢』から『仁明』へ」
【仁賢天皇】:女房「春日大娘皇女」←雄略天皇の娘/
娘「手白香(髪)皇女」→【継体天皇】の嫁となって欽明天皇を生む
娘「橘仲皇女」→【宣化天皇】の嫁となって石垣皇女を生む
【欽明天皇と石垣皇女】:→敏達天皇を生む
【敏達天皇】:広姫(息長真手王の娘)が押坂彦人大兄皇子を生む
押坂彦人大兄皇子と糠手姫皇女(敏達天皇係累)が【舒明天皇】生む
敏達天皇の曾孫の曾孫が【仁明天皇】を生む
▼:自分たちの血脈を死守する様がセロファンにように透けて見ゆる
▼:「日本書紀」
雄略が崩じて皇太子の清寧が即位した
その翌年2月に
雄略に殺された市辺忍歯別王の息子を
市辺の妹の忍海郎女(飯豊王)が探し出した
播磨で「馬飼い・牛飼い」となって使役されていたのが発見された
「億計王=(仁賢)」「弘計王=(顕宗)」
呼び戻されて清寧天皇3年に立太子し
5年正月に清寧天皇が崩じると弟→兄の順で就任した
仁賢は
即位以前に雄略の娘の「春日大娘皇女」を娶り
6~7人の皇女が生まれている
仁賢は娘婿・入り婿の立場だった
雄略とは何者か?
〔出典:
「日本女帝の話」橋本治著 集英社新書
「女帝と譲位の古代史」水谷千秋著 文春新書〕