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Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

統国寺(2019年4月28日参拝)

2019年07月11日 | 仏閣


フェルメール展から昼食(ほうとう)を経て、
あべのハルカスを見ながら統国寺というお寺へ移動。

統国寺は知る人ぞ知る珍しいお寺で、
以前から訪れたと思っていた。

しかし、珍しいが故に参拝するのを躊躇っていました。

かくいう私、天王寺界隈の寺社は参拝し尽くした感があり、
参拝していない寺社は統国寺のみとなり、
いよいよ参拝しなければな、と思い訪れた次第。



所在地:大阪府大阪市天王寺区茶臼山町1-31
宗派:元暁宗・単立
御本尊:釈迦三尊
創建:不明
開山:観勒僧正
開基:聖徳太子


【由緒】
統国寺の由緒は聖徳太子の創建になる名刹で、
百済の僧観勒が開山住持として招かれ、
推古天皇の帰依により厚遇を賜った。

創始期は法相宗であったとされる。

元和元年(1615)の大阪夏の陣では徳川方に加勢した為、
真田幸村軍によって全山消失の憂き目にあったとされる。

元禄2年(1689)に当時の高僧法源和尚により再興せられた。

これより20年経た宝永6年(1709)黄檗四代独湛和尚を招請して、
中興開山とし、黄檗宗に属して寺名を邦福寺と改め、
近くの和気清麻呂が開いた和気堀に因んで、
和気山の山号をつけたとされる。

その当時の正式名は和気山邦福寺である。

邦福寺時代は黄檗宗の別格寺院に相当し、
厳しい修行に挑む大勢の雲水が修行していた。

昭和44年(1969)には在日本朝鮮仏教徒協会の傘下に入り、
統国寺と命名されて再興された。

爾来脈々と法統を重ね、初代金星海、二代張泰成、三代徐泰植、
当代崔無碍と継承されている。

現在は朝鮮・韓国の仏教儀礼と伝統儀式を挙行しつつ、
元曉大師の和合の精神の下、朝鮮・韓国・日本の差異を超えて、
仏教儀式・布教を幅広く行っている。


【参道】


お寺の近くにはラブホテル街があります。(^^;


【醍醐】


屋根の左側にミニの大阪城がある、
この怪しげな建物は何だと思います?

はい、れっきとしたラブホテルです。(笑)

こんなものが存在しているのが大阪クオリティーです。(褒め言葉)

中に入った人のレポを見ると、
部屋のクオリティーは底辺だそうです。(苦笑)


【料亭 阪口楼】


お寺の前には料亭がある。

料亭なんか行ったこと無いけど、
ここは比較的リーズナブルで行こうと思えば行けるな。(^^


【石仏】


まずはお地蔵さんらしき石仏に御挨拶。

お寺に山門は無いようです。

短い参道を進むと進むとお寺には似つかわしく無い、
非常に珍しいモノがありました。

え?まさかこんなモノが?
というモノです。

それは最後に御紹介しましょう。


【大雄殿】




本堂であり仏殿。

黄檗宗の雰囲気を感じる本堂です。

早速、堂内に入ってお参り。


【御本尊】




これは予想以上に立派な釈迦三尊ではありませんか。

拝み甲斐がとてもある仏様達でしたね。


【天井画】


カラフルな龍は日本人の感性には合わないですね。


【諸仏】






いろいろ見た事があるような無いような諸仏が祀られていましたが、
はっきりと分かったのは不動明王だけでした。

ちなみに大雄殿の内陣に入るには、
お寺の許可が必要ですので御注意を。


【大念珠】





【十三重石塔】



【庫裏】


やはり禅宗を感じる庫裏ですね。


【ベルリンの壁】




これが目を疑ったモノです。

本物かと疑ってしまう程の場違いなモノです。






これは信徒の方が寄進されたそうですが、
どうやってベルリンの壁を入手出来たのであろう。

当時は混乱の最中ですから、取りたい放題だったのかな。(笑)

何故、統国寺に寄進されたかというと、
朝鮮民族が東西ドイツのように一つになるように願われてのこと。

ちゃんと真面目な考えだったようですね。


御朱印はされていないとのことです。


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