アイリス あいりす 

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天皇の蓄財4「天皇のロザリオ」より <2359>

2015-08-31 20:48:24 | 歴史

はてなダイアリーより転載しました。

「日本人が知らない恐るべき真実」

http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/200608

引き続き『天皇のロザリオ』(鬼塚英昭著)より抜粋・引用します。


さて、私はこの項を書くためにたくさんの本を読んできた。私はポール・マニングの『米従軍記者が見た昭和天皇』を読んでいる。興味ある読者は是非読んでほしい。もう一度、この本から引用する。今までの私の推理を裏付けてくれそうである。

「1944年1月、昭和天皇参謀総長と軍令部総長から結論として太平洋戦争に勝機はないと報告され、木戸内大臣に和平計画を立てるよう指示した。木戸は当然のことながら、この指示の意味は皇室財産を守ることが第一であり、日本を平時の状態にする準備は二番目であると理解したのである。二番目の状況を達成するには時期尚早だったができた。木戸は皇室財政顧問でもある主要銀行経営者たちを招集し、会議を開いた。彼らの提案で、天皇の現金が東京から銀行間無線でスイスに送金されたのである。東京にある天皇銀行口座の残高が事実上ゼロになったが、スイス銀行の番号口座残高が急激に増加したのだった。横浜正金銀行スイスの支店は次に、天皇の仮名による銀行投資ドイツの信用を付け、天皇流動資産の換金能力をさらに高めた。他の財閥の大企業経営者たちも天皇の現金の流出に気づき、アフガニスタントルコスペインポルトガルスウェーデン朝鮮香港満州フランスドイツなどに預金していた現金を引き出し、スイス銀行へ送金した。彼らはまた、ブエノスアイレスにある銀行の法人や個人口座の数も増やしたのである。

占領期間中、日本銀行横浜正金銀行の業務を引き受けることになり、この結果、皇室財産の財務上の秘密が継続して保証されたのである。」

私が書いた赤十字天皇の秘密は、このマニングの本で真実であることが理解できよう。

日本赤十字社は、現在でも、皇室が支配的立場にあることを知らねばならない。この赤十字組織が、世界を支配する勢力の一支部なのだ。マニングの本には、天皇がいかに金塊をアルゼンチンに運んだかの詳細な内容も書かれている。

もう少し具体的に、赤十字国際委員会(ICRA、本部ジュネーブ)について書くことにしよう。では、アダム・レポーの『ヒットラーの秘密銀行』から引用する。

赤十字国際委員会が各国諜報機関から、スパイを潜入させる標的として狙われたのは当然のことだった。大戦中でも枢軸国、連合国を問わず自由に越境して、救援活動ができる国際的組織だったからだ。また、情報収集も任務のひとつで、職員たちは双方の捕虜や軍指導者たちに対する質問権を与えられていた。」

ヒットラーの秘密銀行』から、もう一つ引用したい。ナチス資産について書かれているが、ドイツの枢軸国日本の姿もみえてくる。

「英米仏三国は1945年8月、スイスに預けられているナチス資産の所有権を主張するもスイス政府の対応ぶりは相変わらずのものだった。三国の主張はどんな法律を根拠とするものか理解に苦しみ、また連合国によるドイツ占拠の事実は『ドイツ国境を越えて法的効力を持つことはほとんどない』という言い逃れに終始した、とSNBの報告書は記している。

スイスに預けられたナチス資金」を「スイスに預けられた天皇の秘密資金」と置き換えるならば、私が書いてきたことが事実であることが理解できよう。『ヒットラーの秘密銀行』には、スイス銀行について書かれている。日本に関係する記事に触れておこう。国際決済銀行BIS)がスイスにある。この銀行が、ナチス日本戦争中も取引を続けた。では引用する。

