♪大地一人のスカイツリー暮色♪

有料版/運命鑑定
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おばさんよりも、若い女性の方が、大人かもしれない・・・と思うとき

2013-06-25 17:35:10 | 日記

俺は、短大で教えていた。

だから若い女の子の気持ちがわかる。

 

またSNSで、多くの中年女性たちとも、

交流した。

 

そういう経験で言うのだが、

今の日本、

「中年女性よりも、若い女性の方が、大人かもしれない」

と、ときどき思うことがある。

 

むろん、これは一般論であり、

精神レベルの高い中年女性もたくさんいることは言うまでもない。

 

その根拠であるが・・・・

 

①     若い女性は、ボランティアの精神がある。

 

ヒット大地、若い女性を見て、感心するのは、

ボランティアの精神があることだ。

 

俺は、ボランティアを「その女性が大人であるかどうか」の大きな判断材料にしている。

 

かつて俺の属したSNSでは、カリスマと呼ばれる人がいて、

その人が、東北大震災のとき、

ボランティアを呼びかけた。

 

すると、30名以上の中年女性たちが、「賛成!ぜひやりましょう!」とコメントを載せた。

ところが、実際に、ボランティア活動の話が具体化すると、

参加する女性は、一人もいなかった。

 

そのショックのせいもあり、そのカリスマさんは、退会した。

 

実は俺も、SNSでコミュを作った。

「皆でネットのいい情報を交換し合いましょう」というものだった。

 

25名が集まった。

最初は、俺が、「素晴らしいサイト」を紹介した。

 

皆は、「素晴らしい」と言ってくれた。

 

その後、俺は、全員に呼びかけた。

「皆さんも、どんどん紹介して頂戴!」

 

ところが、賛同する者は2名くらいで、

皆、何度、呼びかけても、完全に無視した。

 

俺は正直ガッカリした。

 

「こういう人たちと付き合っていても、時間の無駄」とさえ思った。

 

「皆で、社会を良くする!」という気持ちが、

今の中年女性には、一部を除いて、ほとんどないようだ。

 

橋下のような者が現れると、一時的に「支持しよう!」と言うが、

自分からは、ほとんどボランティアの行動はしない。

 

それでいて、橋下がちょっと失言すると、

すぐに、橋下を悪く言い始める。

 

自分から行動する者も、政治や宗教がらみが多い。

いわば、金がらみだ。

 

要するに、義理や金が絡んでいて、

無理やりさせられている・・・というのが、多い。

 

逆に、若者は、自分の自由意志で、ボランティアする者も多い。

 

ある女性などは、自分のお金を払って、

福島の除染に出かけていった。

これは、見上げた精神だ。

 

確かに、家庭を持つと、そういうことは難しい部分もある。

でも、心がけ次第で、中年女性も、いろいろなボランティアができるはずだ。

 

実際に、アメリカの中年女性たちは、ボランティアを一生懸命やっている。

 

だが日本の中年女性は、精神的に未熟なので、それができないのかもしれない。

 

失礼ながら、そう思うときも多い。

 

②     義理で、がんじがらめの中年女性が多い。

 

またSNSの話になるが、

SNSは巨大な「義理疲労の場」であると、よく言われる。

 

ブログを書くと、コメントが入る。

最初は、すごくうれしい。

 

でも、コメントも、10、20、30と増えてくると、

その返事である「コメ返し」が、大きな労働になる。

 

その他、「伝言返し」や「メル友への返信」なども、

負担になり、一日で、何時間も、時間が消費せねばならなくなる。

 

閲覧数の多い人ほど、その疲労はものすごく、

幾何級数的に、増えてゆく。

 

その結果、閲覧数の多いカリスマたちは、一日中、パソコンに釘付けになり、

眼の病気になったり、

あるいは、結局、退会する者が多かった。

 

俺も閲覧数がトップクラスだったが、

そのコメ返しのために、

書きたいことが山ほどあるにも関わらず、

じっとガマンしていた。

 

それが正直ストレスだった。

 

今は、gooで、好きなように書いても、

コメントはほぼ皆無なので、正直、精神的に、すごく楽な部分がある。

(ただし、素晴らしいコメントは、心を成長させてくれる。

そういうコメントは、疲労も吹き飛ばしてくれるし、とてもうれしい!)

