人生という夢・小檜山博(河出書房新社)
実家からの仕送りが少ない、ぼくは麦めしを食っていたが、
月末になると麦もなくなり空腹だった。
昼食になっても寄宿舎に戻っても何も食べ物がない。
前の席の小島がふりかえり「昼ごはんは?」と聞き、
ぼくは「食べたくない…」と言った。
小島は残り半分の弁当をくれた。おいしかった。
弁当箱を返す時、ありがとう、と言いかけたが、
黙っていた。お礼をいうと泣き声になりそうだった。
2年生の5月の春、グラウンドに土を敷くために、小島は荷台に乗って
いたが動き出した車から落下した。ぼくは、スコップを投げだすと、
落ちた小島に向かって走り「うわぁ、うわぁ」と絶叫した。
小島は16歳で死んだ。
作家になった(著者)は小島のことを「地の音」に書いた。
60年たった今も、1年半も弁当を食べさせてくれた彼を
忘れるわけにいかない。
(弁当より)