ネット記事《 「プーチンを倒せば平和が訪れてハッピーエンド」 ウクライナ戦争をそう捉える人たちが忘れていること》
この論考を、読者諸兄は読んでいただけただろうか。
他人(ひと)頼みになってしまってはアレなので、
きょうは「この記事を、私はこう読んだ」という話をしたい。
この記事は、冒頭に「ウクライナの戦いに貢献せよというプレッシャー」なる小見出しを掲げている。これを見て、こう思う読者もいることだろう。
「ウクライナの戦いに貢献せよ」という声は、今や世界中にあふれている。それは正義の声であり、良識(ボン・サンス)の声ではないのか。この声が「プレッシャー」になるなんて、どういうことなのか。この記事の筆者は、一体何を言おうとしているのか?
読者のこの疑問に答えるように、筆者はまずこう書いている。
今や「英雄」となったウクライナのゼレンスキー大統領だが、彼はアメリカや欧州諸国に対して「みなさんは何千もの戦闘機を持っているのに、我々はまだ1機も受け取っていない」と不平を鳴らし、ロシア軍を撃退するために「際限のない軍事支援」をしてくれないと困る、と強く要求している。
世界が称賛する「英雄」にここまで言われたのでは、西側諸国も断れない。
筆者はさらにこう続ける。
そうなると、アメリカへの追従を国是とする日本も、ウクライナの戦いに参加しないわけにはいかなくなる。「いや、我が国は憲法第9条があるから、カネしか出せないのです」などという言い訳は通用しない。これまでは「防衛装備移転三原則」の運用指針を変更して、どうにかこうにか取り繕い、防弾チョッキなどを提供しているが、西側諸国から「もっと戦闘に役立つものを提供しろよ」と、過大なプレッシャーをかけられる可能性が高いと見なければならない。
それだけではない。この流れでいけば、「後方支援」の名のもとに、自衛隊のヨーロッパ派遣の可能性も出てくる。現在、米軍とNATO軍はウクライナを囲むように東欧諸国に即応部隊を派遣し、日本もポーランドに自衛隊の医官を派遣しているが、戦いが長期化すれば、「日本も部隊を出して、少しは貢献しろよ」と迫られることは必定なのである。
これがまあ、筆者のいう「プレッシャー」の内実である。日本は、(「英雄」であるゼレンスキーの要求に気圧された)米欧諸国から、「自衛隊を派遣して、もっとウクライナの戦いに貢献しろよ!」という「プレッシャー」を掛けられかねない。ーー筆者はそう言うのである。
それだけではない。反戦を唱える平和論者に対して激しいバッシングを加え、この立場のヒューマニストを「国賊」扱いする問答無用の「プレッシャー」の現実もある。
時代に満ち満ちて、今や「常識」となった感のあるこういう「アンチ反戦」のムードを、筆者はまずもって問題にするのである。
(つづく)