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総選挙の意味

死生観

2018-05-01 10:08:59 | 日記
    死生観          バリケイト伊東                     今日は5月1日。東京はいい天気だ。案外こんな日に大地震は起きたりして、多くの人間が死んだりするのだ。いきなり不吉な話で始まったが、死とは日常的な事なのだ。特別な事ではない。生き神の側にはいつも死に神が存在している。私は朝起きると、今日で人生が終わってしまうのではないかと、1%ぐらい頭の片隅に自分の死をイメージする。99%何も起こらないが。67歳の割には健康だし、肉体をしっかりきたえてる。見た目、死とは程遠い感じだが、突然死ぬかもしれない。交通事故で、ガンで、過度のストレスで、日頃の政治的言動に反感を持った人間に殺されるかもしれない。実際、おまえ呼ばわりするコメントが届いてる。仮に殺すという内容のコメントが届いたても、驚かないし、警察にも連絡しない。警察が100%守ってくれるわけではない。政治的な信念や、理想を貫いて殺されるなら、望むところだ。坂本竜馬も、キング牧師もケネディも政治的理想や信念を貫いて暗殺された。死を恐れたら、理想は達成できない。人は遅かれ、早かれ死ぬのだ。死ぬ事を恐れるな。人には運命というものがある。生まれる日、場所とか、死ぬ日、死ぬ場所は決まってるのだ。生れ落ちた時に、生の確定と同時に死も確定するのだ。人生とは執行猶予で生きる事だ。死を過度に恐れる事はない。死を目前にしたほうが逆説的に生き生きしてくるのだ。死を見つめる事は、生きるを見つめる事なのだ。だらだら生き延びるだけが能ではない。命をかけて己の信念や理想のために戦い死ぬなら、後悔はない。人はどんなに長く生きても、100年の人生だ。生まれてすぐに死ぬのも、100歳で死ぬのも、さほど差はない。宇宙137億年の長さに比べれば、100年ぐらい一瞬だ。だからこそ、人生という短い時間を大切にしなければならないのだ。一瞬を、今を、一日を、1年を大切にしなければならない。今日死んだところで、後悔しないようにしなければならない。今の日本、生きる事に疲れ、生きる目的を失った人間が山ほどいる。そんな人間が誰でもいいから殺したいで、簡単に人を殺してしまう。人の命を奪う事は、他人の命や人生を粗末にする以前に、自分の命や人生を粗末にするから出来るのだ。なぜ、生まれ、なぜ、生きてるのか、なぜ、死ぬのか、もう一度考えるべきだ。このテーマは人間にとって永遠の問題だ。殺人を犯した人間にとっても大切な問題なのだ。再犯を防ぎ、より良き人生を歩むためにもしっかりと考えて欲しい。話が長くなった。ページが足りない。この辺でやめよう。今日、一日をしっかり生き抜いてください。

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