BISの総裁はアメリカ人トーマス・マッキトリック、ゼネラル・マネージャーフランス人ロジェ・オボワン、ゼネラル・マネージャー代理はドイツナチ党員のパウル・ヘクラーだった。大戦中の理事には、ライヒバンク副総裁で後に戦死とされたエミール・プール、同総裁のヴァンター・フンク、その他ロンドンブリュッセルローマ日本から派遣された銀行家たちが顔を揃えていた。(略)ベルリンにとっては好都合なことに、戦時中のBIS総裁は、ナチスの略奪金塊の主要ルートだったスイス国立銀行の総裁エルンストウェーバーだった。(略)第一次世界大戦の敗戦国ドイツ連合国に対して負っていた賠償金をヤング案に基づいて回収することを目的に、数カ国の中央銀行1930年5月に設立した銀行だったのである。ニューヨーク・ファースト・ナショナル銀行など世界の主要金融機関が共同出資し、これらの国々および日本が理事を送り込んだ。(略)BISの設立資本金は五億スイスフランで、ベルギー国立銀行イングランド銀行フランス銀行ライヒス・バンクという中央銀行五行によって保証されることになった。これに日本の代理を務める日本銀行団、およびモルガン銀行、ファースト・ニューヨーク銀行、ファースト・シカゴ銀行から成る米国銀行団も参加した。」

ここまで書いてきて、戦争というものが、金融と深く結びついていることが理解できたはずである。BISスイス国立銀行は深く結びついている。私の推測の域を出ないが、天皇スイス国立銀行に「皇后名」で、BISに「天皇名または仮名」で、最低二口の秘密口座を持っていたと思われる。マニングの推定「35億ドル」以上ではなかろうか。35億ドルでは少な過ぎる。

<中略>

日本の作家で井上清の名を挙げた。2000年に濱田政彦の『神々の軍隊』がでた。この本の中で濱田は天皇の秘密資金に触れている。引用する。私のこれまでのストーリーを追認するものである。

皇室は蓄えた資産モルガン商会を通して海外で運用していたが、金塊、プラチナ、銀塊などスイスバチカンスウェーデン銀行などに預けられていた。(略)中でも国際決済銀行、通称“バーゼルクラブ”は、世界の超富豪が秘密口座を持つ銀行で、治外法権的な存在であった。(略)内大臣木戸幸一は、日米英戦争末期の昭和十九年一月、日本の敗北がいよいよ確実になると、各大財閥の代表(銀行家)を集め、実に660億円(当時)という気の遠くなるような巨額の皇室財産を海外に逃がすよう指示した。そこできれいな通貨に“洗浄”されたが、その際に皇室財産は、敵対国にばれぬようナチス資産という形で処理された。スイスは極秘裏にナチス戦争協力していたので、ナチスの名のほうが安全だったわけである。(略)皇室バチカンフリーメーソンの関係をたどっていくと、世界の闇が明らかになってくると思われる。おそらく戦後皇室がえらく貧乏にみえるのは、その資産戦後日本復興に使ったからなのかも知れない。M資金の闇は深い。」

濱田政彦の書いていることは間違いない。ただし、「おそらく戦後皇室がえらく貧乏にみえるのは、その資産戦後日本復興に使ったからなのかも知れない」には全く賛成できない。私は昭和天皇戦後も、マニングが書いているように蓄財作戦に熱中していたと思っている。天皇家の秘密資金の一部がM資金となり、多くの人々を悩ませたのである。

マーク・ゲインの『ニッポン日記』には天皇財産について詳しく書かれている。だがここではすべて省略する。初版本に書かれたことが、再版本では省略されているとのみ書く。1946年3月24日、マーク・ゲインは天皇埼玉行幸を描いている。

天皇はただ一人で晝食をとった。天皇以外の我々は、冷たい飯と悪臭鼻をつく大根の漬物と、その紡績会社から出された刺身の小片を口に押し込んだ。窓からみると、女工たちが列をなして並んでいたので話をしようと思って戸外に出た。彼女等は恥ずかしそうにクスクス笑うだけで誰も答えてくれそうになかった。が、とにかく彼女等は「十五歳」‐最低就労年齢-で、一日九時間半働き、一日三円ないし五円

支払われていることを聞き出した。そこへ天皇が出て来たので、彼女等は最敬礼をし、支配人の号令一下、万歳を唱えた。それから彼女等の専制君主を見ようと首を伸ばすのであった。」

