ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

神宮外苑の再開発

2022年04月28日 | 日記

             ヒメジオン(左)ハルジオン(右)

 オリンピックの後、新しい国立競技場は周囲の植え込みも整理され、あたりにその威容を溶け込ませている。でも、奢らず、圧倒するのでもなく、古風だがモダンな姿となっている。この建物を中心に神宮外苑一帯が再開発されることになっていて、設計図が出始めているらしい。目玉は野球場とラグビー場が取り変わること。その他、テニスコートやら運動場なども、再配置されることになるだろう。都内の貴重な緑地帯なので、どんな形に再生されるのか、今からワクワクしている。
 ところが、この計画に対し、樹木を守れという運動が起きているらしい。大木があるので、それらの木を伐採するな、と。
 そうした動きに、私は賛同できない。あたりにどんな樹木が生えていて、どんな手入れをされているのか、この人たちは知らないのだろう。明治神宮もそうだが、外苑は自然林でなく、植林されたものである。だから樹種も多様だ。ヒトツバタゴやタイワンフーなど珍しい木、備長炭の材料となる大きなウバメガシなどもある。しかし、それらの木も、周囲の設備や建物などの変化によって、生育環境が必ずしも適しているとは言えなくなっている。そんな中で、木を守れと言っても仕方ない。それよりも全面的に作り替え、環境や雰囲気にあった木々に植え替えることの方が格段いいことはわかり切っている。外苑ゆかりの観兵エノキは、今では、すっかり枯れてしまっているのだ。
 小林秀雄はかつて、自然とは手を入れたものだ、と言った。人間の手が加わり、手入れされることで、初めて自然と呼ぶにふさわしい風景ができるのである。
 そんなことを思っていると、東京都千代田区の警察通りで、銀杏並木伐採に反対する人たちがいるとの報道があった。伸びた枝が車の運行に支障があるというので、区は伐採するというのだ。銀杏は各地に並木として植えられているが、街路樹としては適していない。落ち葉は滑るし、実は悪臭がする。今の生活環境とは全く異なった時代の遺物として残っているものである。地元の人たちが、伐採に反対するというのが私には理解できない。歩道を広げ地域にふさわしい樹木を植えることで、新鮮な街路に整備できるのだ。【彬】

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マスクごっこは止めよう

2022年04月22日 | 日記

                ハナニラの群生

 コロナ禍が始まってもう丸々3年になろうとしている。いいかげんうんざりだ。この間、無為に年取っただけのような気がする。
 感染者は依然として一定数を数えているが、生活レベルでは、おおよそ感染は収まっているように思う。我が家の近くの居酒屋は安いし美味しいとの評判で、夕方早くから店は満員の盛況だ。店内は明るく開放的で、変な間仕切りも施していない。それでもこの店から感染者が出て店が閉鎖されたなどといったことは起こっていない。
 コロナに敏感なのは結構だが、その意識が通弊化していないか。例えばマスクの着用。
 私は路上ではマスクはつけない。付けるのは、電車の中。お店に入る時はマスクをつけるが、出たら外す。いつだったか、マスクを付けずに文房具やに入ったら、店員の方が追っかけてきて、マスクを付けてください、と催告。嫌になって買い物もせず、早々と退散したことがある。書店でも同じような経験がある。
 マスクの防菌効果は、それほど期待できないというのは、昔から言われている。風邪が流行ったらマスクをする人が多くなるのは、自分が感染ることより感染さないためだと言われている。ウイルスはマスクを簡単に通過するからである。今回のコロナ対策、世界中がマスクをするようになったが、これはワクチン以外に、有意な対策がなかったからに他ならない。
 世界各地で、最近では、マスクを外しても良いとの指針が出されるようになっている。しかし日本では、皆んなの染み付いた生活意識から、マスクはここ当分は外せないのだろう。東京都の医師会でもマスクをするよう声明を出しているほどだ。
 でも私はマスクは外す。剣呑だった周囲の目線も、最近ではそれほどでもなくなってきている。何人か、マスクなしの人とすれ違うこともある。でもほとんどの人はマスクをしている。なんだが、マスクごっこしているようにも思える。気温が上昇すると、マスクが息苦しくなる。人それぞれだろうが、この通弊を乗り越えたいものだ。【彬】

 

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主権ということ

2022年04月18日 | 日記

            ツバキ

 宇露戦争は、今日の経済社会の、原理的とも言える各種重要問題に様々な問題提起をしているように思う。
 その一つが主権(国家主権と国民主権)がどこにあるのか、ということ。
 ロシアは、ウクライナの東部地区にはロシア語を話すロシア系の人々が多数が住んでいて、そこはもともとロシアの領地であって、これからは共和国に認定するという。
 ここで問題になるのは、この地の主権は誰がどのように持っているか、ということになる。そもそも主権=ソブリン sovereign とは何であるのか。日本国憲法には、主権は国民にあると明記されている。つまり国民主権である。この考え方は、決して古くからあるものではない。その前は、帝国=ロイアル royal に主権はあるとされた。日本もその例で、戦前は帝国主義を貫いた。戦後になって共和制が当たり前になり、民主主義が定着した。そして主権は国民にあるとされるようになった。
 ロシアの現状をみるに、共和制とはいいながら、主権が国民にあるとはとても思えない。大統領は選挙で選ばれているというのも、単なる形式にすぎないように思える。問題なのは、形式ではなく、実質的に何が国民主権を保障するのか、ということである。
 以前にも触れたが、主権を保障するものは、国民の土地所有だと思う。つまり動かし難い財産(不動産)を国民一人一人が持っているかどうか。財産こそ権利である。社会主義では生産手段の共有化で、土地もその一環として国有化された。ロシアではその制度が未だ改変できないでいる。中国も同じである。個人の土地所有が保障されていれば、無理やりの鉄道の敷設や高速道の建設、さらにはマンションや工場の設置はできない。ロシアでのオルガルヒなどといった土地を何らかの手法で手に入れた人が、ガスや石油の開発で巨万の富を築くことなど、ありえない。土地の個人所有がないから、国家権力は自在に産業を操作し、専制することが可能となる。
 日本でも江戸期以前は土地は個人ではなく、領地として幕府や藩主が所有していた。
 このことから分かるように土地所有は単に経済の問題ではなく、主権のあり方と深く結びついているのである。
 このように言うと、土地を持たない貧乏人を蔑ろにするのか、と反論が出てこよう。しかしながら、社会主義思想=共産主義思想による、無産者階級=工場労働者の解放思想では、主権の問題が提起されてこなかったのも事実である。人権侵害などと言うが、元は主権の問題で、各種プロバガンダや情報によって人々を粛正したり抑圧するのは、主権の欠如によっている。ロシア・中国だけの問題にとどまらない。【彬】

