ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

孤独について(ご挨拶と自己紹介にかえて)

2015-08-06 14:36:52 | 日記
ブログを書くとは、他者との関係を前提として、その関係を豊かにしようとする行為だと言えるだろう。これに対して、他者との関係がない状態、あるいはそういう関係が見いだせない状態を孤独と呼ぶとすれば、私は数年前、一度に二つも孤独の条件をかかえこんだことになる。一つは定年退職によるものだが、定年の二年ほど前に自ら希望して早期退職したので、退職がもたらした孤独の条件は、私が自ら選び取ったものだと言ったほうがよい。
 孤独の条件をもたらしたもう一つは、病である。早期退職とほぼ時期を等しくして、私は脳卒中(脳出血)に見舞われ、半年ほど入院を余儀なくされた。
 医師や看護師、それにリハビリの療法士としか接する機会がなく、私はそれ以外の一日の大半をじっと病室のベッドに横たわって過ごした。孤島の浜辺に打ち寄せられた小舟のように、ただただ時が過ぎるのをやり過ごすだけの半年の間、私は「自分は孤独だ」という茫漠とした思いにとらわれた。けれどもその思い、いわゆる孤独感は、さほど私を苦しめなかった。孤独感に伴うはずの寂しさも、あまり感じなかった。「孤独は優れた精神の持ち主の運命である」(ショウペンハウアー)とか、「真の幸福は孤独なくしてはありえない」(チェーホフ)などと思ったわけではない。逆に私はそういう言葉にどこか嘘っぽさを感じ、消化不良のような軽い違和感を感じていた。
 病室のベッドで私が感じていたのは、奇妙な安堵感である。それは言ってみれば、長いレースを終えて重荷を下ろした思いに近かった。これであの煩わしい職場の人間関係から、やっと解放されたのだなあ・・・・。そう感じたのである。妬みとそねみが渦巻き、マウンティングや種々のハラスメントが常態化している粘着質の、あのねちねちどろどろした人間関係が、私は嫌で仕方がなかった。私が早期退職を選んだのも、そういう人間関係から一刻も早く抜け出したい、という思いが日増しに強くなってきたからである。
 ともあれ病床の私は、熱を出したために早退が許されてほっとしている、学校嫌いの小学生のようであった。
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