ゆいツールブログ:NPO法人ゆいツール開発工房(ラボ)

人と人、人と自然、人と環境などを「結う(ゆう)」ということに関して、団体の活動やスタッフの思いなどを紹介していきます!

エコツアー体験記~5月のお客さまより~

2016年06月07日 | 6. エコツアー参加者の声

「鈴木くん、インドへ行くんだって?」

出発を数日後に控えた5月某日、職場にて。一週間の長い休みをもらったので、職場内でどうやら僕が海外旅行へ行くらしいことが口づてに広まっていたようでした。ただ…

「インド『ネシア』です、先輩」

広まるうちに、どこかで「ネシア」が抜けたみたいです。たぶん、「ネシアがついていようがいまいが、どっちにしろよく判らん!」ということなんでしょう。僕もそうでした。

(あー、こういう日本人にあまり馴染みのない国へ行くんだな、まして僕が行くロンボク島はなおさらだろうな)

と、出発を前にして不安が胸に広がったのを覚えています。

とはいえ、意気込みもありました。もともと「海外へ行きたい!」「見聞を広めたい!」という漠然とした思いがあり、ゆいツールの山本さんとの出会いもあって、(よし、度胸試しだ!インドでもインドネシアでも行ってみよう!)おおよそこんなノリで今回の旅を決意した次第です。

見聞を広めるという意味では、乗り継ぎのジャカルタからもう「なんだこれは!」の嵐でした。もわっと熱気を帯びた空気、飛び交っている聞き慣れない言葉、初めて使うルピア(インドネシアの通貨)の0の多さ、車道を走るバイク、バイク、バイク…。ジャカルタからロンボク滞在中にかけてずっと五感が新しい刺激を受けつづけました。普段省エネモードの僕の脳みそは、さぞびっくりしたことでしょう。頭の血のめぐりが良くなったような、頭の中だけ若返ったような、そんな感覚です。ジャカルタのごちゃごちゃした道でもそうでしたが、ロンボクの田舎道でもそれは同じでした。車の窓越しに目に入る景色が新鮮で、ぼんやり眺めているだけでほんとうに楽しいんです。

さて、ロンボクに着いてからは実にたくさんの人との出会いがありました。もともとロンボクで暮らしている人、日本からロンボクへ嫁いだ人、日本で生活したことのあるロンボクの人、仕事でロンボクに来ているバリ人、ロンボクに滞在中の日本人、これからロンボクに住もうとしている日本人…ここで具体的に挙げるとちょっと長くなるくらいで、とにかく様々な出会いがありました。そしてそのどれをとっても、どこかゆったりとした時間が流れていて、日本みたく「お、お邪魔いたします!」と変に肩の力を入れることなく、くつろがせていただきました。

これは自分にとっては意外だったんですが、インドネシアでも礼節を重んじるところがあって、どんなにちょっとした用事であっても客人はお茶やコーヒーなどでもてなされるようです。どうりで訪ねる先々で飲み物が出てきたわけだと、後から納得しました。日本でいうと「立ち話もナンだからお茶でも飲んでけよ」という感じだそうです。さらにインドネシアでは、もてなされる側が用事が済んだからといっていそいそと立ち去ろうとすると失礼にあたるそうです。(時にはこの礼節が災いして、嫌いな奴が長く居座るということも起きるそうです笑)こういうのって、今の日本に持ち込もうとしても鬱陶しがる人が多いんじゃないでしょうか。インドネシアには地に根を張った人の繋がりがあるんだな と、ずっと残って欲しいすばらしい文化だなと思いました。

今回のロンボクエコツアーは、「エコ」と付くだけあって環境教育活動の現場を見学させていただく機会が多くありました。環境教育というのは、これから開発が進む国や地域の人たちに向けて、持続可能な発展ができるよう環境への意識を高める活動のことを言います。インドネシアでは(ごみ問題への意識が低いので)、その活動の一つにごみ銀行というものが広まっています。ゆいツールも現地でごみ銀行を運営していますが、ここでは今回のツアーで僕が見学させてもらったハミドさんのごみ銀行(シウン・グミランごみ銀行)について紹介したいと思います。