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ロシアのことが分からない

2022年04月13日 | 日記

               我が家のシャガ

 宇露戦争はもう1ヶ月が経過した。しかし今後がどうなるのか、出口は皆目わからない。分からないのは、ロシアという国のことが分からないからだ。
 ガルージン駐日ロシア大使の達者な日本語や柔和な表情からは、ロシア人の傲慢さや邪悪さは微塵も感じられない。どこの国でもそうだが、国家という後盾を持つと人は一変するらしい。国内における反ナチ宣伝、西欧からの侵略史観、ロシアの大儀など、いくらプロパガンダされても、現在のグローバル化し、情報化した社会では、普通は考えられない。思想統制されているからと言って、本気で戦争にのめり込むのは、普通の感覚からすれば異常である。国内では教師やジャーナリストらが微かに反戦意識を漏らしたりすると、周囲から告発され、職を失ったり、刑罰を受けているようだ。
 ロシアはフランスのナポレオン、ドイツのヒットラーのことが、依然として脳裏から消えないのか。と同時にイワン(ソルジェニツェン・トルストイ)の頑健な凡庸さに由来しているのか。
 もう一つ分からないのは、戦争ということである。戦況については、刻々と伝わってくるのだが、現代においても、未だに戦車とかで撃ち合いなどをしているのだろうか。もっと高度な戦いがあって、先進国ではあっという間に勝敗が決まり、市民を虐殺するような、あるいは都市を丸ごと破壊し、死体から戦利品を剥ぎ取るなどといった様相はありえないと思うのだが。
 アフガンとかシリアとか、チェチェンとか、内戦状態ならばさもあらむだが、先進的な国家の戦いとは到底思えないのである。
 ロシアは曲がりなりにも共和国である。それなのにこうしたロシア的な専制的で残虐的な行為が何故可能なのか。ロシア革命後から今日に至るまでの政治・社会・経済のあり方が新たな視点からの研究テーマになる。従来の考えには、何か重大な抜け穴があったのではないのか。このことは中国社会、あるいは朝鮮半島のことを考える時にも必要不可欠のように思う。【彬】

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ロシアにはクーデターを

2022年04月07日 | 日記

満開のナノハナ

 遠い国のことだが、ウクライナに対するロシアの侵略・残虐のことが頭から離れない。マスコミも、ニュースやコメントは、この暴挙一色である。そんな中、登場する識者、専門家などの知見を見聞するに、最後は奥歯に物が挟まった印象が拭えない。なぜなのかと思うに、マスコミで公になる限り、政治的な黒白に関わるコメントは、なるべく避けたいという思いなのだろう。良識としては当然である。
 しかし、私たちは無名だから存分にいうべきことは言える。
 私はこの侵略の結末は、敗走=部隊の撤退をひきづりながら、ロシアが自国内で決着を図る意外になく、結局はプーチンという専制者をどう始末するか、になるだろうと思っている。そしてその手段は少なくとも3つある。
 1つは軍部によるクーデターである。かつて日本も含めいくつかの国で国家権力の転覆には軍部が関与した。ロシアでもソ連時代を含めいくつかの暗躍が行われたはずである。成功するかどうか、また国際的に賛同を得るかどうかはわからないが、これが可能性としては一番と思われる。軍部にそんな動きがあるのではないか、と想像する。
 2つは、市民革命による政治の転換である。革命は戦時に起こる。ロシアの市民階級を結束する指導者が出てくるかどうか。
 3つは、暗殺である。かつて韓国で行われたし、様々な小国では、今でも行われている。
 以上の3点、識者の皆さんも同様に思っていると思う。しかしこうしたことを明からさまに言うと、非難轟々の言辞が飛び交うだろうから、口をつぐんでいるのだと思う。でもそんなに上品ぶらずに、クーデターが必須だと言ったらいい。そうした言論を私は支持する。
 停戦とか、ロシアの現状が維持されるとなると、問題はさらに深刻になり、人権問題などいっこうに解決しないことになる。前にも述べたが、ロシアは社会革命が必要不可欠である。何よりも土地の私有化が進められる必要がある。この課題が解決しない限り、オルガルヒなどといった極端な富者が出る。ある程度学歴を積んだ市民層が中間層を形成し、しっかりした基盤を形成するためにも土地の私有化、そして国民国家に進む以外にない。それが戦争を防ぎ、ロシアの発展を促すテコになるのは、歴史的にはっきりしている。他の国のことだからと口出ししないのも悔しいではないか。【彬】

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