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Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

妙心寺塔頭 玉鳳院(2023年2月8日参拝)

2023年05月09日 | 仏閣


本日最後の参拝となるのが玉鳳院。
通常は非公開ですが京の冬の旅で公開しておりましたので、
今日のタイミングで訪れました。

こちらには何しろ我が御屋形様の武田信玄公の供養塔があるので、
参拝はMUSTでございます。


所在地:京都府京都市右京区花園妙心寺町57
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:釈迦如来
創建:不明
開山:無相大師(関山慧玄)


【縁起】
花園法皇がその離宮を改めて妙心禅寺とし、関山慧玄を迎えた時、
参禅する場所として丈室の後方に新たに構えた建物が玉鳳院である。

玉鳳院は法皇が建てた山内最古の塔頭寺院である。

現在の建物は明暦2年(1656)の再建になり、
花園法皇の法体木像を安置している。

檜皮葺屋根の寝殿風の方丈は、狩野永真(安信)や洞雲(益信)の筆と伝わる
障壁画「麒麟図」「竜図」「秋草図」などで飾られている。

今日、院内には山内最古の建物である開山堂をはじめ、
玉鳳院方丈、庫裏、鐘楼、祥雲院殿霊屋などが擁され、
妙心寺開創以来の由緒を持つところとして聖域視されている。

豊臣棄丸所用の木造玩具船(重文)を有する。


【山門】



【向唐門】




開いているのを初めて見ました。


【方丈】


絶賛工事中でしたが拝観することは可能でした。


【平唐門】






この穴は応仁の乱の時のヤジリの痕だそうです。


【方丈】


玉座もありこれぞThe京都の方丈です。


【竜図】




堂内はおろか庭園も撮影禁止でしたので、
画像はネットで拾ったものです。


【麒麟図】


狩野永真や洞雲の筆とされる障壁画。


【微笑庵】


こちらは開山堂にあたり関山慧玄の遺骸がこの微笑庵に安置されている為、
妙心寺の中でも最も大切な場所だそうです。

関山慧玄は朝廷から本有円成、仏心、覚照、大定聖応、光徳勝妙、自性天真、
放無量光の国師号が与えられ、また、明治天皇から無相大師と追諡された程の高僧。

ちなみに大師号で一番多いのは50年に一度贈られる法然上人が8回です。


【霊屋】



【供養塔】


開山堂の横に武田信玄、武田勝頼、武田信勝、武田信豊の供養塔と、
向かって左側に織田信長と織田信忠の供養塔がありました。

初めて見た時は驚きと共に感動したもんです。

妙心寺の中で最も重要な開山堂の横に供養塔があるとは、
さすが超有名武将達だけありますね。


【養源院】






妙心寺中興開山日峰宗舜禅師の塔所。


【蓮池】



【サギ】




これにて本日の参拝終了。


【昼食】


花園会館にある花ごころで昼食。

さて、これから職場へ行きますか。
しかし昼から仕事なんてしたくないわ~。(^^;

妙心寺塔頭 壽聖院(2023年2月8日参拝)

2023年05月07日 | 仏閣


本日のメインである壽聖院の拝観時間がようやくきた。

ここは私も知らなかったぐらい存在感の薄い塔頭です。
それもそのはず、京の冬の旅では初公開、
檀家さんや座禅体験以外は入れない塔頭寺院です。

この塔頭は石田三成公が父を弔う為に建立されたもの。
しかも狩野永徳の設計と伝わる庭園もあるとか。

何これ?凄すぎへんか?

京都の寺院は調べれば調べるほど、
こんな縁起や歴史が出てくるんですけど。

京都恐るべし。


所在地:京都府京都市右京区花園妙心寺町44
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:釈迦如来
創建:慶長4年(1599)
開基:石田三成公
開山:伯蒲禅師


