ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

近隣国、中国、韓国との関係について

2014年05月16日 | 日記

 

 【彬】氏が近隣国との関係について書かれている。その通りだと思いますが、私も関心あることなので自分の考えをお話ししたいと思います。

1 歴史概観

 19世紀末から20世紀は帝国主義が世界中を支配していた時代。第一次、第二次の世界戦争を経て帝国主義はなくなり、世界中に民族国家が独立誕生した。

 ①帝国主義の時代、欧米列強国は資本主義の進展に伴い、アジア、アフリカなどに市場を求め植民地を獲得していった。

 ②日本の明治政府は欧米列強に対抗するために、欧米のやり方をまねていった。この時代は、支配するかされるかの2つしかなく、支配する側になろうとした。

 ③中国、韓国は自国のアジア的やり方にこだわり欧米化(近代化)が遅れ、支配される側になっていった。

 ④その先が、日本の朝鮮半島の植民地化、中国進出、満州国建設である。そして宣戦布告なき日中戦争を引き起こすことになる。

 ⑤この動きに待ったを掛けたのが欧米世界であり、太平洋戦争に入る。

 ⑥日本が軍事的に負けたのは対米戦争である。

 ⑦戦後、日本は自由主義世界に組み込まれるべく、サンフランシスコ平和条約を交わした。署名したのは自由主義陣営の49カ国で、社会主義のソ連、中国は入っていない。韓国は日本の中にあったので含まれない。

 ⑧その後、韓国とは1965年に、中国とは1972年に国交を回復、合意文書を交わした。

 

2 中国、韓国との、戦後から今日までの状況

 ①中国、韓国は受けた被害があまりにも過大で、先の合意だけでは解決できないと、様々な請求を出してくる。

 ②欧米の旧植民地国は、欧米の政治、経済の仕組みや文化を取り入れてその後の国づくりに役立てている。宗主国を敬う面もある。

 ③韓国は日本から受けた負の部分が大きすぎ、反感ばかりが目立つ。

3 これからの中国、韓国との関係

 日本、日本人としてとるべきこと、

 ①日本は世界の目から見て尊敬される行動をとりつづけること。

 ②日本の良い部分を積極的に伝えていくこと。

 ③中国、韓国の目線でも見ること。韓国の高校生の歴史教科書を読むのもいい。内容云々はともかく、こういう教育で若者は育っていく。

    絵は日中国交回復の乾杯。    5月14日  岩下賢治

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人と動物、檻の内外

2014年05月14日 | 日記

 

 この連休、東京に帰郷した折、井の頭公園を散策した。以前に何度も訪れたことがあるが、池の周囲を歩いた程度だったので、今回は全体を巡ってみようと思ったのだ。さすが名園の誉れ高く素晴らしいところだ。

 動物園にも行った。狸、キツネ、ハクビシン、リス、鴨類など動物の多くは、日本の野山に生息する種類で、僕の勤める茨城の会社の周辺の野山でも見られる動物たちだ。檻の中の動物は、野山で目撃する動物とはどこかが違う。檻の中のハクビシンは大の字にうつ伏せになり日向ぼっこ。狸は丸くなりのんびりと眠っている。野生から離され、外敵もなく餌の心配も無く、全く無防備に見える。眼が違う。檻の中の彼らの眼はうつろで、野生の彼らは警戒心で鋭い目つきだ。

 僕は時々、人と動物を比較したり入れ替えたりして想像をめぐらすことがある。それは何年か前、僕の住んでいる茨城で牛の市場を見学してからのことだと思う。競りに出される牛たちは、おおかた従順で、その眼をジーと見ていると、牛というより人間の誰々さんに似ているなーと思えてくるのだ。

 ところで、人の話。

 何かの集まりの会話などで、時々、特に年輩の方に多いのだが、「自分は悠々自適でゴルフ三昧‥‥」のような話しをしているのを聞くことがある。それはそれでいいのだが、行き止まりでその先の魅力をあまり感じない。彼らの眼は檻の中の動物のようにトロンとしている。一方、幾つになっても厳しい状況の中でも、努力し、挑戦をしつづける人達を見る。たいてい彼らの眼は生き生きしている。そして僕は彼らに魅かれる。

 今というキビシイ時代。色々な分野で努力し挑戦する人は、檻の中の人ではない。未来のある人だと思えてならない。さて自分は、そのどちらであるのか? それが問題なのである。

                           5月9日 岩下賢治

 

 

