ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

「人生会議」いろいろ

2019-12-17 17:09:26 | 日記
最近は「終活」とやらが流行っているが、私ほどの老いぼれになれば、自分のターミナル(終点)のことは嫌でも考えるようになる。眠れない夜、自分のターミナルについて思いをめぐらせるとき、私の頭の奥底に浮かんでくる二つのイメージがある。
一つは、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』の一節である。

こちらは地獄の底の血の池で、ほかの罪人と一しょに、浮いたり沈んだりしていた*陀多(かんだた)でございます。何しろどちらを見ても、まっ暗で、たまにそのくら暗からぼんやり浮き上っているものがあると思いますと、それは恐しい針の山の針が光るのでございますから、その心細さと云ったらございません。その上あたりは墓の中のようにしんと静まり返って、たまに聞えるものと云っては、ただ罪人がつく微(かすか)な嘆息(たんそく)ばかりでございます。これはここへ落ちて来るほどの人間は、もうさまざまな地獄の責苦(せめく)に疲れはてて、泣声を出す力さえなくなっているのでございましょう。ですからさすが大泥坊の陀多も、やはり血の池の血に咽(むせ)びながら、まるで死にかかった蛙(かわず)のように、ただもがいてばかり居りました。

これは空想世界のワンシーンだが、もう一つは、現実の世界で私が目にした地獄絵図である。もう十数年も前のことだが、私はある人を見舞うため、辺鄙な場所にある病院の一室を訪れた。私の知人のその人は、アルツハイマー病を患い、介護施設を転々として、その果てにこの病院に移されてきていた。もう長くはないと聞いて、私はその人を見舞いに訪れたのだが、たしかにその人は衰弱して、いつ亡くなってもおかしくない様子に見えた。言葉を交わそうとしたが、相手は朦朧として、私がだれか、もう分からないようだった。

その病室にはベッドに横たわった老人が6人ほどいた。視覚的に説明すれば、それぞれが(あの厚労省の「人生会議」のポスターに写った)「小藪さん」状態の格好で、静かにぼんやりと横になっていた。そのどんよりした沈黙を切り裂くように、老女が一人、「あ、あー」と、狂ったように大声で怒鳴り続けていた。

私と妻は早々にその病室を出た。真っ先に思ったのは、自分はこんな場所・こんな状態で死にたくはない、ということだった。こんな狭苦しい病室に押し込まれ、そこで死を迎えるぐらいなら、最期は自宅で迎えたい。そのために死期が三、四年早くなったとしても、最期は自宅で迎えたい。切にそう思った。

このことがあってから、ずいぶん経った頃のことである。私は妻に誘われ、「自宅看取り医」と称する人が主催するトークセッションに顔を出したことがある。自宅看取り医と称する中年の医師が、会場にいる30人ぐらいの聴衆に投げかけたのは、「病院で胃ろうの処置を受けながら生きることを望むか、それとも、そんなことはせず、自然のまま自宅で死を迎えたいか」というテーマだった。
トークセッションが終わり、自宅に帰る車の中で、私は妻にこう言った。
「自分は胃ろうをしてまで生き続けたいとは思わないから、よろしく」
(以下、つづく)
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