【縁起】
当院は慶長4年(1599)に石田三成がその父である正継公の菩提寺として、
当時学徳高き伯蒲禅師を院主に迎え創建したものです。

創建当時の壽聖院は今日の敷地の四倍を有し、
周囲には堀と土塀をめぐらし本堂は壮大を究めました。

客殿の軒先は金箔瓦で葺きあげ、
さながら石田家京都屋敷の観を呈するものであったと伝えられています。

しかし慶長5年(1600)関ヶ原の戦いにて三成公率いる西軍は敗れてしまい、
当院も縮小を余儀なくされます。

その後、三成の長男の石田重家は出家し寿聖院開山の伯蒲禅師に弟子入り、
寿聖院の三代目の住職となり往時の1/4程度に縮小はしたものの寿聖院を再建。

壽聖院の北門であった門は妙心寺全体の北門として現在は利用され、
当時の勝手口が現在壽聖院の正門として残るのみです。

一度全て取り壊された建物はしばらくして建て直されました。
また、本堂の前に広がる庭園は絵師狩野永徳が設計したと伝わり、
その景観は桃山時代より変わっておりません。

庭園にある瓢箪池は三成公の指示により、
主君の豊臣秀吉公の戦勝の瓢箪印をモチーフに造られています。


【山門】


こじんまりとした山門です。
そりゃ以前の山門は妙心寺の北門になって、
ここの山門は当時の勝手口なんだから。

10時になったのでようやく拝観開始。


【石柱】



【前庭・庫裏】





【池泉式庭園】










狩野永徳設計の庭園ですが、
庭園設計については天才ではなかったようです。(^^;


【書院】



【襖絵】


書院の中は撮影禁止でしたので、
画像はネットで拾ったものです。

村林由貴さんという作家の襖絵。

退蔵院方丈襖絵プロジェクトとして襖絵作成のアトリエとなったのが、
ここ壽聖院だったそうです。


【肖像画】


宗亨禅師。
石田三成公の嫡男石田重家が関ヶ原の合戦後、
密かに大坂城を脱出し壽聖院に逃れ出家。
まだ十代前半だったことにより徳川家康公により助命された。




石田政継。
石田三成公の父。


【石田一族墓所】






墓所の拝観が出来ました。
これは嬉しかったですね。


【御朱印】




書き置きの御朱印5種と御朱印帳がありました。




全部いただくのは節操がないので、
今回はこちらをいただきました。

妙心寺塔頭 天祥院(2023年2月8日)

2023年05月05日 | 仏閣


続いて本日のメインである壽聖院という塔頭へ。

妙心寺境内図の左上の方にお寺はあります。


【参道】


この奥に進みます。


【山門】




一番奥には別の塔頭の天祥院がありますが、
こちらも普段は非公開寺院です。

壽聖院は10時から拝観で開始まであと5分。

天祥院を門からちょっとのぞいてみましょう。


所在地:京都府京都市右京区花園妙心寺町43
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:釈迦如来
創建:正保2年(1645)
開基:松平忠弘
開山:乳峯義元


【前庭】



【庫裏】


いかにも禅宗塔頭寺院の前庭と庫裏です。


【石像】


中国っぽい石像ですね。
仙人でしょうか。


天祥院はパッと見は地味ですが、
調べてみるととんでもない絵師と深い関わりがあり驚いた。

なんとあの狩野山雪の襖絵が奥書院に飾られていたそうです。
火事により表裏の各4面のみ助け出され海外に流出。

何でも廃仏毀釈により売られてしまったとか。

全くもって明治政府は碌な事をしませんね。


【狩野山雪】
江戸時代初期の狩野派の絵師。
織田信長・豊臣秀吉に仕えた永徳の時代にピークを迎えたあとは、
江戸に幕府が開かれたこともあり狩野一派も江戸に移り、
探幽が再び一時代を築くが、京に残り京狩野として活動を続けたのが永徳の弟子の山楽。
その京狩野の狩野山楽の婿養子で後継者であるのが山雪。


【老梅図襖】


メトロポリタン美術館の日本ギャラリーにおいて、
狩野山雪の老梅図襖はこの画像のように展示されているそうです。

狩野山雪晩年の最高傑作の一つとされる老梅図襖は、
かつては妙心寺の塔頭・天祥院の奥襖絵であったが廃仏毀釈により流出。
大蔵大臣や京都の実業家の所蔵を経て、
メトロポリタン美術館のコレクションとなったとか。