ハミドさんは、ぎょろっとした目が特徴の物静かで朴訥な感じの男性です。そんなハミドさんに家まで案内されると、家の外で近所の女性が子供たちと何やら作業をしています。これは、コーヒーやお菓子のプラごみを種類ごとに分別している様子です。子供達が面白がって遊んでいてワイワイガヤガヤとしていて楽しげでした。

分別が終わったものがこちら。こうして分別・洗浄されたものはごみ銀行が引き取り、持ってきた人はその量に応じてごみ銀行の通帳に記帳してもらいます。通帳に一定数たまるとお金が受け取れるという仕組みになっているそうです。

家の中に入ると、今度は別の女性が細く切られたプラごみを編んで何か作っています。自分もマネして編んでみましたが、「意外と簡単じゃん!」かと思いきや、女性が作った完成品と並べると全然ヘタクソなのがすぐにわかりました。

完成品(日本に戻ってから撮影しました)

正直、当初はごみ銀行の職人さんや会員さん(プラごみを集めてくる人たち)の励みになればと思って購入しようと思っていたんですが、それとは関係なく自然と財布を開けていました。作りがちゃんとしていたし、デザインも可愛いなと思ったからです。そして何より、大量生産されたごちゃごちゃしたパッケージのゴミを利用して、ハンドメイドでこんな可愛らしいものを作るというスタンスが「カッコいいな!」と思いました。このゴミのこの部分をこう使ってこういう柄にする、といったアイデアも職人さんたちが考案するそうです。もちろん向こうの物価で考えると値段は高めですが、こういった事を含めていい買い物をしたなと思います。

ハミドさんの家を後にして、シウン・グミランごみ銀行で引き取ったごみの保管場所へと移動しました。そこではハミドさんのごみ銀行がじつはお金の面でうまくいっていないという事を聞きました。保管場所は、これから何らかの資源として生まれ変わるはずのごみで溢れてかえっていました。

このごみたちは、これから洗ったり分別されたりするためにここに集められたんですが、次の工程へ回すお金が足りていないために、ここにずっと保管されているそうです。現実問題、ごみ銀行をやっていく上でもお金は必要です。こういった活動を離れたところから眺めていると、「ごみを再利用して新しいものを作る」っていう単に慈善事業としての側面しか見えてこなくて、お金とは無縁の世界と思われがちな気がします(自分もそうでした)。でも、実際に現場を訪れると違います。活動に携わる人がちゃんと見えてきて、非営利とはいえお金が必要なんだという当たり前のことに気づかされます。

ハミドさんの活動は、今のところ行政からの補助がないそうで、自分たちでお金を回していくしかないようです。そもそも、「補助金申請の書類の書き方がわからない!」という状態から、ハミドさんは活動を始めています。きっと、自分の村に落ちているごみを見て「なんとかしたい」と思ったんだと思います。その気持ちが先行して経費が予算をオーバーしてしまったんだと思いますが、だからこそ「なんとか解決できないかなぁ」という思いがこちらにも湧き上がってきます。

ちなみに、ハミドさんとは翌日も会う機会があって、今度はハミドさんの本業の焼き物を見せてもらうことになりました。焼き物には、バナナの木の葉っぱを縄状にしたものや卵の殻で上手く装飾されたものがありました。他にも絵の具できめ細かい文様が描かれたものがあって、色合いがサイケデリックでデザインがポップな感じで自分の好物でした。無事日本に持って帰れるか不安でしたがいっぱい買ってしまいました。焼き物でのノウハウがごみ銀行の製品作りに活かされているんだなと感心しました。(写真はお土産センターの様子)

