ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

年末の落花生

2023年12月28日 | 日記

                  サザンカ

 私は千葉県の下総の出身である。利根川に沿った丘陵地帯である。そこでの特産物といえば、さつまいもや稲であるが、そんな中でユニークなのは落花生である。種類は半立(はんたて)。不思議な名前である。由来を調べてみると、葉が十分に立ち上がらず、横に広がるかららしい。

 この落花生、暮れから正月にかけ、おやつやおつまみによく出る。かつて、出された。香り、味とも最高で、子供の頃は食べ過ぎてよくお腹を壊したものだ。

 ところが残念なことに外形が不揃いで、収穫も一定ではない。中国産のものなどに比べると見た目はなんとも貧弱である。しかし味見が良いことから、中国産に比べると3倍の値段がついている。ちょっと手が出ない。時に思い切って買ってみると、昔食べた半立とはちょっと違うように思う。味が物足らない。

 ひょっとして、炒りあげる段階で、中国産のものを混入しているのではないか、と疑ってしまう。

 今、農産物は品種改良がどんどん進んでいる。近年話題なのはブドウ。シャインマスカットなどはこれが昔の青ぶどうか、と思うほど充実している。シャインマスカットのせいで、かつてトップブランドだった、巨峰はカゲを潜めてしまった。

 果物に限らず、コメ、ムギ、トマトと、年々、ずいんぶん上質な作物ができるようになった。気候の変化もあるかもしれない。と同時に農家の栽培方法も、ハウスなどで数段向上している。

 そんな中にあって落花生はどうしたものか、朗報が伝わってこないのである。粒の大きい「おおまさり」というのが最近出回っているが、味が特段いいものではない。私の好みではない。

 千葉県農林試験場の技官の皆様には、ぜひ半立の多収穫化に取り組んでもらいたい。【彬】

 

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2023年「今年の人」

2023年12月26日 | 日記

 米タイム誌が選ぶ、恒例の「今年の人」person of year は、アメリカのシンガーソングライター、テイラー・スウィストさん。Taylor Swift さん。
 僕は、表紙の女性を見た時、いったい誰だろうと驚いた。
 選考理由は、その年に、世界に影響を与えた、大物の政治家や起業家になることが多いが、2023年はそのような人物はいない。毎年、闇と光があるのだが、今年は闇が覆う部分が多く、多くの制度はうまく機能せず、世界は分断されている。
 テイラー・スウィストさんは、障壁を乗り越え、光の源となり、多くの人々に良い影響を与えた・・・等々。1927年から続く person of year で、芸術方面からは、初めて選ばれたそうだ。
 僕は、テイラーさんが、アメリカで大変人気のある女性シンガーであることは知っていた。スーパーモデル並みの、身長180センチ、その美貌で、インパクトが強い。だが、パーフォーマンスはよく知らないので、youtubeで観る。
 何千、何万人を収容するような大会場が似合う。カントリーミュージックのような部分もあるようにも感じる。ファンの多くは、若い人達のようだが、僕のような、年配の日本人でも、楽しめる。
 毎年、誰が選ばれるか楽しみにしている、この特集。
 かなり、意外な「今年の人」だが、多くの人に影響をあたえるソフトパワーはあるのだろう。僕自身、今年は厳しい年だったが、気持ちを和らげて、一年を終わらせよう。

  2023年12月25日  岩下賢治

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政治家の服装

2023年12月20日 | 日記

            キンカン

 私は現役を退いて久しいから現代のサラリーマンの服装について何か言うべきことはないが、昔に比べて随分ラフで活動的になったものと感心している。今時、ダークスーツで、ネクタイをしている人には滅多に会わない。営業マンで接客を本業としている人でも、そうしたフォーマル感のある服装の人は稀だ。

 そんな服装の変化にあって、政治家だけが相変わらず、ダークな背広に白いワイシャツ・ネクタイという古風なスタイルだ。テレビに写る姿がなんとも別世界である。昔、小池百合子さんがクールビスと言って、腕先を切った上着を提唱したことがあったが、不評だった。涼感があればいいという問題ではない。

 日本には数多くの、優秀な服飾デザイナーがいるのだから、そういう人にデザインしてもらったらいいのではないか、と思う。

 もともと背広というのは名前の通り、イギリスの一地域に流行った服装である。明治期の鹿鳴館時代ではないし、日本が真似る理由は何もない。もっとラフでゆったりした服装になれないものか。服装はその人の気持ちをも変えるものだ。スタイルを変え、定型的な言い回しではなく、もっと砕けた、現実味があるものになってもらいたいものだ。

 思いだすと小泉純一郎という人は破格だった。【彬】 

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教育無償化の動きに

2023年12月15日 | 日記

         シクラメン

 大阪や各地の自治体から教育の無償化の動きが活発になっている。国政レベルでも少子化対策の一環として、高校や大学の授業料の無料化が検討されているようだ。学習や勉強することには相当な費用がかかる。日本がまだ貧しかた頃は、高等教育を受けることは裕福層の特権だった。だから無償で勉強ができると言うのは、素晴らしいことには違いない。

