Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

根津美術館 其の一(2021年3月28日拝観)

2021年05月31日 | 旅行・その他


永平寺別院長谷寺から少し歩いて、
南青山にある根津美術館へ移動。

この根津美術館では狩野派と土佐派の企画展があり、
狩野派の私は当然の如く訪れた次第。

コロナの影響で拝観は指定時間制となっており、
長谷寺参拝後、ナイスタイミングで到着。


所在地:東京都港区南青山6-5-1
開館:昭和16年(1941)
駐車場:9台(無料)


【狩野派】
日本絵画史上最大の画派であり、室町時代中期(15世紀)から江戸時代末期まで、
約400年にわたって活動し、常に画壇の中心にあった専門画家集団。

狩野派の代表的な絵師としては、
室町幕府8代将軍足利義政に仕えた初代狩野正信とその嫡男・狩野元信、
元信の孫で安土城や大坂城の障壁画を制作した狩野永徳、
永徳の孫で京都から江戸に本拠を移し、江戸城、二条城などの障壁画制作を指揮した狩野探幽、
京都にとどまって京狩野と称された一派を代表する狩野山楽などが挙げられる。


【土佐派】
中世〜近世に活躍した大和絵の代表的な画派。
本来藤原姓を名乗る宮廷絵所絵師の系譜を引くもので、
室町時代の応永・永享年間に,絵所預として活躍した藤原行広が土佐を号したのに始まる。

行広の2代後の土佐光信は室町幕府の御用絵師をも兼ね、画壇最高の地位を占めたが、
その孫光元が1569年戦死して絵所預の職を失い血脈も絶えた。

その門弟光吉は堺に移ってわずかに土佐派の手法を維持、狩野派の下請的役割に甘んじた。

江戸時代に入って光吉の子光則は1634年頃再び上洛、その子土佐光起の時に1654年絵所預の職に復帰、
以後江戸時代を通じて宮廷絵所預としての地位を維持した。

その後幕末まで狩野派と並立して活躍を続けたが芸術的生命は土佐光起で終ったとみられる。


【桜】






美術館前の桜。

天気が良ければ尚良しだったのに。


【根津美術館】






南青山といえばオシャレなイメージがありますが、
この美術館の外観もスタイリッシュです。


【石船】





【梵鐘】




さて、手を消毒して館内へ。

一階は大きなロビーといった感じで、
シルクロードや中国系の仏像が安置されていました。

係員に確認したところ一階は撮影OKとのこと。
それでは遠慮なく。


【弥勒菩薩立像】







【仏頭】









【十一面観音菩薩立像】







【四面仏碑像】











【如来三尊像】














両方とも素晴らしい。


【如来立像】




見応えたっぷりの仏像ばかり。
よくぞこの時代まで残ってくれたものです。

美術館の仏像は結構撮影OKなのが多い。
仏様を信仰しているお寺と観賞用としている安置している美術館との違いですね。

狩野派と土佐派の特別展は2階から展示されています。

こちらは一切撮影不可です。


【両帝図屏風】


狩野探幽作。

やはり探幽作は素晴らしい。
一番目立ったのがこの作品です。

他にも伝 狩野元信作の四季花鳥図屏風等、
狩野派の作品の数々。

土佐派も優美な源氏物語を描いた作品も良かったですね。
こじんてきに狩野派の方が好きだけど。

それにしてもやはり素晴らしい作品の数々です。
とても眼福で幸せなひと時でした。


最新の画像もっと見る