ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

北の国から

2024-05-21 10:44:01 | 日記
このところ(1981年に放映された)ドラマ「北の国から」にハマっている。毎晩、アマゾンプライムの動画サイトを開き、1話ずつ見るのだが、最近はこれが眠れない夜の慰めというか、ある種ルーチンのようなものになっている。

きっかけは、何日か前に(2005年に放映された)映画「always 三丁目の夕日」を見たことである。
デイサの女性OT(作業療法士)さんにその話をし、その映画に「売れない作家」役で登場したボサボサ頭の吉岡秀隆が実に好い、ーー「Dr.コトー診療所」の吉岡も好きだが、自分は「寅さん」シリーズに少年の「満男」役で出演した頃から、この俳優のファンなのだと言ったら、ドラマ「北の国から」では、もっと小さかった頃の子役の吉岡が見られると(そのOTさんに)教えられ、俳優・吉岡に誘われるようにして、このドラマを見はじめたのだった。

なにぶんにも45年ほども前のドラマなので、いしだあゆみといい、岩城滉一といい、竹下景子といい、出演俳優たちのあまりの若さにびっくりさせられるが、時代の隔たりを感じさせられるといえば、舞台の背景になる道具立ても同じである。
「おお!」と思わされたのは、コラムシフトの自動車が出てきたことだった。
「おお、自分が自動車教習所に通っていた大学生の頃は、全部、このタイプのシフトレバーだったよなあ」。
私は懐かしく50数年前のその当時のことを思い出し、とりたての運転免許で中古の軽自動車・スバルR2を運転し、近所のぼんくら息子と遊び呆けていたことや、そこからの連想で、その後、心を改め、近くの大学の大学院に車で通学しはじめたことなどを思い出した。

ああ、そんなこともあったっけなあ・・・。私は、今、こうして74歳のジジイになった自分が、そんなさまざまの細々した経験の積み重ねを経て今に至っているのだと悟り、思いがけない発見をした気がして、意外の念に打たれたのである。

人生は短い。そう思うのは、この私がこれまでに経てきたいくつもの細々した経験を忘れてしまっているからにすぎない。

プルーストの小説『失われた時を求めて』では、主人公の「私」が、マドレーヌを紅茶に浸した際、その香りで幼少時代を思い起こす。映画は、その「マドレーヌの香り」の役割を果たしているのだ。

映画は好い。実に好い。映像を通して、自分や自分の過去を見つめ直す。それが映画の醍醐味だと言えるだろう。

そんなことを思ったりするきょうこの頃である。

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