当時の女性の日給は一日九時間半働いて一日三円ないし五円。1945年8月15日から約半年たっているので、インフレが進んだ後だから半年前はもっと安い。たぶん一円から三円であろう。

計算機を手にして、当時の天皇がどれくらいの金を持っていて、海外の秘密口座に入れたかを計算されよ。そうすれば、その金額の天文学的数字がクローズアップされる。

それでは読者にヒントを一つ与えよう。1945年10月にGHQが発表した皇室財産の内容は書いた。「土地・建物・木材・現金・有価証券美術品・宝石は含まない)は37億2000万円。」木下道雄(元侍従次長)の『側近日記』が昭和天皇の死去の翌年の1990年に出版された。この本の解説は伊藤隆(当時東大教授)であった。彼は次のように書いている。

「ところで終戦直後の天皇家財産は37億5000万円だった。日銀物価価格統計により現在の貨幣価値の311倍で換算すると7912億円である。」

この数字の十数倍近くをスイス銀行に送り込んで終戦工作に天皇は入ったのである。敗戦前の国家予算は100億円を切っていた。天皇は自らの生命を守るためと、このスイスの秘密預金を維持し、さらに増やすために戦後工作に入るのである。天皇の「キリスト教入信」対策は、この二つの大事なものを守りぬくべく実行された。国民は依然として雑草のような民草であった。

これが大東亜戦争天皇が仕掛けた第一の原因だと分かるだろう。

それでもあなたは、天皇陛下にむかって「天皇陛下バンザーイ」と叫ぶのであろうか。それとも、広田弘毅のように「天皇陛下マンザーイ」と叫ぶのであろうか。

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Kryon - 医療・農業のパラダイムシフト - Lee Carroll <2358>

2015-08-31 20:12:12 | 宇宙

Kryon - 医療・農業のパラダイムシフト - Lee Carroll

◆ 医療のことや、農業のことも、すべてにおいて愛が必要なんですね。

最近思うのですが、ペットの亀ちゃんと意思の疎通を感じることがあるのです。ペットを飼っている人は、こういうものを常に感じているのかもしれないですね。ペットをペットとしてではなく、一つの生命であると考えるとこのような気持ちになるのではないでしょうか?体の病気についても、同じなのかもしれないと、この動画をみて思いました。自分の具合の悪いところに手を当てて、自分の細胞に語りかけるというのは、どうでしょう?自分の身体に愛の気持ちを伝えることが、病気の細胞には、いいのかもしれないと私なりに、理解しました。疲れて具合の悪くなった細胞のことを、友人のように語りかけて、自分自身の細胞へ愛を伝えることです。

まだよくわかりませんが、この動画の内容を聞いて私の考えたことです。

ここだけの話ですが、夫と私が口論した次の日に、夫が餌をあげる時、亀ちゃんが口の中の水を夫にかけるのです。夫は「餌をあげている人に、水をかけるかなあ」 というのですが、私は亀ちゃんは見ている、知っている、わかっている、と思うのですよ。笑。私はかけられたことないので。

かめちゃ~ん!!

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田布施システムとアヘン <2357>

2015-08-31 17:39:16 | 社会問題 日々雑感

◆戦争中のお金をアヘンを中国に売ることで、日本政府は潤い戦争を続けることに成功しています。これは欧州でもすでに行われていた方法で、この時すでに岸はブッシュ一族と組んでいたのです。アベバカチンがブッシュと仲良しなのは、こういう時代背景の中から、起きていることです。かれこれ80年ものつながりがあるわけです。気心しれた、悪者同志です。ブッシュがアメリカで捜査されているようですが、これから日本のつながりまで明らかになるのかは、わかりません。

(アヘンのお金はむろん昭和天皇も手にしていたはずです。日本女性を海外へ売りとばしたお金で大儲けした三菱がお礼に皇居の屋敷を建てたのですから。)

国民をこのようにして、2重に苦しめて自分たちの懐を温めてきたのが、彼らだということは、歴史の中では常識であり、真実なのです。東条英機は今生きていたら、黙して語らずのままでしょうか?彼も言いたいことがあるはずです。戦犯として処刑されたのは、策略がそこにあったからです。

