ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

書物の形態は変わるべき

2020年08月27日 | 日記

ヤブミョウガ 白い花の後に黒い実がつきます。

 最近、必要があって小冊子の編集制作をすることになった。昔取った杵づかで、なんとかものにしたのだが、最近の出版技術の進歩を目覚ましく、この分野は今後大きく変化する予感をヒシヒシと感じた。
 私の若い頃の出版と言えば、原稿は原稿用紙への手書き、活字は印刷所での文字拾い、そしてプリントは全紙か半裁紙への両面印刷で、プリントした紙に応じ3回〜4回と折り、そして綴じる。綴じるのはミシンで糸かがりか、針金の中綴じ。そして最後に断裁機にかける、といった工程。もちろんそれぞれの段階で手慣れた職人の手を経ることになっていた。それぞれが関連する工程のために、出版社と印刷製本の会社はひとつの地域に集まり、印刷村を形成していた。古本街として名を馳せている神保町はその名残の村である。
 ところが今日、この工程はほとんどコンピュータ制御され、人間の手にかかるのはパソコンに入力された原稿をデザイナーがデザインするだけ、という時代になった。
 こうした工程変化の結果、出版編集と印刷製本は切り離され、大型の機械を必要とする印刷製本所は都心部から広い土地がある地方へ、あるいは海外へと移転していった。
 ところが今、こうした分離がまた集合しそうな雰囲気があるのである。それは印刷工程がDTP、つまりデスクトッププリントで、パソコンから原稿をもらうと複雑な印刷工程を経ず、要望に応じ、小部数をじかに印刷できるシステムが完成したためである。辞典や全集といったしっかりとした上製本を制作するには不適切だが、簡易な並製本なら地方に出向かなくても狭い場所でも制作できる。そこで都心でも特定の印刷物の需要に短期間で応じる印刷所が営業できるという逆流が始まったらしいのだ。都心回帰すれば、その分、物流・搬送の手間が省けるのである。
 さて、問題はここからである。
 本屋に並べられている書籍類は、新書とか文庫とか単行本とか、相変わらす昔のままである。この書籍の形を、今日のシステムに応じた改革をせずには、出版界の再生は不可能ではないのか、と思うのである。むかし文庫本が開発されたことにより、日本の知的世界は一変した。同じように新書という簡易型の啓蒙書がでることによって、日本の出版界は大きな変化を起こした。新書形式というのは欧米のペーパーバックスを真似たものだが、この出版方式によって、誰もがたやすく出版事業を起こすことができるようになり、そして多くの出版社はたいへん潤った。
 そんな経緯を振り返るとき、DTPの良さを十分に活かした新たな出版の形が研究されて然るべきだと思うのである。
 その背景にあるのは制作工程の革新だけでなく、読者の側のパソコン普及にある。昔、岩波書店が広辞苑の電子版を発売し話題になったが、あの時から図書のもつ意味は変わったのである。辞典や百科事典は必須な勉学手段だったが、いまではインターネットで自在に調べ物ができる。それこそ紙の知識は不要になったのである。
 いまでは参考文献や重要図書ばかりでなく、文芸から娯楽までネット上で検索・ダウンロードが可能である。そうした時代背景を考えれば、出版は変わるべきなのだ。
 私が即座に思いつくのは頁数を少なくすること。原稿枚数で言えばせいぜい100枚、40~50頁が限度だと思える。表紙も扉もいらない。いわゆるパンフレットにして価格を安価にする。書物を書棚から引きずり落とし、新聞や雑誌と同じように、手軽な便覧できるようにすることだ。今、書籍類が高価すぎる。文庫でさえ、講談社の文芸文庫など1500円というのもある。
 小説にせよ、評論や解説本にせよ、本が厚すぎる。厚くないと本らしくないという考えがあるとすれば、それは大いなる時代錯誤だと思う。書斎でじっくり本を読むなどという時代ではない。
 現にライトノベルなど短いし、評論や解説書にしろ、中身は短文の寄せ集めだ。本は厚くないと本らしくないというかんがえを捨て、薄手で論点のはっきりした図書を発売すべきだ。そして引用など必要な箇所はインターネットと共有すべきだ。
 印刷工程の改革とパソコン通信時代を睨んだ図書のあり方の検討をぜひ進めてもらいたいものである。【彬】

