風のなかで・・・山里・海辺・清流

四国山地南側の山里・海辺・清流等を歩き・写真を撮り、ローカルの生活を報告します。

戦国時代の夢・インレー湖

2016年11月11日 21時02分03秒 | 日記
東京に7日~9日まで滞在していました。9日はフリーで上野の森でも歩こうと思っていましたが、飛行機に空席がなく、予定変更で13時15分の便で帰ってきました。
東京の高層ビル・大量輸送の電車等を見ていると、一極集中型首都の脆さを再認識です。この様な巨大都市は特に戦争には弱く、市民生活の安定と幸せは「平和」こそが唯一の道であると思います。

   < 羽 田 空 港 >



日の丸マークの政府専用機を初めて見ました。祈・幸せを運ぶ「憲法9条・専用機」でありますように!!







  < 戦 国 大 名 ・ 夢 の 跡 >

11日・午後3時半ごろ、戦国大名・四国の覇者(1585年) 長宗我部元親の居城=岡豊城址を歩いてきました。


(城より東方)


(城より西方)



中世の「山城」です。城の背後は山斜面で当時は軍勢の通行不可、城前方直下は国分川。自然の地形(標高97メートル)を最大限に生かした、実に合理的な城です。
短時間の歩きでしたが戦国大名の「知」と「夢」に改めて感動しました。

  < 旅 の 思 い 出 ・  イ ン レ ー 湖 >

ミャンマー・インレー湖(2010年3月)歩き。3日間の滞在。宿泊していたGH(ゲストハウス=民宿)近くの貸自転車店で自転車を借り、湖岸の集落徘徊と観光船でインレー湖めぐり。





(インレー湖は水深が浅く、魚を見つけると網を落とし、逃げ遅れた網の中の魚をモリで突く漁法です。獲物は持参の小さなカゴに入れていました。冷蔵庫はありませんので、家族で1日に食べる量だけの漁です。)




(薪市場で売れ残った「薪」を背に山手の村へ帰っています。)


(農民は家族全員で農作業、子供もお手伝い。日本の農村も1960年頃までは同じでした。)

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