お金を都合されることは、今でも昔でも、いざというときに、自分を負い目にさせるのです。すくない給料でも、胸を張って生きていく方が、潔いのです。

何回も言いますが、田布施システムとロス茶はつながっています。そしてコブラ情報にあるように、ロス茶はBRICK銀行を乗っ取る計画をしているのです。現実のことです。

田布施システムは天皇が頂点です。天皇はロス茶によって明治維新を起こしました。そしてロス茶は、人類を奴隷にしています。天皇も同じだということを忘れないでください。

今後天皇がロス茶と離れることで銀河連邦につくのなら、日本国民に明るい兆しが見えるはずです。

今のところは、なんにも見えないですね。

~~~~~~~~~~~~~

http://matome.naver.jp/odai/2140936478223317401 より転載しました。

田布施町の高松八幡宮が、七卿が逗留し松陰派の長州若手指導者達と皇政復古の産声を上げた所である。

http://lite-ra.com/2015/08/post-1396.html

[ 安倍首相が心酔するお祖父ちゃん・岸信介の戦争犯罪! アヘン取引でブラックマネーを集め戦争を遂行(リテラ)】

 (前略)

若手官僚として頭角を現した岸を一気に飛躍させたのが1936(昭和11)年に満州官僚へ転出したことだった。満州国という実験国家を自らの「作品」と呼び、実質的な最高首脳の一人としてソ連の計画経済を模した統制経済(産業開発5カ年計画)を強力に推進することになる。同時にそれは、岸が戦争に手を染めるきっかけにもなっていった。

 わずか3年の在任だったが岸は満州で3つの“財産”を手に入れている。統制経済による国家経営のノウハウ、東条英機(当時、関東憲兵隊司令官)を筆頭とする関東軍人脈、そして湯水のごとく使える金脈だ。岸に関する評伝、研究書は数多あるが、いずれも明確に指摘しているのが、後に東条英機を宰相にまで持ち上げたのは岸の資金力があったからだ、という事実だ。

〈のちに東京に帰った東条が陸軍次官、陸相、総理へと中央の階段を昇り詰めていくにつれ、今度は岸が集金力にものをいわせて、東条に莫大な政治献金をした〉(太田尚樹『満州裏史』講談社文庫)

岸と東条は満州時代に公私に絆を深めていく。毎日新聞記者の岩見隆夫氏が書いた『昭和の妖怪 岸信介』(中公文庫)には、満州事情通の小坂政則の次のような証言が紹介されている。

「岸さんは日本に帰ってきてから、ずいぶんと東条さんのために政治資金をつくってやった。翼賛選挙でも莫大な選挙資金を必要とするのに、首相である東条さんはああいう男だからカネがない。そこで岸さんが鮎川に頼んだ。鮎川は日産の株を満州投資証券へ譲渡する時、七千万円、確かな数字ではないが、そのぐらいを浮かせて鮎川の財団である義済会にプールしてあった。このうち三千万円ほど抜いて岸さんに渡し、岸さんはこれを東条に回してやったりした」

 ここで出てくる「鮎川」というのは日本産業(日産)財閥の総帥で岸の遠縁に当たる長州出身の鮎川義介のことだ。岸は日産を満州に誘致し、南満州鉄道(満鉄)に対抗する満州重工業開発(満業)を設立させた。一方、当時の満鉄総裁は岸の母方の叔父に当たる松岡洋右(後の外相)で、このふたりが表向きのスポンサーだったと言われているが、実はそれだけでは説明がつかない。

 岸に長時間インタビューをした岸研究の第一人者、東京国際大学名誉教授の原彬久氏は『岸信介―権勢の政治家―』(岩波新書)でこう書いている。

〈巨額のカネを動かして人脈と権力を培養し、人脈と権力を動かしてカネを集めるという手法はまぎれもなく岸のものだったのである。(中略)
 当時、岸の部下であり、戦後明治学院院長となる武藤富雄は、次のように回想している。
「私は岸さんから毎月二〇〇円(現在の約二〇万円)の小遣いをもらっていたことを覚えています。当時の満州といえどもカネの使い方は予算で決まっていましたから、領収証のとれない使途不明のカネを自由に捻出することは、たとえ総務庁次長でもそう簡単ではありません。私は毎月二〇〇円ものカネをポンと渡してくれる岸さんをみて、『これはなかなか豪気な人物だな』と思うと同時に、『何かの名目をつけて、ある程度のカネを自由に使う方法を知っているんだな』と感じました」
