風のなかで・・・山里・海辺・清流

四国山地南側の山里・海辺・清流等を歩き・写真を撮り、ローカルの生活を報告します。

華人について

2016年04月29日 21時54分05秒 | 日記
ラオスやタイの華人について、私が現地を歩いて感じたことを書いてみます。
世界遺産・ルアンパバンのメインストリートは土産店・レストラン・旅行会社・GH(民宿)等が林立し、観光客で溢れています。この通りの建物は、歴史を感じる、古い趣のある大型の家屋が多く、ヨーロッパの石の文化とは趣を異にしています。
しかし、この通りは、家々の持ち主も各商店の経営者も、全て華人です。
毎晩開かれいる観光客に大人気のナイトマーケットは、モン族の方が多いようです。




この街のメインストリート。世界からの観光客で華やいでいます。
しかし、流れる空気はラオス人のカオリがしません!!
世界遺産・ルアンパバンは、華人が創り上げた街です。




ラオス・旧正月の「水かけ祭り」。自宅前の道路で楽しんでいるのは「華人」です。
画像で確認できると思います。
ルアンパバンは華人による、経済活動の歴史遺産のように思います。

モン族やラオス人は素朴で穏やかな、東南アジアの農耕民伝統文化が生きています。
私の身体の中に残り、消える事のない、高度経済成長前の農村社会に流れていた「空気」と同質の「空気」が流れています。

   < 華人について >

私の現役時代にマレーシア出身の華人留学生兄弟と数回、親しく意見を交わした事がありました。
中国語や日本語について話していた際に、マレー語を含め3ヶ国語が出来るってイイですネ~

その直後に、彼が話した内容は、明確に頭に残っています・・・マレー語は全くダメです。僕は中国人の街で生まれ、中国人の小学・中学・高校を卒業しました。
マレー人の友達もイマセン。

マレーシアの華人社会は半独立の存在であると認識しました。


     タイの華人について

大都市バンコクでは、大きなビルに黄金色で書いてある漢字の会社名を多く見かけます。
経済分野では華人の活躍が多いようです。
タイ華人の多くは、タイ語を話し、タイ王室を尊崇し、民族的な対立は無いようです。

タイ王室は歴史上、華人と血縁関係を持つ、王族も多く存在しています。

東南アジアの華人社会は、住んでいる地域により、大きな差異があるようです。
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バンコク・スワンナブーム空港

2016年04月23日 15時36分19秒 | 旅行
4月21日は旅の終わりです。タイ航空・TG660・13:00発・羽田21:10着の便で。






離陸直後・シャム湾




羽田に定刻通り着陸。光の海・東京タワーのお迎えです。


  < ふ ろ く > バンコク・スワンナブーム国際空港あんない
 
私は見知らぬ都市の空港を歩くのは大好きです。緊張します・不安です!!
長時間の機内で筋肉も心も緩みきっています、それを「ガッツン」と引き締めてくれますので・・・
スワンナブーム国際空港はよく利用していますので、少し案内をします。

 ( 3Fはコンビ二・コーヒー店・ファミレス等 エコノミーフロアーです )








出発フロアー(4階)の下フロアー〈3階)は、コーヒー店・レストラン・タイ食の屋台等が並び、エコノミーで大のお気に入りです。



出発フロアー・今回はタイ国際航空利用ですので、指示板・Jカウンターへ。


発券カウンター・その国を代表する航空会社を利用すると、搭乗券発行は何時でもOKです。
案内板に書いてあります(ALL FLIGHTS CHAK-IN)。空港でユックリ遊べます。
他国の航空会社利用者は、約2時間前の発券です。





飛行機に搭乗する前の出国手続き場所の表示です。エスカレーターで上の階へ行きなさいの指示。
安全検査→出国手続き→免税店・出発ゲート。



入国・乗り継ぎ案内(上から)
         青の矢印 : 入国方向。
         黄色の矢印: 出発げート方向。
                国際線乗り継ぎ方向(Transfer Counter)。
         白の矢印 : 国内線乗り継ぎ方向。

他の国際空港でも、ほぼ同じ記号の指示板です。乗り継ぎ時間は2~3時間がイイですネ!!
コンコースをヨロヨロ・フラフラ彷徨、ユックリのコーヒータイム・旅人のカンサツ・・・


<22日・モーニングは新宿駅改札外側・東西通路東入り口近くのベルクです>


ここのモーニングは税込み500円内です。




立ち席カウンターの壁は,新進芸術家に開放されています。コーヒーを飲みながらの鑑賞は目に優しく入ってきます。


< 22日午後の便で高知に帰りました>


   ( 高 知 城 )
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熱い風のなかで

2016年04月23日 08時17分50秒 | 旅行
東南アジアの旧正月が近づくと、熱い風に手繰り寄せられます。
モン族の里を流れる「風」や旧正月の素朴な「慶び」は何度歩いても新鮮で、心地よく身体に染みこみます。
(バンコクのGHで滞在中に思ったこと・・・)



朝ダ~・起きているカ~、鶏は目覚まし係りです。
朝食後畑仕事へ、一番上は「カゴ」を背負い、真ん中は手をつなぎ、赤ちゃんは背中に・・・私のこころの隅に残っていた、子供の頃の情景がながれています。

