よしだルーム

吉田政勝の文学的な日々

日ハム・金子引退試合をビジター席で観戦(なぜ?)

2014-10-08 13:48:04 | 日記

10月1日に「日ハム・楽天」の試合を見に行った。その日は、札幌ドームは金子誠選手の引退試合で盛り上がった。だが、私は日ハムファンでありながら楽天の応援席に座った。なぜ?。実は話はこうだ・・・。


 3週間ほど前に、1日の日ハムの試合を観たくなり、ドーム観戦の企画をしたバス会社に電話で申し込むと「外野席がある」との返事だった。翌日、その企画会社の事務所を訪れると「割り当ての席がなく、残されているのはビジター席くらいです」との返事に驚いた。(ほかを探してみるかな・・・)と思いつつ、ビジター席でもいいか、とあきらめた。(ふつうの客なら約束ちがうと怒るだろうが、私はすぐに考えを切り替えるタイプ)その後、金子が引退声明があり、その引退式が1日だという。それを観戦できるとは幸運なことだと思って感激した。でも、ビジター席だなと念頭に浮かぶ。

 当日、バスでドームに着くと南ゲートから入った。まず弁当を買って、テーブルで広げた。金子応援ボードを敷いて。(写真はクリックすると拡大になります)

 南ゲート116通路32列31番。まさにここは楽天の応援席。
 私は中田翔の6番ユニフォームのTシャツをモスグリーン色のジャンバーで覆い隠して観戦した。
 日ハム打線が次々とヒットを重ね点数が入っても私はビジター席で、遠慮して喜びは表現できない。私は妙な心地になった。「これって隠れキリシタン?」「宗教や思想がちがう全体主義の国で生きるのはこんな気分だろうか?」と思った。己の気持ちを偽って周りに合わせて生きてゆく、そんな異端者の立場に似ていると想像した。
 そして、楽天の監督は星野さんだ。元監督は尊敬する野村克也氏だ。2監督は元阪神の監督だ。自分は日ハムの前は阪神ファンだった。阪神選手だった新庄や坪井が日ハムに移籍して彼らの応援を始めたのが、日ハム信者になる動機だった。(私は中田の前は坪井の背番号7のユニフォームを着ていた。)

 あれこれ考えて、5回表で、私はビジター席を離れた。覆い隠していた日ハムのTシャツを堂々と見せた。「楽天に義理を果たした・・・」そうつぶやいて自由な漂流者のごとく、各ゲートの通路から試合を見たり、バックネット裏位置にある大きな画面で試合を見たりした。
 試合は、日ハム8-1楽天。8は金子の背番号。偶然の符合か?。

 金子選手が場内を一周すると「カネコ、カネコ!」と金子コールがこだました。金子は、野球について教えを請うためにきた若手には親切に持論を述べるという。しかし、質問してこない若手にはどうしても壁ができるという。(新聞の記事で)。稲葉選手はその行動で模範となる偉大な選手だった。ふたりのレジェンドが引退するのはさみしい。

 パリーグ3位の日ハムは、11日からのCSの戦いが残されている。
金子にも稲葉にも、ベテランとしての最後の出番があるような気がする。そして、後半の戦いの勢いは、オリックス、ソフトバンクを凌いでいる。私はきっと奇跡が起こると確信している。だから、日本シリーズまでかけあがっているのは日ハムである。(願望)

 野球は深い。野球は楽しい。歳とともに理解度が変わる。
 少年時代はジャイアンツのファンだったが、その後、ヤクルトや中日、西武など監督の魅力で応援するチームが変遷し、やがて阪神に定着した。星野監督で優勝したタイガースに歓喜した。ありがとう!星野監督だった。
 少年時代は、ただ人気選手が好きなミーハーだった。今は、監督の戦術、組織掌握力、選手の人間性などまで見通す。
 10年前から日ハムのファンになっていた。野球の1リーグ制を読売新聞の渡辺会長様が画策していた時期がある。しかし、古田選手会は反対し、そうならずに2リーグが維持され地域密着の野球が推進され、パリーグの観客数が大幅に増え繁栄している。5日の稲葉引退式も4万人以上が球場を埋め尽くした。野球から大いに学ぶものがある。そして思う。企業も組織もしょせんは人間関係だ。絆が強く仲のよい組織は強くなる。それは企業組織もしかりだ。野球は球を投げて、それを打つだけの単純なスポーツではない。試合の次の展開を予測し、監督の戦法や相手選手の人間心理をも推理し、点数につながる勝つ確率という数学の問題にも関する。そして闘いにおいてはリーダーは「戦争の戦術」にちかい哲学も必要だ。ゆえに偉大な監督は哲学者でもある。野球は面白く、実に深い・・・のだ。(バカボンのパパの口調になってきた)。今は、負けても勝っても、日々「北海道日本ハムファイターズ」である。

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