 岸は同僚官吏はもとより、民間人、それもいわゆる満州浪人、無頼漢に至るまで彼のそばに来るものには惜しげもなくカネを与えていたといわれる〉

 資金の源は何だったのか。多くの研究者やジャーナリストが指摘するのがアヘン取引による利益である。当時の満州国は表向きはアヘン吸飲を禁じていたが、満州専売局を通して登録者に販売できるシステムを採っていた。事実上、野放しだ。にもかかわらず一方で売買が禁止されているため、価格は吊り上げ放題で、巨額の利益が上がる仕組みになっていた。

満州を抑える関東軍はこの収入に目をつけ満州国の西隣りに接する中国熱河省へ侵略の兵を進めた(熱河作戦)。熱河にはアヘンの原料となるケシ畑が広がっていたからだ。「満州の背後を固める」というのは口実で、アヘンを求めての進軍だったというのである。消費地も満州国内だけでなく北京、上海、広東、厦門へと拡大していった。

 こうして得た莫大なアヘンマネーを岸ら首脳陣は、国家経営や戦争遂行、謀略工作に回す一方、一部を「私」していったという。

 近衛文磨の女婿で細川家の当主に当たる細川護貞氏(細川護煕元首相の父)が戦時中、裏の政治情報を日記の形で残していて、岸関連の書物にたびたび引用されている。1944(昭和19)年9月4日付の記述はきわめて示唆的だ。岸に関する部分を抜粋する。

〈岸は在任中、数千万円、少し誇大に云えば億を以って数える金を受け取りたる由、然もその参謀は皆鮎川(義介)にて、星野(直樹)も是に参画しあり。結局此の二人の利益配分がうまく行かぬことが、(東条)内閣瓦解の一つの原因であった〉(『細川日記』)

 星野直樹は大蔵省から満州に派遣された官僚で岸の上司に当たる人物だ。当時の数千万円といえば、いまの数百億円に匹敵する。これだけでも驚くが、同年10月16日付の箇所にはこんなことも書かれている。

〈朝、K君を訪問、談たまたま東条に及びたるに、彼は昨年中華航空にて現金を輸送せるを憲兵隊に挙げられたるも、直ちに重役以下釈放となりたることあり。是はその金が東条のものなりしを以ってなりとのことにて、以前より里見某なるアヘン密売者が、東条にしばしば金品を送りたるを知り居るも、おそらく是ならんと〉(同)

 要は、アヘン利権を巡って岸や東条を始めとする満州人脈が複雑に絡み合い、時には利益分配で揉め事も起きていたということである。そして、岸はそこから少なく見積もっても数千万円、“少し誇大にいえば”億単位のカネを手にしたというわけだ。

 ところで10月16日付の『細川日記』に出てくる「里見某」は、里見甫という元新聞記者で、中国に渡って里見機関という特務機関を率いていた。実態は、陸軍の依頼でアヘン取引を扱うブローカーだ。中国では「アヘン王」の異名で知られていた。

 1948(昭和23)年2月の極東軍事裁判(東京裁判)の法廷でA級戦犯被告となった星野直樹の国際検事団による罪状朗読の中に「一九三八年(昭和十三年)から一九四五年(同二十年)まで、北支派遣軍の特務部の下で、中国においてアヘン作戦を実行した証人サトミは、一九四〇(同十五年)まで彼によって販売されたアヘンは、ペルシャ製のものであったが、その後彼は満州産アヘンを販売したと証言した」とのくだりがあるほか、里見とアヘンに関する証言は数限りない。

その里見の墓が千葉県市川市の総寧寺という寺にあるが、墓碑銘を揮毫したのは誰あろう岸信介その人だった。「アヘン王」里見と岸の浅からぬ関係を示す証拠のひとつだ。

 満州国のアヘン政策は日本軍の戦争遂行費に深く関わっていた。それどころか、陸軍が中国大陸を深く侵し続けた理由のひとつにアヘン利権拡大の側面があったことは見逃せない。

こうしたシステム動かしていたのが、岸ら満州官僚であり、ここから吸い上げられたカネが対米主戦派の東条英機を首相に就任させる原動力になっていたという構図である。それだけではない。「満州は日本の生命線」とは岸の叔父、松岡洋右が初めて唱えたスローガンだが、実際にこの言葉を用いて日本を戦争へと導いたのが岸だった。