 日本国憲法では、教育は国民の義務だとされている。義務なのだからあらゆる便宜が図られて当然だ。とは言え、教育ほど費用がかかるものはない。だから無償の線引きをどこで引くかが問題となってくる。

 形式ばって言えば、これは、義務教育の範囲をどこで引くかと言うことになる。現在、小学校から中学校まででが義務教育となっていて、それ以前の幼児期、および高等学校は、その範囲を超えている。無償化はこの範囲をどこまで広げるかの問題なのである。義務なら当然、無償化されるべきである。ならば大学までも義務とするのか。

 また、教育に関しては、教育を受ける権利というのが定められている。教育を受けたいという人は誰でもが差別なくこの権利を享受できるのである。だから戦前、教育を受けられなかった老人が、年老いて小学校に入学するという人がいたりするのである。この権利と義務の関係をどう判断するかが、今、教育の無償化に絡んで問題となっていると言えるのではないか。

 私は、無償化問題と同時に、現在の63制という教育制度を改める時期に来ている、と考えている。

 現在の63制が制定されたのは、戦後の教育改革によってである。戦前は小学校とその上に高等小学校があり、そして中学校があった。この旧制中学校は裕福層の特権みたいなものだから、これを見直して、現在の63制に変わったのである。そうした変革を経た63制が、今や家庭環境の変化、食生活や情報環境の変化、都市化などにより、勉学に見合った制度とはとても思えなくなっている。日本が見本としたアメリカでは、プレスクール、プライマリースクール、セカンダリースクール、ハイスクールと、日本より細かい配慮がなされている。

 制度が立ち遅れているために、都会では多くの子供たちが公立学校を避け、私立に通うようになっている。なぜ、公立ではダメなのか。受験のための塾だけでなく、英会話やスポーツ教室などの社会教育の場が活況を呈しているのである。この教育環境の変化を裏表なく受け入れるべきだと思うのである。

 私は小学校を2つに分けた方がいいと前から述べている。1~3年生と4~6年生が同じ校舎で学ぶことに違和感がある。小学時代を6年ではなく、7年に伸ばすのも良いと思う。それに以前の幼稚園に相当するプレスクールが必須だと思う。登校拒否が起こるのは、新学年の体験によることが大きい。

 なお、具体的に言えば、給食。低学年の食べ物と高学年の食べ物が、同じでいいわけがない。運動会など体力に相当な開きのある行事を、全学年で行うことは無理である。同世代の、同じ興味関心を持った子供同士で教育を受けられるようにしたい。そうすることによって教育の無償化は一層効果的で、皆が納得できるものになると思う。

 現在の制度での無償化は、公立と私立の違いにどう対処するのかを含め、課題が多い。

 無償化の問題より前に教育制度を検討すべきである。【彬】

 

 

 

 

 

 

 

 

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昔の生活を思い出す

2023年12月12日 | 日記

        アップルセージ

 近くのランチ食堂、よく利用するのだが、最近、注文するのに口頭ではなく、テーブルに設置した端末でするようになった。なんとも味気ない。

 私は店員からお茶を運んでもらう時に、口頭で注文するようにしている。すると面倒くさそうに端末を取り上げ、トントンと画面に入力してくれる。

 大衆的な店では、どこでもこんなふうに変化している。こうすることによって、誤注文は減るのだろう、会計に間違いがなくなるのだろう、人手不足も改善できるのだろう。しかし客の立場からすると、あまり心地いいものではない。これからは酒場でもアルコール類など、自分自身で給水口から直接つぐようになるかもしれない。

 こうした改変によってどれだけ営業成績が上がるものやら。私の予想では機材の導入費・維持費を考慮するとマイナス営業ではないのか、と思ってしまう。

 私たちの生活場面の記号化は、昔のことをしきりに想い起こさせる。私の青春時代はまだテレビが普及しきれていなかった。電話もなかった。そんな時代のことを思い、昔は良かった、などと言うつもりは毛頭ない。

 日常のあらゆる場面にコンピュータが入り込み、生活スタイルがすっかり変わってしまった。買い物などカード決済の人が多く、現金を持ち歩かなくなった。スマホという超小型のパソコンを一人一人が持ち歩くようになった。何か調べ物をするにも、その場でスマホが解決してくれる。対人関係こそ社会の基本だったものが、ラインやメールなどの端末に置き換わってきている。

 この変化はやがて私たちの生活マナーをも大きく変えるだろう。大袈裟に言えば社会のあり方そのものが変わってくるに違いない。政治から思想、科学など、根こそぎ変革が必要になると思う。しかし、、、しかし、この分野に変化の予兆はかけらも見られない。【彬】

 

 

 

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