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隣国との戦後処理について

2014年05月04日 | 日記

絵はコナラの巨木です。

 このところ、安倍政権のナショナリズム指向(戦後レジュームからの脱却と述べている)が、隣国の政治動向を強く刺激している。従軍慰安婦問題、尖閣諸島の領有問題、日本の船舶の差し押さえなどというのも、そうした動向の一端であることは周知のとおり。

 こうした問題は明治維新以降からの戦争の処理の仕方と深く関わっていて、小手先の外交でなんとか収められる問題ではないことは明らかである。私は専門家ではないが、戦争処理についていくつか感じることがあるので書き留めておきたい。

 私たちは先の大戦を普通「太平洋戦争」として教えられてきた。これは戦争の相手をアメリカ中心に集約する考え方で、この括り方には問題が多く、古くは林房雄などが「大東亜戦争肯定論」などとして論述してきている。戦いの相手はアメリカだけでなく、中国を中心とした大東亜であり、そこにアメリカが絡んで来たという認識である。アメリカと戦いになったのは1941年の真珠湾攻撃からであり、以後、確かに主戦場は南洋からフィリピン、沖縄であり、さらに北はアリュウシャンと太平洋の中である。しかし、この戦いの前段は15年戦争と呼ばれる中国戦線であって、日本軍はこの戦いの方が多くの戦死者を出している。

 戦後の処置はポツダム宣言の受諾として、アメリカ、イギリス、中国(蒋介石)の三者との間に交わされたが、この場合の中国とはほとんど形式的なものにすぎない。だから、戦後処理は英米によって、東京裁判からサンフランシスコ講話という手順で収拾されただけである。肝心の中国大陸での戦闘に関してはずっと後になって、日中共同宣言として一応格好がついたが、本格的に形がついたわけではない。戦争期の日本軍の残虐など、いつになっても絶え間なく露出してくるのは、あの大戦を太平洋戦争として限定することから発生していると思う。

 日本は太平洋戦争と大東亜戦争という二つの大きな大戦を同時に戦ったのだという認識が不可欠ではないかというが私の考え方である。アジアの平和統一を目指したはずの大東亜戦争について、その理念を含め本格的に始末をつけることが大切なことだと思う。今日、中国の膨張主義が問題視されているが、これもかつての日本の大東亜戦争の理念が未消化になっていることの裏返しの結果ではないのかと思う。

 では、大東亜戦争の戦後処理を誰とどのようにすべきなのか。相手は中国であることは間違いがないが、その中国というのは蒋介石の政府(かつての南京政府)で現在の台湾であるから、今日の中国政権は除外してよい……というわけにはゆくまい。日中共同声明というのは、周恩来がその辺の事情をよく把握して出した産物だったのだろう。

 で大東亜戦争は誰が勝利者なのか、中国なのか? 表面には出さないが、中国の為政者の間では蒋介石を倒したのは中共であり、従って日中戦争の勝利者は我々だと、本音では思っているのだろう。そうした戦勝国としての潜在意識が対日感情の背景にいつも宿っているように思う。複雑な問題であるが、とにかく大東亜戦争の始末を、日本、中国、台湾の三者で詰めることなしには、将来の円満な姿はないように思うのである。【彬】

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新宿御苑に御衣黄を観る

2014年05月01日 | 日記

 4月16日、穏やかな春の一日、新宿御苑に御衣黄を観に行った。花期の最盛期からは2、3日遅れたようで、少しばかり赤みが差し始めていたが、初々しい緑の葉に独特の緑色の花びらが重なるように咲く趣は、なにか異境のような感じがした。御苑に1本しかないというこの御衣黄、しかし古木で、今春の大雪のせいもあって枝が折れ下がっているようで、痛々しかった。

 去年のいまごろは高尾の森林科学園にウワミズザクラを見に行った。園内にある何本かのこの桜の、ちょうど眼下に見える場所に咲いていた木は、やはり老木で繭玉のような独特の花形もさることながら、やはり痛々しいものがあった。桜の木は寿命が短いのである。

 そんな折り、生まれ故郷の千葉県の片田舎に帰る機会があって、車中、雑木林のあちこちにウワミズザクラが満開なことに気がついた。ああ、こんなところにこの桜が生えているのか。子供のころ親しんでいたはずなのにと、まったく思いもよらない発見だった。

 身の回りのことごとは年齢を重ねた知識のよってはじめて知ることの出来ることがあるのだろう。歳をとることも捨てたものではないことを実感したのだった。 【彬】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
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