 満州着任後、岸は産業開発5カ年計画の実行を進め、日産の誘致にも成功し、裏ではアヘン政策を拡大させたが、それでもまだ満州国の経営資金は足りなかった。そこで岸が打ち出したのが、日本が戦時体制にあることを最大限に利用することだった。岸は日中戦争が始まるや「戦略・兵站基地満州」を前面に押し出すことによって、5カ年計画への資本導入を日本政府に強力に働きかけたという。岸にとっては持論の国家統制経済遂行のまたとないチャンスだった。前出の原彬久氏は前掲書でこう書いている。

〈日中戦争、いや日中戦争ばかりでなくそれに続く太平洋戦争への道は、国家主義者岸信介にとってはそれほど不都合な時代状況ではなかった。それどころか、岸にとって日本の戦時体制は、ある意味では自らの野心と才能を時代に投影し検証していく格好の機会となっていくのである〉

 だが、岸が信奉した統制経済は満州国が掲げた「五族共和」を実現したとは言い難い。東京裁判の証言台に立った元満州国皇帝、溥儀はこう証言している。

〈溥儀証人 専売されていた最も主なものはアヘンでした。その他、例えば綿花とか糧食というような種々雑多なものが専売されておりました。統制経済が行われてから一切の物資は日本人によって接収されて、鉱業あるいは工業などは全部日本人によって統制され、中国人は経営することができなくなりました。
 検事 綿布統制法は実際的に、強制的に実施されたものですか。
 溥儀証人 これらの統制法は全部実施されて、その結果中国人は冬になっても綿や綿布を手に入れることができなくなったために、寒さで多くの人が凍死し、あるいは病気になるような状態でした(後略)〉

岸が在満時代に入手したアヘン金脈と人脈をフルに使って東条内閣をつくり上げたことは前述した。帰国後、岸はその東条内閣で商工大臣として、あるいは軍需次官として東条とともに対米戦争を指導して行くことになる。岸が内地で辣腕を振るったのも統制経済の実行だったことは言うまでもない。再び、原氏の前掲書より引用する。

〈岸が、まず最初に考えたことは、「日本の置かれている情勢から、国防産業を中核として国防国家を考えなければいけない」ということであった。つまり、「国防国家」実現のためには「国民生活がある程度不自由になってもやむを得ない」ということである〉

 こうして日本はドロ沼の日中戦争から太平洋戦争へと転げ落ちて行くことになる。そして岸は、その戦争遂行のため、国家のすべての人的・物的資源を国家が統制運用できる国家総動員体制、国家統制による軍需生産増進、大東亜共栄圏の自給自足体制確立など戦時経済体制推進の先頭に立って旗振り役を務めていた。当然、戦争責任を問われても不思議はない。

 ところが岸は、満州時代の盟友東条英機、松岡洋右、星野直樹、鮎川義介らとともにA級戦犯容疑で逮捕されるが、不起訴処分によって釈放される。なぜ、岸は戦犯被告から逃れることができたのか。それは、今、安倍首相が安保法制を強行しようとしていることと、根っこのところでつながっている。次回は、この昭和史の謎に迫ろう。

(野尻民夫)

 

 



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【スピーチ全文】作家・森村誠一氏が国会前で戦争は女性を破壊する<2356>

2015-08-31 13:24:56 | 社会問題 日々雑感

【スピーチ全文掲載】「ものを書く人間として絶対に許せない」――作家・森村誠一氏が国会前でスピーチ 「戦争は最も残酷なかたちで女性を破壊する」

◆ 森村誠一氏は731部隊についての本をこの世に送り出した人です。731部隊にいた人から、原稿を見せられて、それらをもとにして書いたのです。本物です。ですから、今現在嫌がらせが増えているそうです。これ一つでも、今の時代が恐ろしい歴史の改ざんに向かっていることが、わかりますね。

スピーチ中の大きな音楽が聞こえます。聴きづらいですね。

 

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アベの顔色をみる 東京エンブレム問題 <2395> 追記

