よしだルーム

吉田政勝の文学的な日々

停電の夜に(エッセイ)

2018-12-22 13:43:43 | 日記
師走のあわただしさの中でふと、一年をふりかえる。今年も人との出会いがあり、友とのつき合いが深まった。
 そのひとりMさんの顔が浮かんできた。彼とは2年ほど前に出会った。拙著「流転・依田勉三と晩成社の人々」
を書いた私に会いたいと、芽室まで来てくれて喫茶室で話した。お互いに編集や執筆に関する仕事をしているので会話が弾んだ。
 もともと彼の仕事の中心は東京だったが、郷里にいる高齢の一人暮らしの母親が心配で帯広に帰ってきたらしい。出版の打ち合わせで上京するが、十勝での仕事にも取り組んでいた。
 彼の仕事に区切りがつくと、何度か会った。その度に、Mさんが企画執筆した本をいただいた。「図解でわかるホモ・サピエンスの秘密」。帯には「堀江貴文氏推薦!」とある。内容を読んで驚いた。多くの参考文献を読んで本をまとめた苦労が分かる。
 ――このインテリジェンスは非凡すぎる、とMさんを敬った。
 そのMさんと9月の最初の日曜日に屋台村で会うことになった。お互いに取り組んでいた執筆に一区切りついて安堵感があった。私は新作の小説のプリントを渡した。彼はその後、上京する、と話していた。
 9月6日の未明に胆振東部地震が起きた。その日、Mさんからメールがあった。「今夜、帯広空港に着く予定だが、空港と帯広間のバスが不通なので車で迎えに来ていただけないだろうか」との内容だったが、困った。私の車には空港を往復する量のガソリンが入っていなかった。どこのスタンドもその日は停電のため閉店だった。私は帯広の義弟の家まで信号機の消えた道を注意深く走った。
「空港まで車を往復できないかい」と事情をるる説明した。いいよ、と義弟は快く引き受けてくれた。
 空港からMさんを自宅まで送り届けた。Mさんは玄関前で、義弟にお礼しなければ、と口にした。私は「彼に頼んだのは私だから、私からお礼するからいいよ」と伝えた。
 Mさんはうなずくと、「今度、食事でも…」と言い夜空を仰いだ。
「街の灯がないと、こんなにも星が輝いて見えるんだね」と話した。

義弟に贈った「停電の夜」の送迎に対してのお礼のビール。

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