【群仙図襖絵 】






こちらも実に素晴らしい作品で重文間違いなし。

この二つの老梅図襖と群仙図襖は元は妙心寺塔頭の天祥院方丈の表裏各4面の襖絵で、
明治時代に天祥院が焼失した際、偶然取り外されていた為、難を逃れる。

しかし、寺院再建の為に売りに出され紆余曲折を経て現在は、
メトロポリタン美術館とミネアポリス美術館に所蔵されています。

2013年に京都国立博物館で狩野山楽・山雪展が開催され、
この二つの襖絵は里帰りし同一ケース内で本来の襖の表裏として展示されました。

私も2013年5月2日に拝観して狩野派好きとして、
当時感動しておりました。(^^


https://blog.goo.ne.jp/05100625/e/e22db05b0b5229e33e1dc110fbeea9c0

狩野山楽・山雪展メインの襖絵の二つがこんな地味な天祥院にあったとは。(^^;)
今日まで天祥院の存在を知らなかったよ。

奈良や大阪は勿論他の地域でもこのような寺院に、
超有名な絵師による襖絵はほとんど存在しない。

これが京都の凄さであり奥の深い所以です。

京都寺院恐るべし。

壽聖院の特別拝観があって真横に偶然あった天祥院。

現在の天祥院には平成20年(2008)綴プロジェクトにより、
老梅図襖の高精細複製があるそうです。

京都文化協会主催で狩野山雪の老梅図襖の高精細複製の特別公開が、
2012年3/31と4/7にあったそうですが、
また特別拝観してくれないかな。

高精細複製であっても老梅図襖はこの目でまた見てみたい。

妙心寺塔頭 桂春院(2023年2月8日参拝)

2023年05月03日 | 仏閣


続いて桂春院という塔頭を発見。

妙心寺の境内図を見てもらうと大伽藍から離れた右端にある為、
目的が無いと通らない場所にお寺はあります。

桂春院は珍しく通年拝観されていますので、
たまたま通っただけとはいえ何かの縁と思い参拝することにした。


所在地:京都府京都市右京区花園寺ノ中町11
宗派 臨済宗妙心寺派
御本尊:薬師如来
創建:慶長3年(1598)
開基:津田秀則


【縁起】
慶長3年(1598)に織田信長嫡男の織田信忠が次男織田秀則(津田秀則)が、
水庵宗掬を開祖として見性院を創建。

秀則死後、美濃の豪族・石河貞政が寛永9年(1632)に父の50年忌の追善供養の為に、
桂南守仙を請じて建物を整備し、父の法名天仙守桂大禅定門・母の法名裳陰妙春大姉から、
1文字ずつをとり桂春院と改めた。

江戸時代に小堀遠州の弟子玉淵坊により作庭された四つの庭園は、
修行に入った人が悟りを開くまでを表しており、国の名勝・史跡に指定されている。


【参道】



【山門】


いわゆる門構えがいい、といった山門です。


【前庭】




この前庭はとても雰囲気が良い。


【庫裏玄関】


拝観料500円を支払い参拝開始。


【清浄の庭】




石組みの滝の響き白砂の渓流の音の表現を眺めて、
身を清める枯山水のお庭とのこと。


【花頭窓】



【侘の庭】





【書院】









【思惟の庭】




左右の築山に点在する石を十六羅漢石、中央の礎石を坐禅石を配置して庭園。


【真如の庭】




本堂・方丈から見る真如の庭。

小さな庭石をさりげなく七・五・三風に配置して十五夜の満月(悟り)を
表現しているそうですが、椅子に座って庭を眺めていると凄く落ち着きます。

ストレス社会にいるとたまにはこういう落ち着く場所が無いと、
人間は本当にダメになります。

そういう場所を各々が見つけてくださいね。

本堂の内陣はいかにも禅宗塔頭寺院のこじんまりとしたもの。

襖絵は見事なものでした。
必見です。


【手水鉢】


こちらのお庭は下りて散策することが出来ます。
本堂や書院から見るお庭が多い中、
庭園を散策出来るのは意外と少ないので貴重です。


【真如の庭】



【本堂】



【庭園】



【三尊石】



【本堂】



【鎮守社】



【苑路】



【地蔵尊】



【狛犬】



【石塔】



【庭園】



【御朱印】


今回、仕事をサボって、いやもとい、午前半休だったので、
御朱印帳を持ってきておらず次回に持ち越し。

手書きの月替り御朱印がありますので、
気になる方はチェックしてくださいね。

妙心寺塔頭 天球院~隣華院~光國院(2023年2月8日)