2015-08-31 12:22:01 | 社会問題 日々雑感

東京のエンブレムのみっともない会見が、続いています。

これは国会と連結していると思いましたが、どうやらそれだけでは無い可能性もでてきました。

それは訴えられる数が増えてもこの対策をしようとしない、組織があるからです。オリンピック委員会は、独立しているにも関わらず、アベの顔色を窺っているのが現実のようです。

白紙撤回をした競技場なのですから、エンブレムもむろんこのままでは廃案にするべきでしょう。訴えられたら、裁判となり、それ相当の金額の支払いとなるはずです。聞くところによりますと、この騒ぎの発端の佐野研一郎は5億もの年収のある会社だそうです。

偽物ばかりを世に送っても平気な血族です。

その平気な血族の田布施システムは、どうやら欧州にもアメリカにも、違反金の支払いをしたいが為にしているのではないでしょうか?

ベルギーの弁護士は王族の弁護士をしている、つわものだと言われています。ロス茶ですね。つながりが出てきましたね。欧州のロス茶にお金を支払うように、策略がされていたのではないでしょうか?

真実を探すブログには、なんと裁判に負けると裁判費用も負担としても750億円もの大金を支払うようだと、書かれていました。

アベバカチンの、欧州へのばらまきがこのエンブレム問題ではないでしょうか?他人事のように、アベバカチンの顔色を窺っている政府はすでに田布施システムの中にあるようですね。何度も言いますが、田布施システムの頂点は万世一大です。アベバカチンではありません。

日本潰しは、今やっと国民に分かる形で、出てきています。毎日の殺人事件など、テレビの報道は、国民に不安感を持たせて、操作しやすい状態にしているのは、ダヴィストック研究所という本にもあります。また、日本の陰謀にも書かれていました。日本は古来からこのような方法を使って、国民に恐怖感を常に与えてきたのです。まともなことは、平和で安定している時代であっても、恐怖感さえ国民に与えれば、国民は賢く考えることなどできないからです。精神的に追い詰めることが、彼らの奴隷国民を操る方法だったのです。

ですから、テレビから離れたほうがいいのです。テレビの社会ニュースは偽物事件ばかりです。

山手線の放火も同じです。やらせに決まっています。組織の犯罪アルバイトでしょう。

テレビの事件について、一喜一憂しないことです。心配など、もってのほかです。

バカバカしいです。

 

追記=============

本日9月1日に、エンブレムの取り下げ、使用中止が発表されました。これでホッとしたいのですが、やはりベルギーのデザイナーは、今日のところは取り下げずに、訴えるとしていますね。故意に使用したのを、認めて謝罪するべきところを、謝罪もないからですね。

外国人は裁判で争うことなど、面倒なことだからとは思わないようですよ。自分が納得できるまで、裁判に訴えるようです。佐野研二郎のデザイン室は、信用もガタ落ちでしょう。永井一正氏の信用もしかりですね。コネを使ってデザインを受けてきただけで、頼む方もあのデザインにいくら払ったのか知りませんが、美的感覚がなさすぎますね。有名だからそれでお金を払ったということなのでしょうか?バカバカしいですね。

TBSテレビの黒い豚のようなマークですが、あれも佐野研二郎のデザインだそうですね。使っているのも知らないくらい、インパクトもありませんでしたよ。無駄なデザインにお金をつぎ込んでいるのですね。お金を回す為でしょうか?親戚同士で。

いつまでこのデザインを続けるのか、みっともない話です。使用料も払っているのでしょうから。

まともなデザイナーには発注しないのでしょうね。会社の幹部は美術関係には無頓着で、無能な集団ばかりのように思えます。親戚だから頼む、親戚だけが潤う。そういう構造のようですね。韓国社会そのものですよ。見え見えですね。

 

 

 

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