八剣神社から続いてカッコいい名前の手力雄神社へ。
手力雄神社と書いて「てぢからおおじんじゃ」と読みます。
車は当然ながら無料駐車場がありました。
所在地:岐阜県岐阜市蔵前6丁目8-22
御祭神:天手力雄神
創建:貞観2年(860)
社格:郷社
【由緒】
社殿によると貞観2年(860)に鎮座したと伝えられる。
弘治年間には斉藤氏の祈願所になる。
中世には長森が戦略上の要所であることから、度々戦火に見舞われた。
木曽川渡河点は手力雄神社鎮座地以外に無く、
尾張以東の東海道の軍勢が京に上るには、
この場所で木曽川を渡るしかなかった。
従って信長父子は数次に亘って当所を攻めたが、
湿地帯であることから大兵を用いることが出来ず断念
慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いに際しては、
当社を祈願所としていた織田氏が西軍についた為、
徳川家康の襲撃を受け御神体等極一部を除き全焼した。
元和年間(1615~1624)に本殿・拝殿等が再建、
幣殿・拝殿は明治13年(1881)に再度造営されている。
現在の社殿は平成20年(2008)に再建されたものである。
【両部鳥居】

車が通れる立派な鳥居でした。
【鳥居】

【狛犬】

【参道】

【拝殿】



まだまだ新しさを感じる綺麗な拝殿ですね。
【蔵】

【火祭り】


毎年4月第二週の土曜日には勇壮な火祭りがあるそうです。
これは一度見てみたいですね。
これにて手力雄神社の参拝終了。
御朱印は社務所が閉まっていたので、
いただいておりません。
手力雄神社と書いて「てぢからおおじんじゃ」と読みます。
車は当然ながら無料駐車場がありました。
所在地:岐阜県岐阜市蔵前6丁目8-22
御祭神:天手力雄神
創建:貞観2年(860)
社格:郷社
【由緒】
社殿によると貞観2年(860)に鎮座したと伝えられる。
弘治年間には斉藤氏の祈願所になる。
中世には長森が戦略上の要所であることから、度々戦火に見舞われた。
木曽川渡河点は手力雄神社鎮座地以外に無く、
尾張以東の東海道の軍勢が京に上るには、
この場所で木曽川を渡るしかなかった。
従って信長父子は数次に亘って当所を攻めたが、
湿地帯であることから大兵を用いることが出来ず断念
慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いに際しては、
当社を祈願所としていた織田氏が西軍についた為、
徳川家康の襲撃を受け御神体等極一部を除き全焼した。
元和年間(1615~1624)に本殿・拝殿等が再建、
幣殿・拝殿は明治13年(1881)に再度造営されている。
現在の社殿は平成20年(2008)に再建されたものである。
【両部鳥居】

車が通れる立派な鳥居でした。
【鳥居】

【狛犬】

【参道】

【拝殿】



まだまだ新しさを感じる綺麗な拝殿ですね。
【蔵】

【火祭り】


毎年4月第二週の土曜日には勇壮な火祭りがあるそうです。
これは一度見てみたいですね。
これにて手力雄神社の参拝終了。
御朱印は社務所が閉まっていたので、
いただいておりません。