2023年05月02日 | 仏閣
妙心寺塔頭巡りは続くよどこまでも。

つづいて妙心寺北門すぐにある天球院へ。

こちらは2016年の特別拝観で参拝しましたが、
狩野山楽と狩野山雪の襖絵は本当に素晴らしかったです。

御朱印帳も絵柄は素晴らしかったですが、
紙質がそれに反比例して粗悪品だったのが残念でした。

それは今も覚えているぐらい。


天球院
所在地:京都府京都市右京区花園妙心寺町
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:釈迦如来
創建:寛永8年(1631)~同12年(1635)
開基:岡山藩主池田光政
開山:江山景巴和尚


<2016年2月11日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/05100625777/e/c252b141488f0ede51119a0b8c341cee


【山門】



【前庭】


ここも普段は非公開ですが、たまーに特別拝観しているようです。

襖絵の本物は京都国立博物館に寄託されおり、
現在お寺の襖絵は高精密複製のレプリカとなっています。

いつか里帰りの特別拝観があったら参拝したいですね。

続いて隣華院という塔頭へ。


隣華院
所在地:京都府京都市右京区花園妙心寺町47
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:釈迦如来
創建:慶長4年(1599)
開基:脇坂安治
開山:南化玄興


【脇坂安治】
超有名な賤ヶ岳の七本槍の一人。
淡路国洲本藩主、伊予国大洲藩初代藩主。


【南化玄興】
室町時代の臨済宗の僧。
快川紹喜の法嗣で妙心寺58世を務め、同時代の多くの戦国武将の帰依を受けた。
後陽成天皇の帰依も厚く定慧円明国師と諡された。


【山門】



【前庭】


こちらも非公開寺院でが、
珍しく人形供養をしていただけます。

郵送、持ち込み対応可とのこと。


【山水図襖 春夏景】




隣華院には何と重要文化財で長谷川等伯の襖絵を所有してるとか。

2017年から京都国立博物館で保管されていて、
昨年から4年がかりで解体修理されているそうです。

こちらも里帰りの際に見てみたいものです。

画像はネットで拾ったもの。


光國院
所在地:京都府京都市右京区花園寺ノ中町2
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:釈迦如来
創建:元和6年(1620)
開基:奥平忠隆
開山:梁南禅棟


【参道】


参道を歩いていると光國院という塔頭を発見。
正直、存在すら知りませんでした。


【奥平忠隆】
江戸時代初期の大名。
美濃加納藩の第3代藩主。


【山門】





【庫裏】


ネットでは徳川家康の娘亀姫の墓があると書いてあったが、
それは岐阜市の光国寺と混同してるような気がする。

ま、それの真偽はしりませんが、
こちらは小さく地味な雰囲気が漂う塔頭寺院でした。

妙心寺塔頭 智勝院(2023年2月8日参拝)

2023年05月01日 | 仏閣




ほんと妙心寺の境内は広大です。

さて塔頭大通院の次は横並びにある智勝院という塔頭へ。


所在地:京都府京都市右京区花園妙心寺町48
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:釈迦如来
創建:慶長2年(1597)
開基:稲葉貞通
開山:単伝士印大光普照禅師


【山門】




おー、山門が開いているじゃあーりませんか。
では早速境内へ。


【境内】


ここも奥行きがあって広い境内です。

奥に行ってみると大音量で音楽が鳴っていた。
境内にこども園ゆりかごという保育園がありました。

どうりで車で小さな子供を連れていたわけだ。


【庫裏】


この寺院は戦国武将稲葉貞通が父の稲葉一鉄を弔う為に建立されたもの。

ここも有名武将所縁の寺院でした。


【地蔵】


こども園を経営してるだけあって可愛い地蔵さんが。
ほっこりしますね。(^^

本堂がどこにあるのかよく分からずこの辺りでお暇しましょう。


【山門】


境内から山門を撮影したもの。


【庫裏】


この塔頭寺院も通常非公開でこども園の通学時間は山門が開いているようで、
9時になったら閉まってました。

勝手に入って申し訳ございません。(^^

いつか特別拝観したら参拝したいと思います。

妙心寺塔頭 大通院(2023年2月8日)