ラオスの1人当りの年間平均収入は、約20万円です。
電気が入り、テレビを買い、携帯電話を持ち・・・モンの山里にながれる「風」は強く、速すぎます・・・

      < ル ア ン パ バ ン の 街 角 で >



「水かけ祭り」は、土地の人も、旅人も、辛いこと・忘れたいことを洗い流し、「新年を祝う」お祭りであると勝手に想っています。実に素朴で清々しいお祭りです。

世界遺産ルアンパバン・メインストリートの歴史的な家並みは、全て「華人」の邸宅です。
赤い「チョウチン」がその証です。
これと同じ「チョウチン」は何所の田舎街を歩いていても、よく見かけます。
地域農民のアセとナミダに寄生する「集金係」・・・


      < バ ン コ ク の 街 角 で >



GH窓からの眺めです。急激に発展したタイの首都バンコク。華の都であり、複雑怪奇な大都市です。この電線の塊と同質で、秩序の中に混乱が存在し、混乱の中に秩序が存在しています。この問題多い日常を住民はよく解っています。そして生き抜いています。
バンコク郊外・ウイークエンドマーケットの入り口付近。桜の花より、少し大き目の花が満開でした。淡いピンクの花が暑さを和らげてくれました。

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祈りの街 ルアンプラバン

2016年04月16日 23時32分02秒 | 旅行
4月12日、バスによる約8時間の山越えでルアンプラバン行きです。バスチケットは、シェンクアンの観光ガイド店で購入、宿泊GH(民宿)までトクトクが迎えに来てくれます。バスはターミナル出発8時30分ですので、7時半にGH 前でピックアップでした。


約2時間走り、最初のトイレ休憩地です。、女性は竹を編んだ囲いのある小屋で、男性は山の斜面に向かってデス!!




約1時間後、2回目の休憩地(Phou Khoun)。ここは、山岳地帯の交通要衝です。左に折れるとビエンチャン、直進するとルアンパバンです。
約1時間の食事・トイレ休憩、必要な設備は整っています!!
ここを出発すると5時間でルアンプラバン到着です。


   <4月13日 大晦日・ルアンパバンの早朝>



GHを朝6時に出て、近くの寺院前で托鉢僧列を見学。僧の行列通過後も、寺院に向かってお祈りをしている方も数人いました。この街は「祈り」の街です。
(この様な場では、フラッシュは使用しないことにしています)


        <市民の台所・朝市>









寺院裏通りの「朝市」は大晦日で、売り手も買い手も忙しそうでした。


       <水かけ祭りのスタート>





メインストリートの午後は、「水かけ祭り」が始まり、大人も子供も観光客も、「祈りの街」のお祭りに酔っています。


       <旧正月(4月14日)・ラオス人最大のお祭り>

この祈りの街は、キリスト教徒でも、仏教のもつ温かい「こころ」に染まります。


      <祝・元 日 パ レ ー ド>







午後1時から、少数民族・各種団体のパレード。


  <元日・パレード後のルアンプラバンは水びたし・慶びの爆発> 

   祭りのピカピカ「車上女神」サマに若い男性の「熱い水」が集中!!







 









    <アヤシイ「女神」クンも登場・人気爆発!!>






      < ルアンパバンからバンコクへ(4月15日)>
       (タイ航空 14時50分発 バンコク16時25分着)


GH前の通りにあるコーヒー店でモーニング。




コーヒーを飲みながら、道路に目をやると、「オドロキ」です。
昨日のパレード人気車がアリマシタ。この車に若人4~5人が乗ってダイニンキでした。
これを整備して走らした「エンジニア」にも、大感動です。


     <さようなら・ルアンパバン>

ルアンパバン空港・出発ゲート待合室。


離陸直後・空港ビル。


ルアンパバン空港からバンコクへ。

(全ページの写真は記事指定日に撮ったものです)



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石棺と爆弾の丘

2016年04月11日 21時36分20秒 | 旅行
ジャール平原には石棺が多数残存している場所が3箇所あります。今回は最大規模の、「サイト1」を歩いてきました。この加工された石には、いろいろな伝説がありますが、日本人研究者により、遺物から石棺であるとの判断が下されました。人間の行為には、どの時代でも「限界」は存在しないように思います。
良いことも悪いことも・・・(10日最後の歩き)




熱帯モンスーンの乾季はヨロヨロ・ヨタヨタの私にはカナリキツイ。しかし、ジャール平原に入り込んだ以上は、ここに足が向きます。木陰での腰おろしを繰り返しながら、フラフラ歩きデス。


これは、米軍の大型爆弾で出来たクレーターです。
この地域はベトナム国境に近く、ホーチミンルートの一部でもあったのでアメリカ軍の猛爆撃を受けました。




観光用の小道には両端に赤と白に塗られたレンガが埋めてあります。白と白の間は安全、赤側は不発弾や地雷の危険があります。注意せよ!!との標識です。

ベトナム戦争期間中、アメリカ軍がラオスに落とした爆弾は約300万トンと推定されています。当時のラオス人口は約300万人です。
ラオス人一人につき1トンの爆弾が落とされたのです。
落とした爆弾の約2割が不発弾となり、戦争が終わっても、ラオスの人々を苦しめています。

アメリカはこの爆撃を公式には認めず、謝罪も保障もシテイマセン。

わが国が中国で行った戦争による、中国人犠牲者は1000万人以上とも言われています。

国が行う戦争とは、この様なものです。

戦争行為にたいしては、国民の力で止めることが出来ます。

その力は平和教育から生まれます。真実を教えることが平和教育です!!

戦争については、「近寄らず・協力せず・参加せず」・・・私の提案・非戦3原則。

明日(12日)は、8時半発の小型バスでシェンクアンからルアンパバンに行きます。
7~8時間を要します。山間部に点在する「集落」の風が心に沁みるように・・・
このルートの旅は、これが最後になると思っています・・・


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