風の谷通信

専業農家からの引退を画策する高齢者。ままならぬ世相を嘆きながらも、政治評論や文化・芸術・民俗などに関心を持っている。

11-015ハレとケ・清原と覚せい剤

2016-02-03 14:37:45 | 世相あれこれ

風の谷通信No11-015

エッセー試作品

ラジオ深夜便の声が耳に入った。目覚めた訳ではないがボヤケ頭に少し引っかかった。清原容疑者・覚せい剤・自分で認めた・という言葉がボヤケ頭に残った。これは朝刊で読めばいいヤと考えてそのまま寝込んだ。

朝刊13版には載っていない。都会地域での夕刊記事だな、と思い午後のネットニュースを見て確認。

 

あれだけの大物スターがなぁ、なんで覚せい剤なんかに手を出すんだろう。何に負けたんだろう。中でも「番長」と呼ばれた大物が。怖いものなんてないだろうに。そこで、ごく最近の雑誌で読んだあるタレントの記事を思い出す。彼は、高倉健と裏社会の付き合いやスター人生の裏話を素人向けに書いていた。

彼曰く:俳優なんて元来堅気の世界の住民ではない。もともとヤクザな世界なのだ。(これは本人が無法人だという意味ではないから念のため。)俳優だのスターだのは常日頃からハレの世界に生きている。だから、彼等が裏の世界と付き合うのは当然の事なんだ。その人間がケの姿を素人衆の前に晒してはならないのだ。常に恰好良く、見栄えよく、素人が憧れるような姿でいなければならないのだ。以上

たしかにそうだ。彼らが風呂上りに肌着姿でビールを飲んでいるなんて想像したくもない。横丁の唄いのお師匠さんが、さっきまで三味線を弾いて唄っていたのが割烹着に着替えてつっかけ下駄で晩ご飯の買い物に出かけるのとは一緒にできないのだ。

なるほど言われてみればそうだ。つねにハレの姿でなければならないというのは大きなストレスだろう。それにつけて思い出すのは渥美清さんの話題である。あの人はクルマで送られて帰ってきても、絶対に自宅の前まで乗りつけなかったという。早い目に降りてそこから歩いて帰った。自宅の場所も姿も家族の姿も無関係な一般人には見せなかったという。ついでに書けば、三波春夫さんもそうであった。あのひとの自宅は広い道路に面してはいたが高い盛り土の山の上に大きな家を構えて、2階の窓が小さく見えるような世界に住んでいた。出入りは横道を深く入った向こうにトンネル式の出入り口があってその奥の方から、しかも、クルマで出入りするので、本人の姿は見えなかった。(トンネル式だったか門構えだったか、今ではもう記憶が定かではない)。舞台のハレの姿以外を公衆の目に晒さないで過ごしたという。(もっとも、ケの姿を見せるかどうかは個人の判断にかかる。)

さてそこで、番長殿はいかに。彼は引退してからも夜の街を徘徊してケの姿を衆目に晒してきた。それが彼の人気の中身でもあった。身辺に色々雑事があってモメゴトもあっただろうけど、自分が毅然としておれば怖ろしい番長に付け込んでくる輩はいなかっただろうに。現役スターの座を降りてからもスターであり続けたいと願って無理を重ねたのか。ストレスに耐えかねて薬物に手を出したのか。薬物に手を出して破滅していったスターたちを身の周りで多く眺めて来ただろうに。まだ若いのに気の毒な人生だこと。


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