2023年04月29日 | 仏閣
今日は冬の旅で特別拝観している妙心寺へ。

妙心寺の塔頭も沢山ありますが、
今回は滅多に拝観しない塔頭寺院があるので楽しみ。

大徳寺と違って妙心寺の駐車場は無料なので助かります。


【南門】



【勅使門】



【三門】





【仏殿】




この仏殿の中に入ってみたいものです。


【法堂】



【大方丈】


一通り外観を見てから境内を歩く。

ちょっとお目当ての塔頭の拝観時間が微妙にあるので、
他の気になった塔頭に寄り道。

もっともほとんど拝観してないのですが。


所在地:京都府京都市右京区花園妙心寺町50
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:釈迦如来
創建:天正14年(1586)
開基:一柳直末
開山:南化国師


【山門】




土佐山内家の菩提寺で山内一豊と妻の千代(見性院)が眠るのが大通院です。
大通院の院名は山内一豊の戒名大通院殿心峯宗伝大居士から名付けられたもの。

2006年に放送された大河ドラマ功名が辻は、
主人公が初代藩主山内一豊と妻の千代(見性院)。

その二人所縁の寺院があるのが京都の凄いところ。


【境内】


意外と広い境内です。






この奥に霊屋の見性閣があり、
土佐藩主と見性院の位牌と墓石が安置されているそうです。

夫婦揃ってというのは珍しい。

2006年には特別拝観して大河ドラマの主役の川上隆也と仲間由紀恵も参拝したそうです。

位牌と墓石の画像はネットで拾ったもの。


【肖像画】




いつか特別拝観してほしいものです。

その日まで長生きします。(笑)

あびこ観音<大聖観音寺>(2023年2月4日参拝)

2023年04月27日 | 仏閣
今日は仕事終わりに大阪のあびこ観音へやって参りました。

毎年2月1日~7日に節分厄除大法会(節分祭)が開催されており、
コロナ渦もいよいよ終わりになってきたので、
今日も多くの参拝客が来ていました。

とはいえ、参拝客は決められた一方通行のルートを歩く必要があります。


<2016年5月21日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/05100625777/e/0314d0e05409e06efbcef2f06db149ea


所在地:大阪府大阪市住吉区我孫子4-1-20
宗派:観音宗
御本尊:聖観音
創建:欽明天皇7年(546)
開基:伝・聖徳太子


【正門】



【本堂】









【金辰殿】



【鯉】



【三十三観音霊場】







【賓頭盧尊者】





【御神木】



【護摩堂】




節分厄除開運大護摩供が行われていました。

炎を見ると何だか元気が出てきた。


【御神木】



【御守】


今回は御朱印ではなく御守をいただきました。


【厄除け饅頭】


駅までの帰り道で売っていた饅頭。

美味そうだったのでつい買っちゃいました。

大徳寺塔頭 三玄院(2023年1月24日参拝)

2023年04月23日 | 仏閣


続いて本日のメインである塔頭寺院の三玄院へ。

こちらはあの石田三成公の菩提寺で、
以前から知っていましたが残念ながら非公開寺院。

ただ、大徳寺利休忌に合わせて月釜が行われるのですが、
表千家の先生クラスが登場する本格的なもの。

こんな茶会に参加するのは素人は無理。

なので特別拝観をずっと待ち続けました。

その願いが通じたのか京都冬の旅でついに特別拝観との一報。

お待たせいたしました、お待たせし過ぎたかもしれません、
とばかりに、一般拝観は何と50年振りとのこと。

なんと50年振りですよ!

戦前までは寿命は50年だったそうで、
生まれてから死ぬまでの長き期間拝観してなかったんですよ。

こんな貴重なことある?

生きてて良かったーーー!

石田三成公のお墓は今回の特別拝観でも非公開でしたが、
それでも拝観出来ることが嬉しい。


所在地:京都府京都市北区紫野大徳寺町76
宗派:臨済宗大徳寺派
御本尊:阿弥陀如来
創建:天正17年(1589)
開山:春屋宗園(大宝円鑑国師)
開基:浅野幸長・石田三成・森忠政


【縁起】



【山門】






開いているのを初めて見た。
楽しみ過ぎて鼻血でそう。(笑)


