よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

伊都国周辺を散策(福岡県糸島市)

2013-05-02 05:15:29 | 糸島の歴史
連休初日の4/27は、JR九州ウオーキングで「伊都国」を歩きました。
JR九州ウオーキングは、このたび100万人の参加者となり集合場所の前原駅で今治製の記念のハンカチをいただきました。

田んぼではコシヒカリでしょうか、もう田植えが終わっていました。
 
曽根に入ると「平原遺跡」(ひらばる)があります。注)北部九州では地名に「原」が入ると、「原」を「バル」と読みます。「前原」は「マエバル」です。
ここは、魏志倭人伝による「伊都国女王の墓」と推定されています。
ここからは47.5cmの銅鏡が発掘されています。現地の案内人の方が現物と同じレプリカの銅鏡を展示されていました。
今までこの銅鏡は裏の方ばかりしか見ていませんでしたが、表は鏡になっています。
今でもきれいに映ります。
 

糸島市のHPによりますと、この遺跡は
この遺跡は伊都国の王墓と考えられる1号墓を中心とした墳墓遺跡で、昭和40(1965)年に発見されました。発見は偶然によるもので、土地の持主がミカンの木を植えるための溝を掘ったところ、
多数の銅鏡の破片が出土しました。そこで原田大六(はらだだいろく;故人)氏が調査主任となって、大神邦博(おおがみくにひろ;故人)氏とともに発掘調査が行われました。

1号墓は14m×12mの四隅が丸い長方形でその中央に木棺が埋葬されていました。この墓は弥生時代終末期(約1800年前)に造られたものです。
副葬品は銅鏡40枚、鉄刀1本、ガラス製勾玉やメノウ製管玉などの玉類が多数発見されています。銅鏡のなかには直径46.5cmの内行花文鏡が5枚ありますが、
これは日本最大の銅鏡で非常に貴重なものです。また、ひとつの墓から出土した銅鏡の枚数も弥生時代としては日本一で、伊都国王の墓にふさわしい内容です。
この墓に葬られた人物は女性、すなわち女王ではないかと考えられています。その理由は、副葬品の中に武器がほとんどないこと、
ネックレスやブレスレットなどの装身具(アクセサリー)が多いこと、中国で女性が身につける「耳とう」といわれるイヤリングが副葬されていることです。


一説では卑弥呼の母親の墓という説もあります。

この曽根周辺では他にも伊都国歴代の王様の古墳なども発掘されています。
【築山古墳】
 
【端山古墳】
 

この時代は、考古学でも謎に見目られていますので何か歴史のロマンを感じますね。