ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

楽観主義の芸術

2019年02月24日 | 日記

 TIME誌の、2019年2月18~25日合併号の、特集記事は、「楽観主義の芸術」the art of optimism.である。

 同誌は、政治、経済、生活一般、スポーツ、文化エンタメ、等の総合誌。僕は、毎回全体を読んでいるが、文化エンタメの部分は脇に置いておくことが多い。アメリカ固有の内容が多く、ムズカシイ。今回の特集は、この、文化エンタメ、を拡大したものと思う。だが、せっかくの特集記事なので、読んでみた。 

 この記事の編集の理由は

 現在は、分断、偏見、が広がり、ジャーナリズムも信頼を失い、人間性が揺らいでいる中で、「芸術」が自分たちの中に、「楽観主義」を目覚めさせてくれる。

 内容は、映画、演劇、出版、写真、絵画、文学、等の分野で活躍する、34人が、「楽観主義」をどう表現しているかを紹介している。・・・・のようである。

 例としては、

 アカデミー賞映画監督デル・トロ氏は「楽観主義は、息が詰まった時、深呼吸する本能のようなもの。楽観主義は、カッコウ悪いものではない。革命的で、勇気をもち突きすすむもの。」と語る。

 また、マイクロソフト創業者、ビル・ゲイツ氏は、レオナルド・ダ・ヴィンチを例に挙げ、素晴らしい芸術作品は、革新的技法により生み出される。人物を描くにあたり人体の筋肉の構造や、また、絵画を観る人の目線の距離の研究に力をいれた。

 ・・・34人は実に様々な観点から「楽観主義」を語る。 

 記事を読み終え思うのは、ものの見方というのは、様々。善と悪、強さと弱さ、美と醜、等々がいつも同時に存在している。時に一方が強くなる時期もある。現在は少し偏りがあるようだ。そいう時は、見方を変えてみることだ。

 読み終えて、眼に浮かんだ景色を絵にした。自宅近くの大学構内で、幼稚園児が遊んでいる。訪れると時々目にする光景。学生も含め彼らの、頭、眼、は好奇心に満ち柔軟なのだろう。

        2019年2月23日  岩下賢治

 

 

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朝鮮半島問題は、難しく辛い

2019年02月17日 | 日記

紅梅です。

 徴用工、慰安婦、など日韓関係の先行きが、以前に増して危うい状態に突き当たっている。
 韓国との政治的な問題、あるいは朝鮮半島に関わる様々な問題は、日韓併合を含め、明治のころから、あるいは豊臣、さらにはずっと昔から、日本が発展していく上での、避け難い難題として重く横たわってきた歴史がある。あるいは逆に半島の方からみれば、日本については処理し難い大きな課題難題として常に横たわってきていたと言えよう。朝鮮の人たちが歴史問題という時、こうした古い時代からの筆舌に言い表せない思いが錯綜しているのだと推測できる。
 私たち現在の日本人からすれば、敗戦を契機として朝鮮問題は、風俗や政治面を含め、ある程度穏当な措置がとられ、平穏に今日に至っているようにも思う。しかし半島の方から見れば、自国の経済が発展してくるの従って、この問題についてはさらに突っ込んで行くべき課題になっている違いない。それというのも、朝鮮半島が分断され、これがいっこうに進展しないことが大きな問題だからだ。朝鮮民族の統一という、かの国での最大の課題はいっこうに目鼻がつかない状態が続いていて、その方途を探るのが、表面には現れないが、北と南の、政治家の一番の課題に違いないのだ。
 ある時、わずかな期間、李朝朝鮮が、朝鮮統一というその役割を果たしただけだったのだが、その評価も現在の朝鮮半島の政治勢力の人達からは胡散臭く見られているようなのだ。


 統一できない最大の理由には思い至るものがある。半島という地理上の宿命のようなもので、例えば日清戦争や日露戦争は、日本と清、あるいは露との戦いとして表現されているのが、戦場となったのは、ほとんど朝鮮半島なのである。戦災を受けたのは、清や露ではなく、半島だったのだ。現在の分断となった朝鮮戦争も表面的には南朝鮮と北朝鮮の、主導権争いだったが、実質はアメリカと中国人民軍との戦争だった。そんな歴史をだどれば、北も南も、朝鮮半島の統一は民族の悲願だと言っていい。