【石柱】





【前庭】


ここから先は一切撮影禁止。


【本堂内陣】


画像はテレビ番組を写したもの。


【春屋宗園和尚像】



【襖絵】



さすが石田三成公の菩提寺だけあって、
襖絵の数々は見事なものでした。


【八方睨みの虎】










本堂の襖絵の最大の見所です。


【篁庵】


こちらの拝観は外観のみ。

古田織部が設計したとされた茶室。




今まで気付かなかっただけかも知れませんが、
刀掛けというものを初めて見ました。


【茶室内部】







【昨雲亭】


実に清々しくなれるお庭です。
個人的に大徳寺塔頭の中でも上位のランクです。


【頭蓋骨】




この頭蓋骨は三玄院にある三成公のお墓を調査した時に出てきたもので、
三成公の頭蓋骨とされています。

実はこのことは以前から知っていて、
写真も見たことがあります。

滋賀県長浜に三成公出生の地であり石田屋敷があったとされる場所に、
石田会館という資料館があり、拝観した際にこの頭蓋骨を見ました。

<2017年6月17日拝観>
https://blog.goo.ne.jp/05100625777/e/d8ce28ccd3405a994f53d029b2d165f9


【御朱印】


書き置きの御朱印です。

今回の特別拝観では三成公のお墓を見ることは出来ませんでしたが、
二度と入れないかも知れない三玄院に参拝出来たことは、
私の知の財産になりました。

大徳寺塔頭 大仙院(2023年1月24日参拝)

2023年04月22日 | 仏閣
感動の聚光院参拝後、次に予約しているのが塔頭の三玄院。

しかし予約時間まで時間が空いたので、
近くの大仙院を参拝することにした。


所在地:京都府京都市北区紫野大徳寺町54-1
宗派:臨済宗大徳寺派北派
御本尊:釈迦牟尼仏
創建:永正6年(1509年)
開基:古岳宗亘


<2012年9月1日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/05100625/e/46eb2f0446e55fd5d312826a40bd3f68


【参道】





【前庭】





【真珠庵】








塔頭寺院。


【山門】



【案内板】



【玄関】





【参道】



【鐘楼堂】



【庫裏】


ここから先は撮影不可。

おかげで今となっては庭園があったなぁ、という程度で、
ほとんど記憶に残っていません。(^^;

大徳寺塔頭 聚光院(2023年1月24日参拝)

2023年04月20日 | 仏閣


今日は5年半振りに国宝の障壁画が里帰りする聚光院へ。

前回参拝した時は高画質デジタルコピーの障壁画でしたが、
それでも感動しました。

今回は本物。

楽しみしかない。(^^


<2021年3月14日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/051006250510/e/37d98707e036a0d9d73de7cbdea30baf

<2022年1月22日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/051006250510/e/5ae9f3057f0173a0634148f156744db6


所在地:京都府京都市北区紫野大徳寺町58
宗派:臨済宗大徳寺派
創建:永禄9年(1566)
開基:三好義継
開山:笑嶺宗訢


【表門】


一回500円の有料駐車場に車を停めていざ参拝開始。


【金毛閣】






もはや説明不要。

この金毛閣はまだ登ったことがないんですよね。
千利休像と共に公開したら凄いことなりそう。

是非お願いしたい。


【勅使門】


この門は開いているのを見たことが無い。

開いている門を生きてるうちに見られるのだろうか。(苦笑)


【参道】


妙心寺と同じく境内は広大です。


【仏殿】






絶賛工事中。

この仏殿の中に入ったことがない。
勿論今まで公開していないから当然です。

しかし4/27から6/4まで特別公開があるのです。
一般の立ち入りは初めてという大変貴重な拝観となり、
この工事はその為のものです。

金毛閣は登ることは出来ませんが、
門の下をくぐれるようです。

これもとても貴重。

その他に法堂で狩野探幽筆の雲龍図と唐門の拝観があり、
拝観料は2000円也。

これはハッキリ言って安い。

もう行くしかないわ。(笑)

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000010.000063967.html


【勅使門】



【法堂】



【聚光院】


拝観開始。

山門から先は全て撮影禁止。
残念。


【障壁画】








さすが国宝。
素晴らしい、感動です。

画像はネットで拾ったものです。


【滝】


千住博氏の障壁画。

この障壁画は明るい所で見るより、
暗い部屋で白い滝の部分だけスポットライトあてた方が素晴らしいと思う。

これにて聚光院の参拝終了。

絵画もそうだけどやはり本物には敵わない。
高画質のコピーでも充分素晴らしいけど。

御朱印はありますが、
今回も書き置きで千円でしたので購入は止めました。

廣田神社(2023年1月11日参拝)