 

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今年の夏休みは

2020年08月25日 | 日記

 今年の夏休みは特別だ、とよく聞く。新型コロナの為、多くの人、子供たちは、この夏休みの時期に外出を控えている。夏休みは、ただ楽しむということだけでなく、この時期経験したことが子供や、大人にとっても成長の糧になるものだ。今年は残念なことだが他の何かで、よい経験を作ることになっただろう。

 さて、充分大人の僕は、現在の自分を作り上げるのに、子供の頃からの夏休みがどう関わったかを反省を込め翻って見るのもいい。

 小学生の頃は、理科に興味があり、動植物の図鑑や、他かの読み物で、昆虫、植物、魚、動物、の名前、生態などはかなり理解していたようだ。昆虫採集にもよく出かけた。標本にして夏休みの成果として学校に提出もした。そんな経験が、今、自然環境を大切にしようという感性に影響しているのだろう。

 中学生~高校~大学は、文系の読書や勉強、貧乏旅行、スポーツ(陸上、登山)、などで夏休みを過ごしたな。

 ともかく、夏休みに頑張ったことは、今の自分を作るのに大いに寄与したわけだが、小学生の頃の昆虫採集は記憶がしっかりしている。高尾山で、ナナフシを、故郷の日野の雑木林で、オオムラサキを、採集した。ナナフシは当時大変珍しい変わった昆虫だと興奮したものだ。

 オオムラサキは日本の国蝶だが、これも珍しく、その後今まで一度も見たことがない。昆虫趣味はいまでもあり、この数年で、タマムシを5匹採集し標本にしている。

 絵は小学生の夏休み、オオムラサキを見つけたところ。

   2020年8月24日  岩下賢治

 

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樹を植えよう

2020年08月21日 | 日記

路地の空き地で咲いたカヤツリグサ

 
 とにかく暑い。暑いというより熱いというべきか。
 八月も20日を過ぎるというのに、またまだ暑さがつづくと予報されている。まったくコロナどころではない。
 暑さを防ぐには樹木を利用すること、いわゆる緑陰に涼むことが、古来からの知恵である。都会で大きな木があるのは公園くらいか。ところが最近、公園の樹が切られようとしている。防犯のためとか、落葉対策などが理由だ。でもこの暑さを思えば、樹は切らないほうがいい。枝落としも、極度に切り詰めないほうがいい。
 宮脇昭さんは樹林や樹木の専門家で、かねてから樹を植えよ、と唱え続けている。その土地にあった樹(潜在植生という)があるはずで、それを発見し植林すべきだという。日本には神社があって、その境内には植生に適した木が植っているという。シイ、タブ、カシの仲間で、いわゆる照葉樹だ。いずれも大樹になる。
 こうした樹をぜひ街路樹にしたい。だが、難点は冬場も鬱蒼としている。だから関東周辺では落葉のケヤキがいいと思う。冬は陽が差し込み、夏は木陰を作ってくれる。
 ところが同じ落葉樹でも街路樹として銀杏を植えているところが多い。丈夫な樹ということもあるのだろうが、これは葉が厚く、落葉の始末に悪いのは、周知の通り。とは言いながら、都会の街路では、近年、自転車の利用者が多くなり、駐輪場の確保に四苦八苦。せっかくの街路樹を切り、自転車置き場に転用しているところが多い。夏場になると、そうした対処が恨めしくおもえる。さらに言えば街路樹に対する秋口の切り詰めがきつい。電線とかが影響するのだろうか。でも樹は大きく育てたいものである。
 樹があることで街に落ち付きを与える。環境重視の自然派たちには、レジ袋と同じように街中の樹木にも注目してもらいたいものだ。【彬】
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スポーツは技術だ

