風のなかで・・・山里・海辺・清流

四国山地南側の山里・海辺・清流等を歩き・写真を撮り、ローカルの生活を報告します。

国民主権・佐賀山分校・旅の思い出

2017年07月06日 14時01分37秒 | 日記
国民主権は根を張っていた!!
安倍首相の政治は国民主権・民主主義を無視し、議会で「数の力」を振り回すのみの幼稚で低質な内容です。
東京都民は、これを許さなかった。

「こころ」の中は曇りガラス状でありましたがこの「モヤモヤ」を都民の手が拭きとってくれました。

安倍首相は選挙応援で反対勢力に感情むき出しの言葉を放っています!!

内閣総理大臣は、多様な国民をやわらかい風呂敷で包み、「平和と幸せ」の社会に導くのが仕事です!!

反対勢力にキバをむき出して威嚇し、「危険」なニオイがすると、お仲間の背後に身を隠す。
都民は知っていたのです!!


  * * * 佐賀山分校と爽やかな出会い * * *

梶ガ森の初登山は社会人となった昭和41年です。この年に数回登ったと記憶しています。
「国鉄豊永駅」から数分の登り口から佐賀山の集落を経て山頂へと向かう、約4時間の登りでした。
このコースは、当時自動車道は無く2メートル弱の小径でした。
最初の20分は急な坂道で、佐賀山集落辺りで平坦となり、身体が山に馴染んできました。

佐賀山の小学校分校とその向かいにあった小さな雑貨店が記憶の底に残っていました。
私の小中高は市内の大規模校でしたので、分校は「二十四の瞳」の世界でした!!

約1年前に女性の登山愛好家HPで佐賀山集落の写真に出会い、「思い出」の風景が蘇りました。








(画像は分教場校庭跡、・児童数は昭和30年18人・35年18人・40年22人・44年12人・45年閉校・1年生から4年生まで分教場・現在は公民館)

7月2日・梅雨の中休み天気良好、自宅を早朝5時に出発、佐賀山集落には7時前に到着。
狭くて急な道の運転で少し疲れたので山畑の石垣に腰を下ろし休憩。

7時になったので、立ち上がり、斜面後方に良く手入れされた道があったので、登ってゆくと立派な農家でした。
中から話し声がしたので、「分教場」の場所を教えてもらいたくて声をかけました。

庭に出てきた女性は、優しくやわらかい目と声で「ツイテキテ」・・・
ゴムサンダルのままで、その家の裏手、草ボウボウの道らしきところに案内してくれました。
ここが昔の道です。私も毎日ここを通り、学校に通いました。
それどころか、朝露で足を濡らしながら、分教場まで連れて行ってくれました。

学校を卒業すると、大阪で働いていましたが今は福岡に住んでいます。
母が高齢ですので、佐賀山に帰っています。
子供の頃は、この校庭が広いと思っていました。
先生夫婦が自費で自転車を買ってくれ、荷物運搬用のケーブルて、学校まで運んでくれました。
この校庭で練習して乗れるようになりました。

突然、庭先に現われた私を、足を濡らしながら、ヘビのいそうな危険な道を案内。
久しく忘れていた、山空気の様な純な人の優しさに触れ、こころが熱くなりました。
ありがとうございます!!

車道ですれ違った土地人が今日は「山開き」ですと声をかけてくれたので、梶ガ森山頂に向かいました。




予期せぬ出会いに感動!! 山開き式典は定福寺長老・釣井龍光老師が執り行っていました。
若い時からの知り合いで、数十年ぶりの再会でした。
画像の下の方に見える「梶ガ森山荘」は閉鎖中ですが7月末から再開するようです。
山開き式典に参列していた新しい経営者から直接聞きました。
今日は本当に良い1日でした!!




日本の山里は高齢者が農業の担い手です。
土地人の手と汗で、何百年もかけて、拓き維持されてきた山畑が荒れ消えつつあります。

梶ガ森の麓に広がる水田は画像の様に「元気」でホットしました!!
しかし、見かけた「軽トラ」は「オトシヨリシール」ばかり、心配です!!

 *** 旅の思い出 小鳥・サパ(ベトナム)の旧正月 ***


(ハノイの店先)


(おまけ・ハノイ果物店のアイドル)






  ( ラオス・ジャール平原 )

   < サパの旧正月・みんな元気!! >
正月の晴れ着は出身地域により異なっています。伝統文化が生きています。





コメント
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