2023年04月17日 | 仏閣


今宮戎神社から100メートルぐらい離れた場所に、
廣田神社が鎮座しております。

前を通りがかった時に神社に明かりが灯っていたので参拝です。

この神社はアカエイを神の使いとしている神社。
エイが神の使いとは何でもありやなと思う。(笑)


所在地:大阪府大阪市浪速区日本橋西2丁目4-14
御祭神:撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(天照大神の荒魂)
創建:不明
社格:村社、神饌幣帛料供進社


【由緒】
神功皇后が三韓征伐から戻ってくると忍熊王が反旗を翻していた。
皇后は王を避けて難波に上陸しようとしたが、船が海中で進めなくなり、
そこに廣田の地に天照大神の荒魂を祀るようにとの神託が降りたので、
皇后は天照大神の荒魂・撞賢木厳之御魂天疎向津媛命を祀るや船が動き出したという。

四天王寺の鎮守とされ、今宮村では古くから正月には御所へ新鮮な鯛を2尾貢いだという。

明治5年(1872)村社に列し明治39年(1906)神饌幣帛料供進社に指定される。

痔疾の平癒を祈り全快の報賽に神使であるアカエイの絵馬を捧げる。
この神使は土地を守る神で、地と痔と音が通じることから、
痔疾平癒を祈るものとなったという。


【鳥居】



【注連縄柱】




境内には外国人達がフリーマーケットをやっていました。


【狛犬】





【本殿】





【鳥居】







【狛狐】





【赤土稲荷神社】





【手水舎】



【参道】


これにて本日の参拝終了。

應因寺(2023年1月1日参拝)

2023年03月27日 | 仏閣
サムハラ神社から地下鉄阿波座駅に向かって歩いていると小さなお寺発見。
普通なら華麗にスルーするようなお寺ですが、
元日なんで参拝することにした。


所在地:大阪府大阪市西区立売堀3-7-2
宗派:真宗大谷派
御本尊:阿弥陀如来
創建:不明
開山:不明


【山門】


なかなか立派な山門です。






しかし山門を反対から見てみるとこんな簡素な造り。
資金不足によりこんな山門になったと思われるが、
こういう造りの山門は初めて見ました。


【本堂】


完全なる檀家寺特有の本堂は閉まったまま。

正月ぐらい開けてくれればいいのに。
とりあえず見られないけど御本尊様にお参り。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏


【鐘楼堂】




これにて應因寺の参拝終了。

勿論御朱印はございません。

北御堂<本願寺津村別院>(2023年1月1日参拝)

2023年03月21日 | 仏閣
このブログもようやく新年のネタをアップすることになりました。(笑)

新年はいつも私の大切な寺社である石切神社、東大寺、春日大社を
参拝始めをしているのですが、今年はいつもと違った寺社を巡りたいと思う。

そんな時にフト頭に何故かよぎったのが大阪のサムハラ神社。
こちらは一部の人達に絶大なる人気を誇る神社です。

そのサムハラ神社の前にルート的に先に参拝したのが北御堂。

大阪の大動脈である御堂筋沿いにある本願寺派の別院です。

車は無料で停められる駐車場があるので助かります。


<2015年8月22日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/05100625777/e/2079913f2bbd93f6577a8220b4f6f135


所在地:大阪府大阪市中央区本町4丁目1-3
宗派:浄土真宗本願寺派
御本尊:阿弥陀如来立像
創建:慶長2年(1597)
創建:蓮如上人


【縁起】
本願寺第8代宗主蓮如上人の手により、大坂に親鸞聖人から伝えられた
「お念仏」のみ教えを弘める為、明応5年(1496)現在の大阪城の辺りに
一つの小さな坊舎(後の石山本願寺)が建てられました。

その坊舎を中心にしてまわりに寺内町が形成され、
大坂の町は大いに発展していったそうです。

しかし織田信長との長い争いにより、本願寺は大坂を離れなければならなくなり、
そこで大坂の門徒はこの地での「お念仏」の灯りをまもる為、
天満に近い「楼の岸」に新しい坊舎を建立しました。