 

正直言うと、SNSでコメントを書く一番の理由は、

「自分のブログ」も読んでほしいからだった。

 

でも、そうやって、あるカリスマは、

毎日の拘束時間が、一日8時間ということにも、なっていた。

 

ミニカリスマでも、拘束時間は一日3時間くらい。

考えてみれば、相当な疲労だ。

 

ただし、今から考えると、俺の場合は、その疲労も、楽しいものだった。

 

でも3年半で、円満卒業したから、楽しい思い出なのかもしれない。

 

SNSで活動して思ったことは、「日本の中年女性たちは、義理第一」という気がした。

 

眼の前に、「瀕死の他人」がいても、平気だが、

「自分の知り合い」からのコメントにお返しをしないのは、

絶対に避けたい・・・・と思っているようだった。

 

もっと中年女性がボランティアに目覚めていたら、

俺は絶対に、SNSをずっと続けていただろう。

 

世の中には、すばらしいものがたくさんあるにも関わらず、

義理疲労のせいで、つまらない人生を過ごしている・・・

それが多くの中年女性の実像のような気がする。

 

逆に、今の若い女性は、自分で物事を考えることができる。

 

テレビも、見ない女性も多い。

 

これが二番目に若い女性の方が、むしろ大人ではないか?・・・と思う理由だ。

 

③     性に過敏すぎる中年女性が多い

 

中年女性は性に関しては極端という気がする。

 

ある女性たちは、そういう話はヘッチャラ・・・いや、大好きという者も多いが、

逆に、「性の話は、絶対嫌」という女性もいた。

 

そういう女性たちは、日々、性的に欲求不満の人生を送っているのか、

あるいは、宗教的な理由で、そういう話を受け付けないのかもしれない。

 

でも、人間にとって、性の話は大切であり、

そういう話から逃げ回っていては、

広い世間を渡っていけないと思う。

 

そればかりか、

慰安婦問題などでも、間違った判断をしてしまう。

 

ほとんどの慰安婦は、

「自分が好きで応募した」にも関わらず、

「あの女性たちは、無理やりさせられたんだ」

という間違った見方だ。

 

こういう女性たちは、自分の中の『性の暴発』が怖くて仕様がないんだと思う。

だから、笠置シヅ子のように、超潔癖症の女になり、

何でも、アルコールで消毒してから、触れるということになる。

 

他方、今の若い女性たちは、学校で性教育も受けているし、

ネットのサイトなどでも、性の洗礼を受けているから、

性に関しては、寛容で大人という気がする。

 

④     中年女性は、社会を知らない「主婦」が多い

 

大人の女性になるためには、社会で働くことが必須だと思う。

ところが、中年女性たちの多くは、

「主婦」として、これまでの長い人生を生きてきた人が多い。

 

だから、本当の社会を知らず、勝手に理想論に走り、

男を恨み、社会を恨んでいることが多い。

そういう意見は、参考にはなるが、現実性の低いものだ。

 

今の若い女性は、ストレートに主婦になるケースは少ない。

 

結婚適齢期が上がっているので、

結婚の前に、いろいろ社会で働いていることが多い。

 

また以前の女性に比べ、コンパとかクラブ活動とか、いろいろなことで、

男の交流も多いはずだ。

 

その分、精神的に成長しているのではないかと思う。

 

⑤     中年女性の若い頃は、景気が良かったので、男に経済的に頼っていた

 

④ともダブルが、今の中年女性の若い頃は、男は頼りになる存在だった。

日本経済の景気が良かったからだ。

 

ところが、景気が悪くなると、男にも頼れず、

結局自分で頑張らないといけなくなる。

 

だから資格なども、たくさん持っている若い女性は多い。

 

その分いろいろな経験をしているので、大人という気がする。

 

やはり世間を知ることが、大人の女性になるための必須条件だと思う。

 

⑥     中年女性は、物事の軽重がわからない人が多い

 

中年女性にとって、一番大切なのは、「自分+家庭」という感じがしている。

 

だから、社会にとって、どんなに素晴らしい人間が現れても、

自分の家庭にとってマイナスなら、その人間を「敵」とみなすことが多い。

 

これじゃ、世の中、良くならないし、

いつまで経っても、政治対立、宗教対立、民族対立は、続くだろう。

 

また、ごく狭い範囲の善悪しか判断できない。

 

俺たちは、多少自分にマイナスがあっても、

立派な人間や、立派な社会改革を、きちんと認めるべきだ。

 

時代は動いている。

 

レコード針がなくなるのは、運命だ。

柱時計がなくなるのは、運命だ。

木炭や石炭がなくなるのは、運命だ。

 

過去に執着したい気持ちはわかる。

 

しかし新しいものを、きちんと認めるのが、

大人の態度だ。

 

 

 

・・・話が長くなるので、この辺で止めておくが、

中年女性は、人生を長く生きてきたわけだし、

妻かつ出産、育児、母親としての経験もある人が多いのだから、

その分、もっと大人になっていいはずだ。

 

ぜひ奮励を望みたい。

 

最後の最後に・・・・

 

女性は最終的には、心なので、

若い女性に外見が劣るからと言って、

絶対に、めげないでほしい!