2020年08月17日 | 日記

鈴なりのエゴノキの実、絵を描く膂力がないのでスケッチしました。

 プロ野球界のことだが、プレイ技術について、最近2つの唸るような重要な知見に接した。一つはバッティングのこと、もう一つは捕球のこと。
 バッティングについてはYou−Tubeで、かつての名選手・落合博満氏が語ったもの。
 従来の打撃術では、バックスイングを小さくし、できるだけ打点までの距離を少なくすること、つまりコンパクト(小さく)にし、上から叩くように振るというのが基本だった。そのことでボールを引き付けて打てるから、確実性が増す。いわゆるダウンスイングである。
 これに対して落合氏は全く逆のことを言う。バックスイングを出来るだけ大きく振り、フォロースルーを小さくするというのである。バックスイングを大きくすることによって、ボールを叩く時の力が倍増し、バットの軌道はボールを捉える点が一点ではなく、横に伸びるというのである。野球を多少なりとも齧ったことのある人には、まさに驚天動地。落合氏はその打撃術で驚くべき記録を残してきたのだから、嘘ではない。
 もう一つは守備の名手と言われた宮本慎也さん。
 彼はテレビの解説で、内野守備についていう。コーチはできるだけ前に突っ込み、前でボールを捕球するよう指導しているが、それは間違いだという。ボールは待って捕ることで、安定した状態で捕球できるのだ。落合氏と同じようにこれも驚天動地だ。普通は前に突っ込め、と口煩く指導する。そのほうがイレギュラーボールに対する処置が容易いのだという。宮本氏は逆に無理な態勢ではイレギュラーに対処できないというのである。
 野球に限らずスポーツは技術だと思う。だから競技と訳すのだ。洗練された技術のないところにはスポーツは育たない。
 野球の場合は個々のプレーが途切れるので、時間の余裕が生まれる。ビデオを使ったりして技術の究明がしやすい。サッカーやラグビーなど間断なくすすむ競技では技術より戦術のほうが注目されやすいが、本当は技術を解明すべきだと思う。
 陸上競技など単に速さや強さを求められる競技では、選手持ち前の能力が注目されるが、これも本来は技術面の研究がもっと進められるべきだ。テレビなどで解説者の言うことに技術面について触れることはない。
 現在コロナ禍で、ランニングする人が多くなった。走るのは誰でも出来る。でもランニングをスポーツとして捉えるなら、走法とかフォームなど技術面に配慮すべきだ。これは年齢や性別に関係ない。遅くてもいい。合理的で綺麗なフォームでランニングを楽しみたいものだ。ランナーである私は、もちろん年老いてもそう努力している。【彬】

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暑い夏の夜の夢

2020年08月13日 | 日記

 8月11日は、全国的に猛暑に見舞われた。東京も37度を超え、夜も暑さが残り、エアコンを朝方まで入れて眠った。体が涼しく感じると、海に潜った夢、山に登った夢などをよくみる。夢というのは自分にとって楽しみなのだ。いい夢を見れば翌朝から気分が良い。この夜は山に登った夢だったな。夢には、過去の記憶が要因になっているところがあるのではないか。

 目が覚めてから、今までの、夏の山登りの記憶をたどってみる。本格的に山登りを始めたのは、大学の山登りのクラブに入ってからだ。一年生の夏合宿で、北海道知床半島縦断が思い出深いものだ。合宿というのは苦しいものだが、それ以上に様々な楽しみがあり、大切な思い出になっている。

 いまは、山登りはやめているが、昔の山での経験は自分を作り上げている大切な部分だ。合宿メンバーの写真を見る。それを絵にしながら、一人ひとりとの思い出をたどる。

 今でも付き合っている人、年賀状だけの人、他界した方もいる。ちなみに、前列左端が僕。山での2回の大きな遭難を経験し、また、膝に故障があり、これから山らしい山に登ることはない。

 以前、ある講演会での話。・・・・ある高名なスキーヤーがいた。数々の栄冠を手にした人だが事故で脚に大けがをしてスキーをやめ、その後、雪山を眺めるだけになった。講師は聴衆に尋ねる。「彼は、今でもスキーヤーだろうか?」・・・・答えは「今でも。スキーヤーです。」

 過去の経験、思い出は、その人にとって大切なものなだと思う。そして、時々、眠っている時姿を現す。

    2020年8月12日  岩下賢治

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