その後、津村郷と呼ばれていた現在の地に移り、
津村御坊は「北御堂」と称されるようになり、
南御堂と並び大坂の人々に親しまれてきました。

お念仏が繁盛していた当時の津村別院は昭和20年3月の大阪大空襲で焼失。
その後、多くの方のお陰により昭和39年復興し現在に至ります。


【山門】



【本堂】




本願寺のお寺によくあるモダンな建物です。


【親鸞聖人像】



【蓮如上人像】



【山門】




本堂前から山門を撮影したもの。


【内陣・御本尊】






元旦とはいえ参拝者も少なく静かにお参りが出来ました。

本願寺のお寺ですが、
数年前から参拝記念として御朱印を授与されています。

現在は他に法語印というモノもいただけます。

常楽寺(2022年12月4日参拝)

2023年02月20日 | 仏閣
所用の時間があるので本日最後の参拝となるのが、
法華宗の常楽寺へ。

本来なら少し大きな大龍寺や感通寺へ行くところだが、
この常楽寺は牛込ハイムというマンションの1階にある、
世にも珍しいお寺なんで参拝することにした。


所在地:東京都新宿区原町2-30
宗派:顕本法華宗
御本尊:十界互具曼荼羅
創建:元和元年(1615)
開山:常楽院日経上人


【日経上人】
妙満寺27世。
慶長12年(1608)尾張国熱田で行った浄土宗の正覚寺・沢道との宗論は、
増上寺を経て徳川家康に上訴され、同13年(1608)に増上寺・廓山らと江戸城で、
宗論(慶長宗論)が行われることとなった。
その結果、不受不施義を説いてきた日経上人は敗れたとの判定を下され、
慶長14年(1609)耳と鼻を削がれ酷刑となった。


【耳鼻削ぎ】
日本では主に戦国時代や朝鮮出兵時において、
首の代わりに鼻や耳をそぎ落としたり、
刑罰として見せしめの為に日経上人のように罰せられたりした。

五代将軍・徳川綱吉の生類憐みの令によって廃れていったそうです。

ただ中近東では現代まで残っています。
全くもって残虐な行為ですが、名誉殺人が認められるお国柄ですから。


【門前】


こ、これは山門なんでしょうか。
何ともモダンな建築物ですね。
しかも鐘楼まで。(^^;


【鐘楼】





【案内板】


まさか剣豪の伊藤一刀斎所縁のお寺だったとは。

なかなかのビッグネームなので他の二人と共に少しご紹介しましょう。


【伊藤一刀斎】
バカボンドでも強敵として描かれた伊藤一刀斎は、
戦国時代末期に鐘捲流の流れを汲む一刀流を創設。
夢想剣、払捨刀、絶妙剣、真剣等に秘技を編み出した剣豪
諸国を遍歴し勝負すること33度、ただの一度も敗れなかったという。

後に秀忠が二代将軍に就任したことで、
一刀流は柳生新陰流と並ぶ将軍家指南役として大いに栄えた。


【小野次郎右衛門忠明】
戦国時代から江戸時代前期にかけての武将、剣豪、旗本で、
徳川将軍家指南役。
慶長19年(1614)からの大坂冬の陣には御使い番として、
翌慶長20年(1615)の夏の陣には道具奉行として参戦。

小野派一刀流の開祖とされることが多いが、
忠明自身はこれを称しておらず忠明の子・忠常が小野派一刀流を称し、
弟といわれ一刀斎の伊藤姓を継いだ伊藤忠也の流れの忠也派一刀流を含め、
小野家の流れは小野派一刀流と呼ばれるようになった。


【浅利又七郎義明】
実父である一刀流中西道場第4代・中西子正と、
後に養父となる浅利義信より剣術を学んだ。

弟子に一刀正伝無刀流(無刀流)を開いた山岡鉄舟がいる。
勝海舟は「義明は、剣道の神様といわれた人だ。この人に掛かったら、
どんな人でも手足が縮んで動きができなかった。」と言っている。

維新後は、駿府藩主・徳川家達の剣術指南役を務めた。
その後、鉄舟の斡旋で有栖川宮家の撃剣御用係となり、
威仁親王の剣術を指導した。


【本堂】


本堂は開いていましたが堂内には入れませんでした。


【内陣・御本尊】





【番犬】


狛犬の代わりでしょうか。(笑


【法界万霊塔・石塔】



【楽地蔵】


さっきの犬といいホッコリさせてくれます。(^^

これにて本日の参拝終了。

常楽寺は御首題、御朱印がいただけます。
ちょっと頼み難いですが。(^^;


【寿司】






寿司ざんまいで早めの昼食。
結構高いのでこれだけで終了。

銀座久兵衛で金を気にせず食える男になりたい。