アイリス あいりす 

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吉川晃司 広島の原爆ドームの近くに祖父の旅館があった。

2017-08-08 21:12:35 | 原発 放射能汚染

http://lite-ra.com/2017/08/post-3370.html

(略)

東日本大震災の被災地に行ったことで吉川晃司は変わった

 

 それでも彼は社会のために自分にできることはなにかを探して行く。そこで、11年7月30日、東京ドームにて収益が被災地に寄付されるチャリティライブを開き、21年ぶりに布袋寅泰とのユニットバンド・COMPLEXを再結成させることになるのだ。このライブにより、グッズやDVDでの売り上げも合わせて、6億5000万ものお金を被災地に送ることができた。活動休止前に布袋との殴り合いまであったと噂されるほど遺恨のあったこのグループを復活させることになった経緯を吉川はこのように語っている。

「己の不甲斐なさとか、小ささを痛感させられた上に、さらにもっと違うものを何か感じちゃったんだよね。俺は現場に行っちゃったからね。ずるいっちゃずるいのかもしれないな。何かやっとかないとなって。でも何やればいいんだろうって。ともかくお金が、現金がないんだよ、被災者の方は。そしたら送れるものを考えようと思って、やったんだ」(「bridge」14年8月号/ロッキング・オン)

 吉川の活動はこれだけでは終わらない。3.11をめぐる一連の問題のなかで、ことさら彼に危機感を抱かせたのは、原発に関する問題であった。そこには、先に挙げたような、祖父と父が暮らした街が一瞬にして消滅させられたという事実、そして、もし運命の歯車が一つでも狂っていたら自分は生まれてこなかったかもしれないという思いもあるのだろう。だから、原発の危険性が改めて浮き彫りになったのにも関わらず、それでもこの問題を見なかったことにして再稼働を進めている政府の姿勢は、どうしても不信感を抱かざるを得ないものだった。彼はそのような思いをこう語っている。

「このまま何も策を講じることなく死んじゃったら、僕ら、恥ずかしい世代ですよね。放射能のことも、僕らは本当のことを知らず、知識がないゆえに傍観してきた。それは悔いても悔やみきれない」
「次代を担う子どもたちに負の遺産を押しつけて、あとは頼むよじゃ死んでも死に切れないから、やれることはやらなきゃと思ってます。子どもに、墓に向かって「父ちゃん、何もしなかったじゃないか」とは言われたくない。せめて「いや、俺なりに頑張ったんだ」と言い返したい」(前出「週刊文春」)

(略)

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♬ あの日の惨劇を見た人は、人生観が変わったとよく言われます。それでも黙して語らず、こらえているのが被災した人たち

でしょう。私の旧友も仙台におります。

彼女は当時電話で、「田んぼに人がごろごろ転がっている」と言っていました。

その光景を見た人は、今でも地獄を見たようで思い出すのも怖いのではないでしょうか。

そして、忘れることなど、決してないのです。

吉川晃司も自分が無知だったことを、正直に話しています。大人なのに、これから生きていく子供たちに、いったい何を残してやろうと、お金よりも地球の安全ですよね。

本当の平和を望むのは、当たり前のことです。

日本が国連で反対に回ったことは、本当に残念なことですが、これも天皇が原爆の特許取得者だからでしょう。

 

 

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