ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

宇宙、月、へのロマン。

2019年07月26日 | 日記

 米国、TIME誌の7月29日付け特集記事は、「次の宇宙競争」the next space race.である。

 この3月、米国トランプ政権が、2024年までに月にアメリカ人を送りこむと発表したことを受け、常々、トランプ大統領の動向を注視しているTIME誌が記事に組んだものと思う。現在、月旅行へ向けしのぎを削っているのは、米国、民間の、SPACEX、と、BLUE-ORIGIN、そして、中国であるとして、その開発状況をレポートしている。

 さて、日本ではJAXAの「はやぶさ2」による、小惑星リュウグウの表面物質を採取し、太陽系の誕生や生命の起源等を探ろうとしているのが話題である。

 僕にはこのような事業はまさに天の上のドラマを遠くの観客席からただ眺めているかのごとくで、どうも、それが歯痒い。少しでも繋がりを感じながら見たいと思うのだ。上記の研究、開発者は、おそらく、子供の頃から、宇宙に関心をもち、小学校、中学、高校、大学、‥…研究所。と勉強、研究を重ねてきたのだろう。

 ところで、以前にも書きましたが。僕は文系であるが、高校の理系の科目の参考書を趣味で読書の対象としている。それで、「物理」の参考書を開いてみる。宇宙開発につながる事項がある程度載っているように見える。今の開発者も高校時代はこのような内容のものを勉強していたのだな。今までは、難しいので詳細を省き、要旨を追うように読んでいたが、もう少し、汗を流して「勉強」しながら読んでおくと、宇宙開発のニュースに触れるとき、親近感をもってよりリアルに迫れるのではないだろうか。この夏の読書リストに入れようか。

 絵はTIME誌の表紙の概略スケッチ。手間から、中国、SPACEX、BLUE-ORIGIN、米国、の宇宙飛行士のマンガ。

    2019年7月25日  岩下賢治

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税は単純こそベスト

2019年07月17日 | 日記

キンカンの花が咲きました。


 消費税の10%への引き上げに伴う措置として、割引の商品券購入書類が区役所から届いた。 
 この件について私は全く無知で、最初は何のことだろうと訝った。おそらく私だけではあるまい。
 改めて記すと、この10月からの消費税増税に対し、その際、買い控えなど景気の落ち込みが気になるので、その分、国民全員に一定額を還元しようというもので、額面25,000円の商品券を20,000円で購入できるというもの。おそらく公明党あたりが主導して、きめ細かな政治を旗印に掲げ、こうした政策が議決されたのであろう。しかし国家が商品券を発行するなんて、前代未聞である。
 税率については問題があるが、私は消費税に賛成である。
 消費税に反対する人は、一律の税金だと低所得者の生活負担率が高くなって、不公平だという。たとえば、一ヶ月10万円で暮らす人と、50万円で暮らす人が、同じお惣菜を500円で買うとすると、10万円で暮らす人にとっては、負担が多いというのである。確かにお惣菜など、飲食費に限っていえば、そうなる。所得の高低差がエンゲル係数の差として出てくるのは当然である。
そこで、軽減税率とかいう不可解な制度がでてくる。
 私が消費税に賛成なのは、税は単純で明快なものがいいからである。現在、私たちの税金は国税、地方税含め、複雑怪奇な仕組みになっている。年末調整だとか、地方税の追徴とか、複雑すぎる。だから、税理士という職業が成立している。細かな税金はすべて廃止し、税は消費税に一本化、その結果、例えば消費税が20%になってもいい。それの方が、明快である。
 税が複雑化しているのは、税制調査会とかといった政党の圧力団体が、国民の諸事情に配慮して、わけのわからない補助金を出したり、免税処置をしたりと、いわゆるきめ細かな配慮をして、財務省や内閣に圧力をかけているからである
 国民の生活が貧弱で、格差が大きかった時には、事細かな税制の配慮が必要だっただろう。しかし、今日のような成熟した社会には、そんな配慮は事務手続きをただ複雑にする無駄な作業だと思う。行政は単純こそ尊ぶべし。
 などというと、現代は格差が酷く、貧しい人がますます増えている、とあらぬ言説を振りまく偽左翼が横行するのである。【彬】

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体の衰えは腹筋から

2019年07月11日 | 日記

 白桔梗です。

 成老人の健康のために、脚力を鍛えようという言説がある。確かに衰えは足にくる。特に太ももは第二の心臓だと言われ、この老化を防ぐために散歩や早歩きが奨励されている。早朝や休日には、ウォーキングを楽しむ人が多い。

 私の住んでいるところは交通が便利で医療機関も身近なこともあって、老人の住民が多いのだが、たいていが足元おぼつかなく、カートを引いて買い物に出歩いている姿を目の当たりにすると、我が事のように気が気でない。足の衰えを防ぐことは大事なことなのだ。
 私自身は幸いにして年齢に比して足腰は丈夫である。反面、上半身の筋力が衰え、床屋に行きマッサージを受けると、肩が硬いですね、何かスポーツするといいですよ、などと言われる。肩こりは慢性の病である。 そんなこともあって、一年ほど前から、スポーツジムに通うことにした。そして、ハアハア言いながらダンベルなどを持ち上げている。その効果は、若干ながら出ているのだろう。反面、副作用も出ている。その細かいことはさておき、脚力との関係で気がついたことがあるので、述べておきたい。

