ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

政策論議とエゴイズム

2016-06-23 15:41:54 | 日記
毎日新聞が、きょうの社説で書いていた。

来るべき参院選の争点の一つは、社会保障の問題である。しか
し、若者ほどこうした問題には関心が薄く、自分たちの世代が
この問題の割を喰うことにも心を配らない。しかしこの問題
は、親世代にとっても決してひとごとではない。「子供世代が
先細りしていけば、自分たちの老後が危うくなるのだ。」
(「視点 2016参院選 若者と社会保障 親世代も関心
持たねば」)

その通りである。昔のことだが、陽水も歌っている。

都会では 自殺する 若者が 増えている。
今朝きた 新聞の 片隅に 書いていた。
だけども 問題は きょうの雨 傘がない。

たしかに、若者は社会問題に関心を持たない。自分の胸に手を
当てて、陽水の「傘がない」が流行った頃の、昔の自分のこと
を思い出してみよう。若者だった自分にとって重要なのは、そ
んなことよりも、きょう彼女とデートすることではなかったか。
そのために、どんな恰好をしていくかではなかったか。「老後
の社会保障」について心配しているのは、とっくに老後をむか
え、余生を送っている後期高齢者だけ、という悲しくも滑稽な
現実がある。

かといって、親世代が子供世代の代わりに心配をして、「ちゃ
んと自分たちの老後のことを考えて、投票しなさいよ。○○党
にね」と言っても、そんな言葉は「余計なお世話」、迷惑なだ
けだろう。

子供たちはよく分かっている。親は「✕✕年後のあなたの生活」
を心配しているのではなく、「✕✕年後に私の介護をしてくれて
いる、あなたの生活」を心配しているに過ぎないのだ、と。

要するに、「子供世代の社会保障」という問題は、毎日新聞が
暴露してくれているように、「親世代の社会保障」という問題
のバリエーションにほかならない。利他主義の仮面をかぶった
エゴイズムの底意が、そこにはある。

仮面同士が議論を戦わせても、生産的な議論にはならない。政
策論議は、お互いに仮面を脱ぎ捨て、ホンネをぶつけ合う形で
行いたいものだ。
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