日曜日の夜の帰りの電車はいつも満員で、立っていなければならずよく車窓から見えるオフィス街や団地に電灯がついて並んでいる光景をガタンガタンという車輪の音と共に覚えている。小学校の頃からこのオフィスや団地を見ているといろんな窓の中でなにやら机に座って仕事をしている姿がいくつもの窓からミニチュアのように大勢のそれぞれの姿が見えて面白かった。いつかは自分もあんなところで仕事をするのかなあ?とぼんやりと憧れるような感じと、日曜日の遅くまで仕事をする大人の大変さを想像してやりたくないという気持ちが入り混じって不思議な光景に見えていた。
浪人で神戸の予備校の周辺を(予備校には行かずにこの時代はただぶらぶらしていた頃だ。パチンコもよく行った)往復するときはオフィス街の窓がだんだん檻ののように見えてきていた。サラリーマンのカバン、キュッキュという音がする革靴、ネクタイなどがまだ少し憧れは残っているものの、植木等さんの無責任男や森繁久弥さんらの駅前社長シリーズの映画などで見たサラリーマンの生活がどうもピンと来なくて、益々大学に入っても何をしていいのやら全く想像がつかなかった。何しろ植木さんはC調で相手企業のエライさんと酒を飲んだりゴルフをしたり、女性の世話をするようなことばかりだったので「仕事」のイメージが全然つかめなかった。笑い話だがやはり映画やテレビで学んでいかざるを得なかった時代なんだろう。
さて、そうしてみると大人になった頃、子供の時にイメージした仕事と実際やってきた仕事は勿論違うがあえて言えばテレビ局時代の14年間が貴重なサラリーマン経験だったといえる。私の場合、まずはプータロウ、フリーターから始まり、別府の温泉旅館での不思議な旅館手伝い業とCM、映画制作という仕事といえば仕事だがなんとも植木等さんや駅前社長シリーズの世界に近い、へんてこりんな世界に入っていた。
ここでちょっと中断・・お呼びがかかったのでのちほど。といって書いた試しはないが・・・。
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