ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

高齢者の運転事故

2024年02月26日 | 日記

                     ワビスケ

 奈良公園で高齢者の運転する車が歩道に突っ込み、死者が出た。運転者は公園の鹿を移動させる目的で車を操作していたらしいが、アクセルとブレーキを踏み間違えたようだ。
 なんとも哀しい事故である。
 池袋の事故が代表的だが、高齢者の運転事故が絶えない。運動神経が鈍った高齢者は免許を返上するのが一番だが、私の知人でも返上する人は少ない。私はもともと運転しないから運転者の事情を云々することは差し控えるが、手離さない理由は想像がつく。
 以前、述べたことがあるが、誤運転事故の原因を運転者に求めるのは、今日のような技術社会では筋が違うのではないか、と思う。アクセルとブレーキの踏み違いが起こるのは、右足側にアクセルとブレーキを配置する無理に由来していると思う。これはクラッチが必要だった時代の名残なのではないか。アクセルとブレーキは別な箇所に置くべきだろう。例えば、アクセルをハンドルの握り部分に置き、握りの強さで変換できるように変えるとか。ハンドルを切りながら、スピードを調整する。バイクと同じ要領である。手の感覚の方が足より数倍優れているのだし。アクセルとブレーキの位置を変えることはそんなに難しいことではないように思う。
 自動運転が実用化寸前のようだが、老人の誤運転の問題は、自動運転、自動ブレーキとは別の観点からのアプローチがあって良いのではないか、とつくづく思う。
 と同時に、老人は若者と同じような車に乗りたいわけではないことを再考すべきではないか。老人が必要とするのは、あくまで移動手段だ。だからスペードが抑えられても良い、サイズも小さくて良い。特段、高速道に乗り入る訳ではない。駐車場もそれほど気にしなくても良い。そんな車を開発すべきではないか。
 老人の起こす事故に心が痛むのは、私だけではあるまい。【彬】

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政治の課題とは

2024年02月22日 | 日記

              椿(シンショッコウ)

 岸田政権の支持率が低すぎる。NHK始め、各新聞社の世論調査の結果が軒並み、支持率20%を切っている。漫然とした反対ではなく、支持しないという明確な表明が、70%を超えている。
 大きな政治的失態がないのにどういうことなのだろうか。また、経済が上向きの時に内閣の支持率が下落するというのは、何か根本的な欠点があるのではないか、と思う。
 政治資金パーティーの処理問題とか統一協会問題とか、野党やメディアが大騒ぎをしているが、本当の下落はそんなことに起因しているのではないはずだ。
 私は2つの問題があると思う。
 一つは語り口の問題。
 例えば以下のように話す。
「この問題については、識者や党内の意見をよく聞き、内容を精査し、然るべき措置を早急に検討し、国民の意向に反しないように、近日中に結論を得るべく、現在、鋭意進めているところです」
 何を言っているのか、わからない。本人は懇切丁寧な言い回しで、誤解のないように努めているのだろうが、実質的な中身が何もなく、ただ定型的な用語を並べているに過ぎない。おそらく外務大臣時代の対応が影響しているのだろう。具体的な問題は事務方が処理し、あとは良好な関係を維持するというスタイルである。
 いまのネット時代では、表現を畳んで、いかに短く、意図を正確に伝えるかに腐心しているのに、こんな冗長な表現では誰も支持しないのは明らかである。
 もう一つはテーマの捉え方。典型的なのは少子化対策。
 少子化を政治的課題にするのはなぜなのか、という基本的な思想がない。人口減少が国力の衰退を表すからなのか。核家族時代で育児に手をかけられない家庭が多いからか。人口増は何のための政策なのか、その目的がいっこう明確ではないのである。そしてこども庁などという役所まで作る。ただ単に人口減を憂いているにすぎない。
 人口が増えることは必ずしも善ではない。明治初期は4000万、産めや増やせやの戦中でさえ8000万だ。人口は文明や生活の理想と重なり合っていて、子ども減は必ずしもマイナス方向に向かっているわけではない。現在の12,000万人は戦後のべビーブームの名残である。
 少子化対策に教育費の免除を加えるというのも論理不明である。
 岸田内閣の支持率低迷は、現今の政治的課題を的確に捉えていないからである。ネット論者の池田信夫氏らは、少子高齢化の問題は、少子のほうではなく、高齢化のほうにあると強調している。特に高齢者への高度な医療が若年層の負担費用を高め、彼らの生活全般を萎縮させていると。
 政治とは統治のことである。統治を生活の隅々まで巡らすのは、自主独立の意欲をそぐ。岸田内閣には政治の課題が見えていないのではないか。
 【彬】

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変化する道路の役割

2024年02月18日 | 日記

  

             日本水仙

 昔、宇沢弘文という高名な経済学者が「自動車の社会的費用」(岩波新書)という本を上梓して、当時隆盛だった高速道路建設ブームに一石を投じたことがあった。車社会の到達によって、排ガス等による社会環境が危機に瀕していて、同時に産業廃棄物などで河や海が相当に汚染していた時でもあった。