 

明るく前向きに生きている女性は、

美しく見えるもんさ!

だろ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


あなたが苦しんでいるとき、一緒に泣いてくれる人、いますか?

2013-06-25 12:45:44 | 日記

あなたが苦しんでいるとき、

友人に相談する。

 

かわいそうに・・・口では言うだろう。

 

でも内心は違う。

 

心の中では、舌を出して、笑っていることが多い。

 

他人の不幸は蜜の味だ。

 

それが地球人の精神レベルの実態だ。

 

霊界人に、相談してみる。

 

すると、無関心の人が多いが、

知人は、きちんと同情してくれる。

 

でも、霊界人の場合、「どうにもできない」・・・というのが、真実だ。

 

悲しいかな、それほどの精神パワーはないんだな。

 

今度は、宇宙人に相談してみる。

 

すると、彼らは本当に、一緒に泣いてくれる。

 

本当にヒット大地のために、涙を流してくれる。

 

以上のことを考えてみると、

誰が、ヒット大地の真の友人かは明らかだろう。

 

俺がブログを書くと、地球人は、口では、

「あなたのおかげで救われた」と言う。

 

しかし内心は、赤い舌を出していることも多い。

 

少なくとも、「ヒット大地のおかげで救われた」と言うわりには、

それで終わりだ。

 

ヒット大地のために、何かしてくれるわけでもない。

 

そのあと、盗人のように逃げていくだけだ。

 

俺がSNSに入会していたとき、

見事な法則があった。

 

「ヒット大地さんの文章を読み、感動しました」

「あなたの文章を印刷し、財布に入れて、持ち歩いています」

「あなたは本当にすばらしい」

「あなたは人生の勉強になります」

・・・こう言う人に限って、

それっきりだった。

 

これは見事と言うべきもので、その一回限りの伝言を残して、見事に消えていった。

10人のうち8、9人は、そうだった。

 

ヒット大地が失敗すると、地球人は、心から喜び、

またヒット大地が自分に不利益なブログを書くと、地球人たちは、

「このクソオヤジ、死んでしまえばいいのに」

と思っている。

また、実際、そう口に出す。

 

 

知り合いが自殺したとき、

地球人は、「俺に相談してくれれば良かったのに」と言う。

もちろん、そんなのは、ほぼ90%ウソだ。

 

相談しても仕様がないと思ったからこそ、その人は自殺したわけだ。

知り合いの心のウラが見えているわけだ。

 

知人が自殺した後、泣く人もいる。

でもそれは、本当に悲しんで泣いているというよりも、

相手が自殺して負け、自分が生き残って勝ったという安堵の涙も半分は、混じっている。

「アイツのようにならなくて、俺は良かった」というホッとした喜びの涙だ。

勝利の涙・・・と言っていいかもしれない。

少なくとも、そういう気持ちは、何10%かは混じっているだろう。

 

そんな地球人に、心の悩みを相談しても、ほとんど意味はないだろう。

(ただし良心的な人への実践的な悩みは別だ)

 

皆、それがわかっているからこそ、人生相談に電話する人は珍しい。

その電話も、よく聞くと、自分の自慢話であることも多い(笑)。

 

宇宙人は、ピストルを突きつけられても、

喜んで殺される。

 

死は心の成長だし、素晴らしい来世が約束されている。

 

しかも、死ぬったって、血が少し流れて、気を失うだけだ。

苦痛と言えるほどの苦痛でもない。

 

人を殺して、地獄で永遠に苦しむ苦痛に比べれば、

アリンコのワキ毛3本半くらいなもんだ。

 

宇宙人が、殺すよりも、殺される方を選ぶのは、理の当然だ。

 

聖書の、「左の頬を殴られたら、右の頬を出せ」

・・・・とは、そういう意味だ。

自分のためになるから、そうせよ、と、イエスは言ったわけだ。

 

 

宇宙人は、自分の家族も、どうでもいいと思っている。

 

一般人との区別はない。

 

