相場は何か怪しい気配であるが、ぎりぎりで底抜けを免れている様子だ。ここは慎重に望みたい。多くの人が円安を希望・期待・予測しているが、ここは注意すべきだろう。
ちょっとトレードとは離れるが、まずは歴史ネタ。NHKの大河ドラマ「平清盛」を毎週欠かさずみているのだが、前回、面白いシーンがあった。伊豆に流罪になっている源頼朝のもとに娘(政子)を嫁にやった北条時政の言葉だ。
「わしは、介殿(頼朝)に賭けたのだ。」
全盛を極めている平家によって犯罪人とされている頼朝。それを婿にするという行為は、トレードで言えば、リーマンショックの最中にダウを買うようなものだろう。しかし、時政は、結果的には、賭けに勝った。時政自身は中途にして引退することとなるが、政子等の主導によって、北条氏は、日本で初めての武士の長期政権(鎌倉幕府)を築くこととなる。トレードもいつも賭けてばかりでは負けてしまうが、勝負の時というのはあってもいいものだろう。
もうひとつは文学ネタで。石原新党が「太陽の党」という名前になると報道されている。まだ正式決定ではないが、なんとも笑える党名だ。もちろん、石原氏の若き日のベストセラー小説「太陽の季節」にちなんだものだろうが、この小説、出た当時は、風紀を乱すということで社会問題化したものだ。決して文学としては悪いものではないと思うが、老年となった石原氏が若き日の夢よもう一度と考えているとすれば、なんともムリがあるように思う。小説のあの有名な一節をあげておこう。
「風呂から出て体一杯に水を浴びながら、竜哉は、この時始めて英子に対する心を決めた。裸の上半身にタオルをかけ、離れに上ると彼は障子の外から声を掛けた。
「英子さん」
部屋の英子がこちらを向いた気配に、彼は勃起した陰茎を外から障子に突きたてた。障子は乾いた音をたてて破れ、それを見た英子は読んでいた本を力一杯障子にぶつけたのだ。本は見事、的に当って畳に落ちた。その瞬間、竜哉は体中が引き締まるような快感を感じた。彼は今、リングで感じるあのギラギラした、抵抗される人間の喜びを味わったのだ。彼はそのまま障子を明けて中に入った。」(太陽の季節・1955年)
今の石原新党からは、「乾いた音」は聞こえるだろうか。^^;
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太陽の季節ですか。読んだことないですが、NHK平清盛の卑猥さには叶わないでしょうね。娘と見ていましたが、第一話からいきなり天皇による卑猥行為。しかも服に手をつっこみ胸をもむという描写。
しかも指摘されてる通り、映像も汚く、2話の途中から見なくなりました。調べるとプロデューサーが皇室廃止論者ということで非常に納得。過去最低レベルの視聴率にも納得。でも反日皇室廃止論者が公共放送NHK大河のプロデューサーとは・・NHKの落ちっぷりがすごいですね。持ち株にはこうなってほしくない(笑)
たまには相場以外の話もいいかと思い。
私は結構面白く大河見てます。プロデューサーの思想は知りませんでしたが、私自身は、これを1年見て、天皇家のたくましさ、エネルギッシュな部分を改めて感じました。文字通りの諸行無常で、今は、平家も、源氏も、藤原氏すらも、実質的には滅びました。しかし、天皇家は相変わらず日本の象徴としてまったく変わらない地位を確保しています。これは日本の誇るべき伝統の大きな部分でしょう。このドラマで天皇家と武士とのバランスが微妙になってきた平安末の時代の有様を改めて勉強し、日本の伝統の強さを再確認できたと感じます。
皆さん、辛口ですねえ。^^;
前々回か、平重盛の言として「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず」を言わせていましたが、これは『平家物語』など中世のものではなく、江戸時代の頼山陽の『日本外史』の創作。ある意味、尊皇思想の最たるものです。この言を多くの人が再認識したことはいいことだったと思います。ちなみに、天皇が帝王教育として必ず宮中で学ぶ歴史書が『日本外史』です。
ただのドラマなので深田恭子が可愛ければそれでいいです。
深キョンはずいぶんと大人になりましたけど、相変わらず可愛いですね。おっしゃるように、歴史は、語られたものですら、いろいろな解釈があるものなんでしょうね。