 しかし、共産主義とアジア的世襲主義が結びついた政治主義が背景にある限り、その方途はあまりのも難しい。民衆の投票などで云々できる問題ではないのである。いま韓国の、ムンジェイン政権が日本やアメリカとギクシャクしているのは、この政権が上記のような理想であるが故の果てない難問に道筋をつけようと、微かな方途を密かに探っているからだと思える。
 政治的な事柄に深入りはしたくないが、韓国の動向の中に、この統一への願いがあることを見逃してはならないと思う。日本として今問われるのは、朝鮮半島のそうした動きを支持するのか、どうかである。
 新聞やテレビ、ジャーナリズムが韓国問題に腰が引けていて、いわゆる人権派とか、名ばかりの左翼系の論客が、真正面からこれを取り扱わなくなっていることに、私はおおいに不満があるのである。【彬】

 

 

 

 

 

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氷の世界

2019年02月11日 | 日記

 北海道は2月7日から強烈な寒波が襲い40年来の冷え込みとなり、札幌ではマイナス11度以下ということだ。

 一方、僕の住む、東京・小金井市では、9日は、ちらちらと雪が舞い大変寒く外出するのがつらい。気温は2度ほどである。翌日、2センチほどの積雪で穏やかな晴天に戻った。寒い冬、雪の多い地方では、生活が大変なことだと思う。ところが、雪の降ることのほとんどない東京地方に住む僕は、この季節、雪の降ることを期待するところがある。

 「雪景色は美しい」と思うのだ。

 学生時代少し冬山に行ったことがあった。僕が好きなのは、大きな雪山の景色ではなく、森や木の中に降る雪景色で自らがそのキャンバスの一部になったような感覚になることだ。夜、テントの外の気温はマイナス15度。お椀に入れた水を外に出すと瞬時に凍った。冴えわたる空気。月が出ていたかもしれない。夢とも現実とも思えない風景があったような気がする。

  この2月9日、雪はあまり積もることはなかった。夢の中にも期待していた雪景色は出てこなかった。以前、自分の好きな雪のある風景画を絵にしたことがある。今までの記憶を集めたものと、夢の中にでてきたものを、合わせたものだ。右上に、詩が書かれている。それかららみると、製作したのは5~6年前の今頃のようだ。

    2019年2月10日  岩下賢治

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勤労統計が問題になっていますが‥‥

2019年02月04日 | 日記

垣根のソヨゴが真っ赤な実をつけています。

 前々回だったか、新聞社の世論調査に触れたことがある。
 世論というような実態のあやふやなものを統計という固定化された数値に置き換えることの意味について、触れたものである。
 統計については、いま、厚生労働省で勤労統計について、不正があったと、政界やジャーナリズム界隈で大騒ぎである。法律上、従業員500名以上の事業所については全数調査であるべきものを、特定のものだけを抽出した調査でしかなかったと問題になっているのである。その結果、統計数値に誤りが出て、失業保険などの給付額が減額されているというのだ。そして再調査し、不足分を支給し直すというのである。
 再調査してどのくらいの違いが出てくるのか。
 指摘されているように法律に規定された通りに調査を行えば、果たして正確な結果を得られるものなのだろうか。私はそうとは思えない。調査の途中で記述の誤りなどが出てくる、集計の間違いが出る、など人為的な過失が当然出てくる。正確に調べたから正確なデータとなるわけではない。自然科学で追試験を何度も行うことを見てもわかると思う。
 学としての統計学は誤りを補正するために、逆に対象を抽出して調べることの意義を提案している。そしてこのことによって膨大な作業を簡略、誤差を一定の範囲内に収めることができるというのである。
 今問題の勤労統計も、今日のように職場環境が多岐に広がった社会では、すべてのデータを収集することより、統計学に準じて実施した方がより正確なデータをえることができると思うのは当然である。私は、だから、厚労省が行った調査は、法律的には不正であってもデータとしてはそれほど違いがないと思っている。
 厚労省の担当役人はこうした統計法を十分に知っていたと思われる。だから、全対象者の調査ではなく、サンプリングした調査を実施してきたに違いない。
 しかし、政治的に見ると、この実施の仕方が大問題となる。とにかく法律の定め通りに実施していないのだから。おそらく担当の役人、あるいはそれを許可してきた上司は、統計学的な裏ずけもあるのだし、この調査を良かれと判断し、実施してきたのだと思う。
 しかし、政治的な分野では、良かれと思ったことを素直に行うととんでもないことに行き着くのだ。これを官僚主義の弊害を云々することもできようが、問題は政治家が権力闘争ばかりに熱をあげ、政治的な利害の調整をしていないことの方が問題だと思われる。
 高度な福祉国家、そして高齢化社会になり、私たちの生活に行政が関与する度合がすこぶる大きくなっている。そして行政への要求が著しく高まっている今、行政を改革することを要求する政治家が多いが、問題の本質は、政治家が行政の実態を知らないことの方が問題だ。政治は理想ではなく、無知が罰せられる世界であるのだ。【彬】

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