ロンボクではまだまだたくさんのことを経験しました。中には普通の旅行ではちょっと味わえないようなこともありましたが、ひとまず日本に帰ってきてからのことを書きます。

日本に帰ってからは、休んだぶんを取り返すかのように仕事が待っていて、そんな忙しいなか「インドネシアどうだった?」と聞かれると少し戸惑いました。サッと簡潔に答えられる言葉が見つからなかったのです。「楽しかった」じゃ言葉が足らないし、「海がキレイだった」ではウソになる…。確かにロンボクでは海で泳いだりもしたし、他にも楽しい出来事がたくさんありました。でも、浜辺や街にはごみが散らかっていて、お世辞にもキレイとは言えません(観光客向けのビーチはキレイですが)。だから、初めのうちは話がそちらを通らないように、食べ物の話とかお土産に買ってきたタバコの話とか、伝わりやすいところをつまんで話していました。それで終われば相手も「楽しい旅だったんだ ね」と納得するし、収まりがいいでしょう。けど、それだけじゃちゃんと伝えきれた気がしない…。日本へ帰る飛行機を待っている間に外国人旅行者向けのアンケートを頼まれた時も、「インドネシアはキレイでしたか?」と質問され、多少答えづらかったけど「ごみが散らかっていた」と正直に答えました。時間やお金をかけてせっかく来たインドネシア、どうしても「いい思い出にしたい」という心理が働きます。でも、ロンボクでの経験はそう単純じゃなかったです。だから、楽しい思い出だけを切り取って人に話すことに違和感を感じるんだと思います。(確かに、きれいな景色もありましたが・・・)

「どうしてこんなごちゃごちゃしたものを僕は持って帰ってきたんだろう?」と旅を振り返りながら自分なりに考えました。それはたぶん、多少なりとも「ロンボクに関わってしまった」という感覚が芽生えたからだ、という結論に至りました。関わったからには無視できないな、という感じです。こんな感覚が芽生えたのは、一つに、今回の旅を通して現地の人とより深く関わったことが大きいなと思います。とくに、上で紹介したハミドさんと現地の青年ラフマンくんとの出会いが大きく占めています。ラフマンくんとは、都合2泊一つのベッドを分け合いました(深い意味はないです)。英語と身振り手振りでお互いの国のことや冗談を言ったりもしました。彼は、自分の村で英語教室を開講したり、 村をキレイにする活動をしたり、ゆいツールの現地ボランティアとしても活動しています。どれも無償でやっているので、お金はもらえません。ハミドさんやその他のごみ銀行を運営している人たちも、基本的に非営利で活動しています。それどころか、今の段階では障害の方が大きい状況です。だからこそ、「自分たちの環境を良くしたい」という思いがよく伝わってくるし、自分も彼らが立ち向かっているような問題に関わりたいと思うようになったのだと思います。

僕がロンボクを訪れた時点で、観光客向けかビジネスマン向けかわかりませんが、建設中のホテルが何軒かありました。それだけこれからロンボクを訪れる人が増えるということでしょう。それ自体はとても良いことだと思います。でも、そうやって訪れた人が、お土産のいっぱい詰まったスーツケースに自分たちの出したごみを入れて帰るなんてことはないでしょう。訪れる人が増えるということは、それだけごみが増えるということです。ロンボクで今一番注目されている観光スポットのギリ・トラワンガンという離島では、そこで出たごみのほとんどが、人目から遠ざけられて山のようになっています(動画で見させてもらいましたが、衝撃的でした)。離島には焼却施設もないし(←注:離島どころかインドネシア中どこにもないです)、かといってロンボク本島に運搬することも(コストの都合で)ほとんど無いそうです。

日本でだってごみ処理の問題が根本的に解決できているわけじゃありませんが、ロンボクはそのさらに後方にあります。住民の意識も行政も。そう思うと、果たして、ますます観光地化が進むのに耐えられる下地がロンボクに出来るのか心配です。

まだまだ書ききれていない出来事や思いもたくさんありますが、長くなるのでこのあたりにしておきたいと思います。最後に、このツアーを楽しいものにしてくださった方々に感謝します。特に運転手のヘルランさん、ゆいツールの山本さん、ラフマンくんにはお世話になりました。ラフマンくんが教えてくれた「さようなら、さようなら、またいつか会える~」という歌(なぜか日本語)がとても印象的で、今でも耳に残っています。ヘルランさんのジョーダンもまた聞きたいです。みなさん次に会う時まで元気でいてほしいです。短い間でしたが、本当に濃密な時間を過ごせました。ありがとうございました!運転手のヘルランさん(Pak Herlan)と、空港にて。

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5月のエコツアーの様子はこちら(5月28日付けブログ)です。

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