だいたい育児は、社会全体が行うべきものであり、

家族や肉親への愛は、自己愛にすぎないことを知っているからだ。

 

普通の他人を、自分のように愛することこそが、ホンマモンの愛であり、

普段から、そういう訓練ができているわけだ。

 

宇宙人は義理なんかどうでもいい。

 

だからこそ、一般人を、自分のように愛することができる。

 

言うまでもなく、俺は地球人など、まるっきり信用していない。

 

地球人は間違っても、

「ヒット大地が苦しんでいるとき、俺のために泣いてくれる」ことはない。

 

俺は、「俺が苦しんでいるとき、俺のために、本当に泣いてくれる宇宙人」を愛する。

 

彼らのすすり泣く声が聞こえる。

その声を聞けば、ハッと気づく。

本当の友人だったってことがわかる。

 

 

しかし、さらなる真実がある。

 

その宇宙人の愛だって、

神の愛に比べたら、

ノミがパンくずを食べた後のゲップ2回半のような量だ。

 

比較にならないほど小さい。

 

だから俺は、最終的に、神の愛だけを信じる。

 

逆に言えば、神の愛を信じる者こそが、最終的に救われるわけだ。

 

 

俺たちを本当に、愛してくれるのは、神様だけだ。

 

それ以外の愛は、すべてニセモンと言い切ってかまわないだろう。

 

ま、冷酷なようだが、それがこの世の真実だ。

 

本当の地獄を知れば、そのことがわかるだろう。

 

そして、逆に、心の平安を得るだろう。

 

そのとき、自分から人を愛する、本当の喜びを知るだろう。

 

それは自分の敵さえも愛する喜びだ。

 

そう。人間への真の愛も、すべては、神の愛から出発するのである。

 

それは静かで穏やかで、いつまでも持続する愛なのである。

 

 

 

 

 


7月6日、食事会、一人も集まりませんので、よろしく(笑)

2013-06-25 04:20:18 | 日記

7月6日、俺は食事会をやると言った。

 

むろん、一人も集まらないだろうと思った。

 

でも、それをわかっていて、俺はブログに書いた。

 

その理由は、「恥に打ち勝つこと」を、読者に、知ってほしいからだ。

 

長嶋茂雄が、アテネの野球の監督に選ばれたとき、

彼の性格からして、ものすごいプレッシャーだろうと思った。

 

そして、彼は脳梗塞に倒れた。

「負ける恥」に勝てなかったのかもしれない。

 

美空ひばりは、熊本でコンサートをしたとき、

客の入りが悪く、結局、いろいろな理由をつけて、

コンサートを中止にした。

本当は、「客が少ないこと」が、恥ずかしかったからだろう。

 

森鴎外の『阿部一族』は、恥の概念から、

自害をする物語だ。

 

かほど、日本人にとって、「恥」というのは、大きな意味を持つ。

 

人前で、屁をこいて、自殺した若い娘もいたらしい。

 

しかし、そんなもの、俺はヘッチャラだし、

そういう恥に負けずに明るく生きることこそが、

今の日本人にとって、大切なことなんだ。

 

そうすれば、ウツ病などの精神疾患も、格段に減るだろう。

 

だから、俺は、

一人も集まらないと予想して、

「食事会をやる」とブログに書いたわけだ。

 

俺は実践の男だ。

 

口先だけの男ではない。

 

身をもって、不幸を体験し、

それでも明るく生きる「生き様」を、

これからも、読者に見てほしいと思っている。

 

これからも、うんと恥をかき、うんと失敗を続けたいと思っている。

 

それでも明るく生きる「生き様」を、見てほしい。

 

神を本当に愛しているからこそできることだ・・・と自分では思っている。

 

神を愛すなんて、口では簡単に言えるが、

本当は、すごく難しい。

 

 

俺はこれからも、

本当に神を愛し続けたいと思っている。

 

取りあえずは、女の読者よ!

堂々と、スッピンを見せて、明るく生きろ!

 

恥ずかしがるのは、自己愛にすぎない!

 

自己愛に打ち勝て!

 

そして強く明るく生きろ!

 

 

イケメンの前で、屁を3発こいても、笑顔を忘れるな!

一発目は、クスクス笑え!

二発目は、ケラケラ笑え!

三発目は、大声で笑え!

 

いいな!

 

むろん、今日もDOTISだぜ、ハハハハ!

 

ケッコーケッコーコケコッコー!

 

というわけで、7月6日の食事会は行わない。

 

このブログを書くために、行うと言っただけだ。