 私の中での最も弱い体幹部は腹筋である。ベンチに横たわって上半身を持ち上げる。これを10回、20回と繰り返す。本当に苦痛である。そんな運動で気づくことがある。翌日、腹筋付近が痛いのは仕方ないのだが、なんと太ももが重苦しいのである。腹筋は実は太ももの強化でもあったのだ。走ったり歩いたりする時の筋力は脚筋力だけでなく、腹筋の力でもあったのだ。

 昔、知り合いのアスリートが言ったことを思い出す。
「君、お腹の周りに骨がないのは、なぜか知っている? 肺とか心臓は肋骨がカバーしているが、消化器関係のお腹は骨でカバーしていないのだ。これはね、お腹周りはいくらでも鍛えられるということなのですよ!」
 つまり、心臓や肺などと違って、いくらでも鍛えられるということ。その腹筋の様子で足元の具合が決まってくるのではあるまいか。私は、脚力を強化することよりも、腹筋を強化することが健康の決め手ではないのか、と思うのである。【彬】

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たいくつな時は食べ物のはなし

2019年07月06日 | 日記

カンナ、です。

 ネタもなく、意欲もなく、たいくつな時には、食べ物の話をするのがよい。

 昔食べたもの、美味しかったもの、まずかったもの、珍しいものなど、思い出すと次々に出てくる。つい最近のこと、スベリヒユを食べたことがあるかどうかで、一座が盛り上がったことがある。まずスベリヒユがどんな植物かから始まって、その調理法、歴史、味覚などなど。雑草だが、大昔から食べられていて、栄養も豊富。しかし、年取った人でも食べた経験がない人が多いようだ。

 最近読んだ、米原万理の「旅行者の朝食」(文春文庫)という本が、おもしろい。ヨーロッパ、特にロシアにおけるジャガイモの普及に関する論考など出色である。また古いところでは、大岡昇平「俘虜記」の中の挿話。捕虜の日本兵たちが、酒が飲みたくて、配給のレーズンを集めて、こっそりワインを作るはなしなど、人間が暇な時に、どんなことを考えるか、示唆されること大である。

 せっかくだから、私の食べものの話をひとつ。
 魚屋で干物を買ってくる。開いたものではなく、丸干。代表的なのはイワシ、そのほか、サンマ、コマイ、アジ、サヨリ、なんでもよい。最近の干物は一夜干しが普通で、十分に干さないのが普及している。多分、天日干しすると手間がかかるから、一夜干しで済ましてしまうのだろう。そんな生干しの一本物を2〜3日、天日干にする。すると魚特有の生臭さが消え、また余分な脂分が滲み出て、さっぱりした味になる。十分に干したものは、骨や鰭なども心地よく食べられる。私には、酒の肴としてこれ以上のものはない。おすすめである。
 ただし、硬いものが苦手な方は遠慮してほしい。親しい友人にこれを出してあげたところ、お前は歯医者の回し者かと、嫌味を言われたことがある。【彬】

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8世紀ドイツの旅から帰る

2019年07月04日 | 日記

 5月10日付け、「18世紀ドイツへの旅」の続きです。

 この5月連休に出かけた旅も2か月かかりましたが、このほど帰国しました。ゲーテのDie Leiden des jungen Werther 「若きウェルテルの悩み」を読み終わりました。名著をドイツ語で読み、その文化を知ろうということでしたが。

 内容は、1771年、ドイツのある地方都市の法律事務所に赴任したウェルテルは、官僚的で階級意識の強い環境に耐えられず、仕事に身が入らない。一方、当地の美しい自然、人情に触れ、絵画や読書などで楽しい生活をおくっていた。若者同士の舞踏会を開催し、ある女性を誘う。許嫁のいる、ロッテである。会うたびに恋心は深まり、もはや引き返せない状態になり自ら命を絶つことになる。

 この小説の成立には、当時のドイツの時代背景、ゲーテの個人的体験がもととなっている。当時のドイツは現在と違い、分裂した小国の集まりであり、精神的にも、物質的にも沈滞していた。そうしたなか、時代精神を変えようという文芸運動が起こる。理性に対する感情を優先する、というもので、これを「シュトルム ウンツ ドランク」疾風怒濤と呼ぶ。

 この作品の形式は、主人公の友人へあてた書簡が大部分で、本人の感情、心理、を大変細かく描き、また、詩的表現をふんだんに使っている。ドイツ語で読み進むと、主人公ウェルテル、つまり、ゲーテの気持ちに触れることになる。翻訳では経験できないものだ。

 今回の旅は、文豪、詩人 25歳の若き天才ゲーテの感情の高ぶりを通し当時の時代精神を感じる旅であった。

 絵は、ウェルテルがロッテに初めて会う場面。周りを親せきの子供たち6人に囲まれ、黒パンを切り分け与えている。ドイツ語では、次のように描かれている。

  In dem Vorsaale wimmelten sechs Kinder von eilf zu zwei jahren um ein Madchen von schoner Gestalt、mittlerer Grosse、 die ein simples weisses Kleid、 mit blassroten Schleifen an Arm und Brust、anhatte.Sie hielt ein schwarzes Brot und schnitt ihren Kleinen ring herum jedem sein Stuck nach Proportion ihres Alters und Appetits ab ・・・・・・・・・・

      2019年7月3日  岩下賢治

 

 
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