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この3日間、岡山に都市問題会議に行ってきた。
印象に残ったことをメモとして記録しておきたい。あくまで自分用に。
ドイツと日本は似ているが、違いを言えばそれは戦後20年たって、ドイツはホロコーストの罪を自ら裁き始めたということ。また倫理的か否かで判断する嫌いがある。福島の震災を受け、ドイツは首相が倫理委の指摘を重く見て、廃止を決めた。
との指摘あった。
まず前者について。
だから日本はよくない、とは自分は思わない。
それはナチスの罪、とするのでなく、日本人は指導者層と自分を一体化して背負うから今がある。思考の仕方の違いではないか。
後者について。
とは言いつつも、戦後帰還した兵隊さんを悪者扱いし、アメリカに焦がれて平気な日本もあるのだから、日本人は流れ易く、うつろい易すぎる国民性だ。
確かに、過度に経済を優先してはいないか。もっと倫理というか生き方を問うべきだと思う。
ドイツは記憶のまち。「なになに通り」と通りに名前をつけて記憶にとどめようとする。街の統一感も大切にし、公共を優先する。しかし、それは窮屈でもある。バカンスを一ヶ月は取ること、と義務付けてしまうのは日常に溢れる縛りから解放されたいからかも。 以上の指摘も面白いと感じた。
もっと街をオープンにしたい。 水辺の活用をめざす人・街が「水辺リスト」という仲間作りをしているらしい。http://mizbering.jp/archives/author/mizberingtokyo
芸術祭などは定期的に続けてなんぼ。
トリエンナーレ、ビエンナーレと3年や2年に一回やる。芸術祭は評価は半々。みんな歓迎にはならない。街歩きをさせてしまうような会場設定が良いだろう。会場も音楽などはオープンを目指したい。10月9日から始まる岡山芸術交流32カ国?から作家を招いた。チケットは1800円。
なお、イベントとしてはスポーツイベントのほうが金がかかる。イタリアでは文学イベント、哲学イベント、科学イベントもある。いずれも街の広場などを会場にしている。
地元の金融機関(信用金庫)と企業に頼るところ大きく、市の補助金など使わない。
国立「くにたちはたけんぼ」・アスカデザインウィーク・TOKYO DesignWeekあり。
http://hatakenbo.org/
岡山の「桃チャリ」は面白い。所沢でもできるが、道が狭くてどうなのか。桃チャリは1時間以内100円。車で回収して回るのに金が掛かっている。
ひたちなか市は3世代同居の改修に補助中。親か子どちらかが岡山に転入した時に限っている?年に50数件。所沢の実績は?
鈴鹿市でも障がい者と農業のコラボを進めている。所沢も高齢者と畑、障がい者と畑を目に見えるよう進めたい。
HALという器械。障害を持った手足などに装着。脳からの意思を伝えて動く。器械が動くことで体が動かされる。そうやって訓練しているうち自らの意思と肉体がつながっていく。自分で動けるように変わっていく。再生医療(幹細胞)の技術を伴うことで、さらに自らの力を高めていく。
HALの開発、そして実用化。未知のことは行政は前例なく、法令なく、進められない。時間がかかりすぎる。
公共施設の活用は、切り売りしているだけではジリ貧。 縮小でなく活用。 民間に活用させて、地代を取る。稼ぐ。そうすればその周辺の地代も上がる。補助金なくても利用する民間はあるはず。既存施設で1年後、新規で10年で元を取るようするのが方針。儲かり始めても規模を広げないことも肝要。
thinkしないthink tank(シンクタンク)に任して調査したりする傾向あり。それより成功した自治体に聞け。職員を呼べ。そのほうが本物、そのほうが早い、安い。
民間にも 劣悪な民間 と そうでない民間あり。補助金頼みは劣悪の部類。 今も儲かっている企業はたくさんある。 確かにそうだ!
プロスポーツチームはベンチャー企業の側面あり。雇用を増やしている。 負けても子供のいるチームなら応援する。 だから好きになってもらうこと、目標1回の来客数1万人を決めて、地域を説得している。 来客数の目標を決めて、それを市民と共有するのはいいのかもしれない、と感じた。
学校などを回って教育もする。だから、チームは全員黒髪。茶髪にはしない。
地域愛という点で埼玉県民は所沢市民はどうだろう。地域愛の薄い地域のスポーツチームはたいへんだろう。
最もすごい企業はジャニーズ事務所。嵐だけでも年間80億円?のファンクラブ代が入っている。というのも年会費4000円強なんだとか。
会員数は200万人。好きになるとは凄いことだ。貴重なことだ。
その他、気づいたこと、確信したこと、所沢に生かしたいこと、ありました。
それをまた、所沢市の施策に生かしてまいります。
なお、岡山といえば我が「坪田譲治」の故郷である。 卒論制作時に訪ねた島田本町2丁目にも 初日の夜と最終日の昼、寸暇を惜しんで行ってみた。
生家は跡となり、楠の木と記念碑のみがあった。 周囲も随分と家が建ち、新幹線の線路ができたり、色々と変わっていた。32年前に訪ね、市議か県議時代にも訪ねた坪田譲治のふるさとは、本当に随分と変わっていた。
有名な小説に『風の中の子供』『善太と三平』などがある、豊島区雑司ヶ谷で
「びわの実学校」を開いて、子どもたちに教育しておられた。