 論考のおおよそは、車の普及は、その車の代金だけに済まずに、道路建設や維持に膨大な費用を必要とすること、その社会的な費用をよく見極めないと、大きな矛盾を引き起こすという指摘だった。1974年の出版である。

 1970年代というのは、時代の変節点だった。交通の問題で言えば、鉄道から車に移行する時代だった。新幹線を除けば、鉄道はその後、衰退を余儀なくされ、都市交通以外は存続すら危うい時代に至っている。

 ところが現在はその車社会が曲がり角にきているようにみえる。電気自動車の普及のことをいうのではない。その輸送性に疑問がでているように思えるのだ。その象徴がバスを始め、長距離運転手不足である。幹線道路を九州の南端から、あるいは北海道の北端から、一晩中をかけて都市部に運ぶ。その運転手が高齢化するとともに、後継者不足になる。今では女性の運転者を雇うほどである。いくら自動運転が可能となったとしても、高速道を深夜運転する無理は避けようがない。ちなみに深夜、高速道をはしってみるがいい。大型トラックの行列である。各種宅急便から郵便まで輸送の停滞が出始めており、運送費も値上げされそうである。

 今後は、高速道のあり方の検討が必至ではないか。

   わたしは高速道にモノレールを設置するとよいのでは、と思う。そのレールは、小型のコンテナ専用とする。インターチェンジや主要な箇所に、スッと入ってコンテナを入れ替えていく。昔、鉄道は貨物と併用していた。この機能を逆用するのである。道路を車専用にしておくのは、もったいないと思うのである。

 そんな時代が、わたしの目にみえている。【彬】

 

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イスラムに国家はない

2024年02月13日 | 日記

 ボケの花

 ハマス/イスラエルの戦争は、露/宇戦争とは根本的に違う。何が違うのか。

 露/宇戦争は国家間の争いであるのに対し、ハマス/イスラエルは国家間の争いではないことだ。戦争というのは、国家と国家のせめぎ合いのことだから、ハマス/イスラエルの場合は、戦争ではない。これを間違ってはいけない。では、なんの戦いなのかといえば、宗教の戦いだといえば良いか。ハマスの戦いは国家として勝利することではなく、聖戦をイスラムとして評価してもらうためである。

 したがって、ハマスはイスラエルの戦争相手、交渉相手ではないのだ。国外にいてパレスチナを仕切っているように見える宗教者が、パラスチナを代表しているかといえば、甚だ怪しい。なんとか統一性を確保しているように見えるのは、それが「イスラム」だと言うだけに過ぎない。

 国家間の争いであれば、最終的には交渉によって勝敗が決まる。戦前の日本だって、本土決戦だといいながら、最終的には天皇を中心とした政治により終結した。中世の民族移動による戦いでは、ゲルマン、モンゴル、十字軍、オスマンにしろ、進撃を続けてはいたが、相手国家が不在であることで、最終的には、自滅していった。今、イスラエルは、相手にしているのは国家ではないので、明らかにこれら中世と同じ蹉跌に陥っているかのように見える。

 ハマスの激しい抵抗は政治的な目的を持つものではなく、宗教的な意識である。だから、この争いを国家間の戦争のように、イスラエルの悲惨なふるまいとして、倫理的に評価するのは避けたい。イスラエルの非道を告発している戦場記者たちは、この陥穽にハマっている。

 この戦いの終結は、例えどこかが仲裁して収まるとしても、根本的な解決にはならない。戦いの基本は、政治の問題だが、ここでは宗教的な課題を内包している。政治を司るのは、本来国家である。国家のないところに政治はない。

 マルクスは昔、同じような課題を背負ったユダヤ人問題について、ユダヤが問題なのは、宗教ではない。政治だ。だからまず政治的に解放されなければユダヤ人問題は解決しないと明言している。イスラムについても同じである。パレスチナを含め、アラブの諸民族はイスラムという宗教にがんじがらめにされている。まず政治的に解放され、宗教から自由になることだ。

 その結果が、パレスチナの安定とアラブ世界の繁栄をもたらすこと、明々白々である。【彬】

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農家の縁側で梅の花見

2024年02月11日 | 日記

 このところ寒い日が続き、雪も降った。だが、10日の土曜は暖かくなった。こういう日は、縁側で日向ぼっこをしたいものだ。それも、古風な農家の縁側で・・・。

 ということで、小金井公園内の江戸東京たてもの園に出かける。ここには、江戸、明治の時代の農家の家屋が多く移設展示されている。それぞれの家屋をめぐり縁側に座る。その時代にタイムスリップした気分になる。この時期、かまど、や、いろり、で薪がたかれ、いいにおいがする。のんびりと、梅の花見をする。残雪にも季節を感じる。

 今、病気療養中で、以前のように動き回ることはしない。

 農家の縁側に座り、日向ぼっこをして、梅の花見をたのしむというのは、普段なかなかできるものではない。いままで、その発想も無かった。なにか今日は、子供のころ縁側で遊んだ記憶を思い起こし、大変懐かしくも贅沢な時間をすごした。

   2024年2月10日  岩下賢治

 

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